これらは人の生き方について考える学問です。
「こうしなければいけない」と道徳を押し付けるものではなく、「自分の在り方」を追求した結果、自ら答えに至るものです。
これらに共通して言えることは、人から学んだ物が全てではなく始まりに過ぎないということです。
教えを受けたあとは一生涯をかけて自分の考えを確立していきます。
決まった答えはなく、自分の目を通して知り得たことを材料にアップデートを重ねていきます。
思考停止して高名な人物の教えに従うことは「盲信」であり哲学ではありません。
哲学も武士道も仏道も心理学も、これらは自ら作りあげるものです。
このことはなかなか理解されず、決まった学術体系があると思われがちです。
●哲学
古代ギリシアの哲学者ソクラテス、プラトン、アリストテレスが説くような哲学は、万物の根源がどのような原理にあるのかを探求する化学に近いものでした。
広義の意味で哲学は何かを探求することを指し、現代では主に人生観について語られます。
哲学は国語や数学のような学科というよりは、食う寝る、会話する、走るのような活動の部類に入ります。
後述する武士道、仏道、心理学に比べて定義が曖昧であり、その3つも哲学に含まれます。
人生観を表す哲学では、その人が生きてきた経験から「自分のあるべき姿」を模索します。
体験し、観察し、思考し、人生の仕組みを推測してアプローチを考えていきます。
私は煩悩を捨てるという方向に進んでいますが、正解か不正解かは分からず完成もしないけど探求していくものと考えています。
あまりにも漠然としているので、以下の中から入り口を選んだ方が入りやすいかもしれません。
●武士道
武士道は師から離れた後、人生の中で己に恥じない生き様を見つけ出します。
「お天道様が見てる」という言葉があるように
人目につかない所でも卑怯なマネをしない。
臆病にかられて責任を放棄しない。
など、「自分で自分をカッコ悪いと思うようなことをしない」ことに重きを置いています。
これを続けることで自己肯定感が強くなり、他者の承認を必要としなくなります。
これは強靭なメンタルを作るうえで非常に合理的です。
昔の武士にも承認欲求モンスターはいっぱいいたでしょう。
しかし、真の武士は誰に認められずとも正しくあろうとします。
なんとなくカッコ良いから武士道を名乗るのは分かります、でもどうせなら真髄に触れて欲しいと思います。
●仏道
仏道はお釈迦様の教えを受けた後、修行を通して「真理」へ近づくことを目的としています。
他の宗教とは違って神の教えを絶対として従うのではなく、人が自立する事を目的としています。
仏道における「仏」は神ではなく「先輩」という位置付けです。
教えを受け自立し修行の果てに真理に辿り着いた先輩がいて、その先輩の後に続く感じの宗教です。
人の正しい在り方を模索する一方で、厳しい修行によってテストステロン値が向上します。
テストステロン値は高くなるほどメンタルが強く雄々しくなり、厳しい環境に耐えられるようになります。
軍人や格闘家やボディビルダーといった人達は高くなる傾向があります。
江戸時代の僧兵が強かったのも納得です。
また、座禅などを通して感情をコントロールする方法を学んだりと学問としても完成度が高い。
これだけ優れた物を大昔の人間が考えたことが驚きで、人知を越えた何かの存在を信じそうになります。
●心理学
心理学と名のつくものが複数あり、広く認知されているものは「人を操る方法」を説いたものだと思います。
私がここで言う心理学はアルフレッド・アドラーの提唱する「幸せに生きる方法」を追求する心理学です。
心理学は人の幸せを探求するための学問でしたが、権力者によって人を洗脳し操る事に利用されてしまいました。
現代でもその名残りから「人を操る方法」を心理学と呼んだりします。
アドラーは人が変化していくことを前提に、精神的な自立、信頼や自己肯定の大切さを説いています。
これは哲学・武士道・仏道にも通じるものがあり、近年注目を浴びたのも納得の内容でした。
アドラーの考えをまとめた「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」は名書なので是非読んで欲しいです。
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