信用と信頼は違うものです。
信用は一方的に持つもので、信頼はお互いに持つものです。
信用は特定の能力などに対して持ちやすく、信頼はその人の生き方を加味して持つものです。
ヒーローは民衆から信用を得ていますが、ヒーローが民衆を信用しているかというと微妙です。
ヒーローと民衆がお互いの生き方や能力を信用し合っているとは思えないからです。
信用というものは能力を高めていけば簡単に手に入りますが、信頼はなかなか難しいものです。
しかし、信頼関係があると高いパフォーマンスを発揮しやすくストレスも少ないため、組織においては必要なものです。
わりと簡単に信頼という言葉は使われますが、実際に信頼関係を持っている人は少ないでしょう。
今回は信頼の話をしていきます。
必ずしも他者より優れている必要はない
信頼の前に信用を得ないといけないわけですが、信用を得るために特別優れている必要はありません。
組織において信用されるのは成績トップの人間だけでしょうか?
目立った成果を上げないけれどイレギュラーを起こさず、確実に仕事をこなす人もまた信用されます。
大きな成果を残す天才も、コツコツ努力して堅実な仕事をする人も、信用されることに変わりはありません。
むしろ、能力に差が開くと信頼関係を築くのが難しくなります。
レベルの近い者でしか争いは起きないように、信頼もまたレベルの近い者で持ちやすいものです。
軍隊が能力を均一化するのは運用のしやすさもありますが、信頼関係を結びやすくする目的があります。
10人の部隊が10人とも同じ能力なら信頼関係に繋がりやすくなりますが、1人でも超人が混じるとヒーローと民衆の関係になってしまうわけです。
信頼関係を築くためには、自分とレベルの近い者を探す必要があります。
自分が周りよりも劣っているなら能力を伸ばしていけば良いだけです。
人間性無くして信頼は無い
長くいれば、一緒にいれば信頼関係が生まれるというわけではありません。
自衛隊がまさにそんな感じですが、仲が悪かったりストレスを抱えたりすることも多いです。
能力が近いし気の合う相手でも、他力本願で自主的に動かない相手と信頼関係を結ぶのは難しい。
人を見下したり馬鹿にしてばかりの相手と信頼し合う事はまず無いでしょう。
人は自分に対して悪性を求めやすいです。
卑怯な手段や嘘を使った方が楽だし、善良に生きるのは厳しいことだからです。
「仕方ない」
「みんなそうしてる」
「こうしなければ生きられない」
と自分を誤魔化して肯定しがちで、若い頃の私もそうでした。
しかし、他人は基本的に善性を求めています。
法律を犯さないとかそういう善良さではなく、人との繋がりにおける善性です。
反社会的な組織でも簡単に人を裏切ったりするような相手と信頼関係は結べませんが、義理堅い人間は信頼に足る相手です。
身辺警護の世界では、承認欲求が強いと敬遠されます。
「芸能人の◯◯の警護をしていた」
「なんか△△な人で、□□に行っていた」
というクライアントの情報を漏らすのはタブー中のタブーです。
しかし、人に認められたいという意識が強いと自慢話をしたくなり口が軽くなります。
危機管理意識が強い人は洞察力に優れた人が多いので、うわべだけ取り繕っても見抜かれてしまいます。
身辺警護が出来る人が少ないのは能力以前に人間性の問題も大きいです。
人間性を育てようとせずに信頼を得ようとするのは虫の良い話です。
信頼関係という武器を得ようとするなら善良であろうとし、人間性を育てていかなくてはなりません。
バカ話は最短ルート
能力と人間性をクリアした状態での話ですが、バカ話は人と人を繋ぐ役割を果たします。
能力と人間性が信用出来る人であっても、仕事の話しかしない、真面目なことしか言わない人はとっつきにくく人間性が測れません。
それでもいずれは関係を築くことが出来るとは思いますが、自分をある程度オープンにした方が相手にも人間性が伝わりやすいです。
なにより、砕けた話が出来るというのは相手が信用に足る人間でなければ出来ません。
それはお互いの信用の証でもあります。
「あいつこんなこと言ってやがった」
なんて他人に話すような人だったら、私は業務的な話しかしません。
ただ、相手の良いところを他人に話すのは信用を強めますし、私もそうしています。
人と信頼関係を結ぶ時はポジティブな話をした方が良い。
その中でもノーリスクなのがバカ話というわけです。
私は自分の失敗や恥をよく人に話します。
誰も傷つかず、誰も貶めず、笑える話だからです。
信頼関係にある人間のネガティブな話は口にしません。
改善を要するなら論理的に説明しますし、他人に話すことは信頼を損なう行為だからです。
まあ、仲間を悪く言わないというのは人情もありますが、それもやはり人間性なのでしょう。
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