頂にある真理と間違いの山脈

哲学系記事

前にも哲学の話を投稿しましたが、哲学に決まった学術体系はありません。

始めようと思えば今始められるものです。

むしろ自然に行っていて、それを哲学と認識していないだけかもしれません。

大学の哲学科に通わないと出来ないわけでもなく、高名な先生に師事しないといけないわけでもありません。

私は高卒ですし、哲学を習ったのは小学生の放課後の教室でした。

習ったというよりは、興味を持つこと、疑問に思うことを肯定されたという感じですかね。

哲学において唯一正しいと言える行いは「探究する」ということだけです。

哲学の歴史や思想家の名前は雑学に過ぎません。

今回は何かと誤解されがちな哲学の話をしましょう。

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世界に慣れると疑問を忘れる

電車は現代人にとって当たり前の乗り物になりました。

ほとんどの人が乗り方を知っていて、それが目的地への移動手段だと理解しています。

では、電車がどうやって動いているのか知っているでしょうか?

車両のモーターを電気で動かしています。

では、電気はどこから来るのか?

車両に発電機があるのではなく変電所から送られてきます。

では、どうやって車両に送電するのか?

電車の上に伸びている架線がプラス、線路がマイナスになることで回路になっています。

聞けば簡単な話ですが、意外と知らない人は多いものです。

当たり前の存在で当たり前に使っているのに、電車がなぜ動くのかを疑問に思う人はあまりいません。

好奇心旺盛な小さい子供なら「なぜ?」と疑問を口にするでしょう。

原理を知らないのは大人も子供も同じなのに子供だけが疑問に思います。

大人が疑問に思わない理由は「世界に慣れている」からです。

「そういうものだ」

と慣れて受け入れることで段々とどうでもよくなっていきます。

世界は知らないことばかりなのに、疑問を持たなくなるわけです。

ここまで読んで「そんなことどうでもいい」と思う人はいるでしょう(笑)

しかし、それは哲学とは真逆のものです。

哲学は子供のように疑問を持つことから始まります。

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少し進んで疑問に気付く

私が小さい頃、友達を殴ったら怒りだしました。

なぜ怒ったと思いますか?

「殴られたら怒るのは当たり前だ」

と思う人もいるでしょう。

ところがどっこい当たり前ではありません。

殴られたら喜ぶ人もいますし、恐怖して泣き出す人もいます。

殴られて怒るのには理由があるんです。

痛みによる防衛反応や、精神的なダメージへの拒否反応などなど。

テストステロン値が高ければ怒り、低ければ恐怖して萎縮したりします。

「当たり前」は、世界に慣れているからです。

「当たり前」がなぜ当たり前なのか。

「当たり前」で止まった思考を一歩先に進めれば疑問に気付くことが出来ます。

疑問を見つけたら真理を探究しましょう。

そこからは哲学です。

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真理を探究する

真理とは超常的なものではありません。

シンプルに「間違っていないこと」を指します。

疑問から探究を始めて真理に至ろうとするのが哲学です。

分かんねーことを調べたり聞いたりして、色々考えて「あっ、こういうことか」と理解することですね。

探究は考えることが前提です。

探究する過程で人から教えを受けたり、調べたりすることがあるでしょう。

この時に大事なことは、答えを知ろうとするのではなく、答えに至る道を探そうとすることです。

というのも真理と呼べる情報は簡単に手に入りません。

例えば「簡単にお金を稼ぐ方法」を探究するとしましょう。

あるかどうかは分かりませんが、もしそれを知っている人がいたら絶対に話さないでしょう。

競合が増えるので、デメリットしかないですから。

みんな金持ちになったら、みんな庶民と変わらないですし。

しかし、ネット検索すると腐るほど出てきます。

大抵は詐欺まがいなのですが、答えを知ろうとする人は引っ掛かります。

答えに至る道を探す人はビジネスや経済の基本から考えます。

膨大な情報から分析して、可能性が高い方法を模索し続けます。

最初から最後まで考えることを止めません。

探究に近道などないからです。

真理に至るまでは常に間違い続けます。

多くの間違いを重ねて、その上に立って手を伸ばして、ようやく真理に手が届くかどうかというレベルです。

それを生きている限り永遠に繰り返していくのが哲学です。

私の記事の多くはそういった真理に至る探究をまとめたものです。

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