己の道を進み、求道者になる

哲学系記事

人間は信頼によって協力し、より良い成果を出す方が良いと私は考えています。

人と協力し、切磋琢磨しながら目標に向かう方が結果に繋がりやすいからです。

自分一人で完結することで、高い成果を出す人はなかなかいません。

しかし、例外的に一人で行動した方が高い成果を残す人がいます。

今回はそんな【求道者】の話です。

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牽引とブレーキ

小学生の頃、日本の農作物の産地を調べるという課題がありました。

特に指定は無かったので、一人でやったり、グループでやったり、各自のやり方で調査します。

グループでやった人間は大体20~30件を調べて報告しました。

一方、一人でやった人間はほとんどが1~5件で、やるのを忘れた奴もいます。

その中にとんでもない奴がいました。

一人で調査した結果、100件以上を報告して周囲を唖然とさせます。

そいつの言い分は

「これくらいやるもんだと思ってた」

でした。

通常、人は一人で何かをやるとき

「これくらいで良いか」

と自分の基準で判断します。

その完成度は一般的な基準より低いことが多いです。

そのため、一人でやるよりも集団でやった方が周りに牽引されて成果を出しやすい。

しかし、自分の基準が一般的な基準の遥か上を行く人が存在していて、私は彼らを求道者と呼びます。

彼らにとって他人はブレーキになります。

「そんなにやらなくても良い」

「普通はこれくらいだ」

と基準を下げられてしまうからです。

前述の課題を100件以上報告した人間が、仮にグループでやっていたら30件ぐらいで終わっていたでしょう。

求める完成度が高い人間は、他人と足並みを揃えると逆にパフォーマンスを落としてしまうわけです。

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超人

筋トレは求道者の特性が発揮されやすい行動です。

基本的には一人で行うものなので、自分の基準で黙々と行うわけです。

同じ期間でも人によって顕著に差が出ます。

ジムに行くこと自体に満足する人間もいれば、海外のボディビルダーを基準に考えている人もいるからです。

日本ボディビル界の伝説に【マッスル北村】という方が存在します。

当時としては圧倒的な筋肉量で、存命ならば世界で戦えたとされる人物でした。

やること成すことが規格外で、普通の価値観で真似することはまず不可能です。

激しい減量の末に餓死してしまったのですが、普通の人間は目の前に食べ物がある状況で餓死出来ません。

強烈な意志と自制心を持った人だったのだと思います。

自伝を読んでいると、周りに影響されず、むしろ周りの制止を振り切って己が道を進む人だったようです。

求道者の中でも格別の存在だったのでしょう。

突き抜けた成果を出そうとするならば、一人でも進めないといけません。

協力し合える他人も、求道の道では障害になり得ます。

周りにどう言われようが、定めた目標に到達することだけを考える。

ニーチェの著者「ツァラトゥストラはかく語りき」で言及されている【超人】とはまさにこういう人を指すのだと思います。

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守破離

武道などにおける概念で「守破離」と呼ばれるものがあります。

●守…教えを忠実に守り習得する

●破…教え以外の技術や概念を取り入れて昇華する

●離…教えを離れ、独自の道を開拓する

というように、人の教えは乗り越えて先に進むものです。

求道者は自然とこれを行っているのだと考えています。

人に教わることは価値のあることですが、同時に普通の人は教えの範囲内で収まりがちです。

高名な師に教わっていることに満足していれば、そこが限界です。

誰かの下についたままでは求道者の領域に遠く及びません。

個人的には「守破離」は普通の人が求道者になるための指標なのだと思います。

人は環境によって人格や能力が変わるものです。

乱暴な言い方をすると、1人の師の下に留まり続けても師の劣化コピーにしかならない。

見識を広げ、師の元を離れて己の道を行く。

そうして生きていく中で何かに出会い成長し、その中で求道者になっていくのだと思います。

生まれついての求道者はごく一部の人間だけでしょう。

しかし、誰しもが化ける可能性を持っていると私は考えています。

さて、この記事を書いていたら筋トレがしたくなってきたのでジムに行ってきます。

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