世界観のズレは武器になり得る

哲学系記事

人と話していると相手の顔に「?」が浮かぶって経験をしたことがありませんか?

誰しも一度はあるものですが、日常的にそういう経験をしてる人達がいます。

私はそれを「世界観のズレ」と呼んでいます。

自分が見ている世の中の認識は自分固有のもので、他人から見た世の中の認識とは微妙に違うものです。

例えば「学校」が楽しい思い出ばかりの人と、辛い思い出ばかりの人では「学校」の認識が違います。

「学校は楽しい」「学校は辛い」

このような細かい認識が積み重なって世界観を構築しているので、自分と他人が見ている世界は本来ならば全然違うものです。

今回は、この「世界観のズレ」について話していこうと思います。

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共感能力と世界観

私が言うのも難ですが…いや、共感能力に乏しい私だからこそ言えることかもしれません。

人間の最大の武器は「共感能力」だと思っています。

「共感能力」は世界観のズレを埋める能力です。

人間は集団で力を発揮する生き物です。

石器時代、マンモスは強大で人間1人では太刀打ち出来ない存在でした。

しかし、人間は集団を作り、その中に武器や道具を発明する人がいてそれらを共有し、狩りをするチームとサポートするチームを作り、集団でマンモスを打倒します。

この集団は共感能力によって支えられています。

本来は違う世界観を持つ人間が互いの気持ちや考えに寄り添い、世界観のズレを埋めていきます。

やがて共通の世界観を持つようになり、自然に信頼関係を作り、集団の団結を強固にします。

何もしなくても相手の気持ちが分かり、合理性の無い感情的な行動でも信頼関係が生まれ、相手の世界観を分析しなくても自然に相手に合わせることが出来る。

私からすれば「チート」です。

共感能力を理解した時、「なんだそれ、ずりー」と思いました。

共感能力によって出来た集団は共通の世界観によって近い考え方をするようになり、世界観の違う人間を無意識に排除しようとします。

そのため、何らかの理由で共通の世界観からズレている人間は、何かしらの能力で克服しない限り集団を苦手とします。

この世界観がズレている人達は、私のように共感能力に乏しい人間の他に「強烈な世界観」を持っている人達が該当します。

「強烈な世界観」を持つが故に世界観のズレを埋めることができず、集団から弾かれやすい特性を持っています。

私はこの「強烈な世界観」を持つ人達が好きで、彼等に期待をしています。

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強烈な世界観

共感能力によって共通の世界観を持つということは集団を強固にする反面、考え方が近くなり集団からズレた考えや行動をしなくなります。

それは共通の世界観で固められた集団の中からは新しいものが生まれないということでもあります。

しかし、人は今も昔も社会の中でしか生きられないもので、集団の中にも世界観がズレた人が存在します。

さっきのマンモスの話に出てきた武器や道具を作る人がまさにそれです。

昔から芸術家や職人は変人が多いと言われてきました。

彼等は自分の中の「強烈な世界観」に従って考え、それを形にします。

それによって出来た武器や道具は集団に利益と発展をもたらし、世界観がズレていながらも集団から排除されずにいます。

共通の世界観を持たないが故の強みがある訳です。

共通の世界観を持つ人達からは斬新な物は生まれません。

日本に外国から鉄砲が持ち込まれたように、新しい物は違う世界観からやってきます。

しかし、鉄砲しかり新しい物は斬新であるが故に浸透するまで受け入れられません。

織田信長や堺衆のように有用性を見出せる人間がいて初めてその価値を認められます。

「強烈な世界観」から来る世界観のズレはクリエイターとしては飛び抜けた才能です。

しかし、理解されなければただの変人で終わってしまう。

その「強烈な世界観」を理解出来るのもまた、世界観のズレを持つ人間なのです。

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天才と社会不適合者

天才と呼ばれる人達の本質は「強烈な世界観」からくる独創性にあります。

必ずしも高い知能や万能の能力を有しているわけではありません。

むしろ独創性に特化した分、普通の人より欠けた部分が多かったりします。

世界観がより強烈であるほど前述の理由から集団に馴染めず社会不適合者である可能性が高い。

その人達の中から独創性が認められた人が「天才」として評価される訳です。

社会は共感能力による共通の世界観を持つ人が大多数を占めています。

この人達は、この共通の世界観の中で評価されている有名人の影響を強く受けます。

「PPAP」で一躍有名になったピコ太郎こと古坂大魔王氏は、高い影響力を持つジャスティン・ビーバー氏に「面白いもの」として紹介されることで高い評価を受けました。

これが「なんだこれ、つまんねー」と言われていたら社会的には全く逆の評価になっていたでしょう。

要するに天才を理解出来る人がいて、初期の天才の評価はその人の影響力に依存します。

天才は普通の人達には理解されず、影響力がある理解者が「天才」と評価することで初めて「天才」として社会に認められるわけです。

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「強烈な世界観」の使い方

世界観のズレを持つ人は集団の中で非常に窮屈な思いをします。

理解者がいない場合は、直接関わると「変なやつ」としか思われないからです。

しかし、フィルターを一枚挟むだけで世界観のズレは魅力に変わります。

共通の世界観を持つ集団の外の人物として認識されれば「面白いやつ」になり得るわけです。

例えば、お笑い芸人は舞台やテレビ越しに「強烈な世界観」を発揮します。

同じことを集団の中の日常生活でやっていたら間違いなく排除されるでしょうが、自分達とは違う人種として認識されているから「面白い」と評価されています。

面白い芸人ほど普段はつまらない、変なやつと言われるのも当然といえば当然です。

フィルター越しに面白い人ほどコミュ障だったり、変人だったり、社会不適合者だったりするからです。

私は「強烈な世界観」を理解出来ますが「天才」ではありません。

「天才」のような「強烈な世界観」は持たず、共感能力の乏しさから「共通の世界観」も持たない。

けれど、社会に適応することが出来る非常に中途半端な存在です。

自分を例えて言うなら「凡人の奇行種」でしょう。

私にとって「強烈な世界観」を理解することは、共通の世界観を理解するのと全く同じ作業なので理解出来るというだけのこと。

世の中には私のような人間も一定数いて、その中には影響力が強い人もいるでしょう。

「強烈な世界観」を持つ人が世の中を生き抜くためにやることはただ一つ、影響力のある強い理解者を見つけることです。

それは「既に評価されている天才」か「凡人の奇行種」などです。

要するに共通の世界観の外にいる人物ですね。

集団の中では理解者によって能力が評価され、能力を発揮しやすい環境が見つかります。

クリエイターやエンターテイナーとして世の中に発信するなら、ジャスティン・ビーバー氏のような理解者によって評価され名前が広がります。

これは「強烈な世界観」を持っているから誰かの目に止まるわけです。

「強烈な世界観」は「諸刃の剣」です。

受け身になるほど自分を傷つけますが、自分をガンガン発信していけば強力な武器になる。

理解者に出会うまで、傷つくのを恐れずに自分を発信し続けることで道が拓けます。

願わくば「優れた考え」や「面白いもの」を世の中にドンドン生み出してもらって、私がそれを楽しめたら満足です。

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