「社会は金床、民衆は金槌」という至言

哲学系記事

「パンプキンシザース」という私の好きなマンガがあります。

ポップなタイトルのわりに重いテーマを扱った物語です。

話が進むほど哲学的な内容が濃くなっていくのですが、その中で主人公の一人であるマルヴィン少尉の考察が

「社会は金床、民衆は金槌」です。

今回はこの至言について話していこうと思います。

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マルヴィン少尉の正義

マルヴィン少尉は病的とも思えるほど真摯に【正義】と向き合う人です。

誰よりも正義を貫きながら、理想に届かない自分を【正義】と名乗ることはありません。

誰もが「子供染みた戯れ言」と説く【正義】を追い求めて考察を続けていました。

ある時、テロリストが帝国の主要施設を占拠し各国の要人を人質に取ります。

帝都が混乱し多くの死者が出る中、マルヴィン少尉はテロリストの一人【シャウラ】と通信で会話をします。

その会話は交渉も兼ねていて、世界中に聞かれていました。

シャウラはマルヴィン少尉に問いかけます。

「この世に正義なんてものがあるのかと」

帝国から受けた迫害に傷つき、絶望し、憎悪したシャウラの願いにも似た質問でした。

マルヴィン少尉は自分の中で大切に育ててきた思想を語ります。

その中で

「一つの正義の上に絶対の正義があるはずだ」

「届かなかった正義の残骸を積み重ねていけば、いつかはそこに至る」

「だから私もここに一つの正義を積み重ねる」

その思想こそが「私の正義だ」と語り、批判も挑戦も受け入れると宣言します。

多くの人はマルヴィン少尉の、人間の感情が無い思想を受け入れられず、怒り煽ります。

テロリストだけでなく民衆もマルヴィン少尉に怒りをぶつけます。

しかし、その中でマルヴィン少尉と話したシャウラだけは

「君の正義を認める」

と返答したのでした。

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社会は金床、民衆は金槌

正義を語らないマルヴィン少尉がなぜ正義を語ったのか?

その答えが「社会は金床、民衆は金槌」です。

金床と金槌は刀鍛治の道具です。

熱した鉄の塊を金床に乗せ、金槌で打ち続け、不純物を除き鋼にしていきます。

自分の思想を社会に出せば、多くの人には理解されず叩かれる。

民衆に叩かれながら鋼のように洗練された思想を作りあげるという考えがありました。

だからマルヴィン少尉は【絶対の正義】ではなく【自分の正義】と語り、批判も挑戦も受け入れます。

それは、より純度の高い【正義】に辿り着くための方法だったわけです。

なんと正々堂々とした考え方でしょうか。

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不純物を取り除く

何かを始めた時、最初の思想は真摯なものかもしれません。

しかし、途中から金銭に目が眩んだり、承認欲求に飲まれたりすることもあるでしょう。

始めたての頃は現実がよく見えておらず、稚拙で浮わついているかもしれません。

誰かに叩かれるということは、そういった不純物を取り除くことにもなります。

しかし、大抵の場合は叩かれたら折れてしまう。

批判を受け入れるほどの器が出来ていなければ、毒にしかならない訳です。

それでも、自分の思想を高めていく過程で批判は避けて通れない道だと思います。

誰の意見も聞かず、自分の中だけで完結する思想にどれほどの価値があるでしょうか。

だからといって浅慮な批判や誹謗中傷を全て相手にしろという話ではありません。

私もおっかなびっくり金床の上を歩く身ですし、当然ながら叩かれることもあります。

批判を全て切り捨てるのではなく正当な物を選別して受け入れていかなければと考えています。

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