選民願望

哲学系記事

ユダヤ教では自分達は神に選ばれた存在であるという選民思想が存在します。

選民思想の亜種としては、中世の貴族の人々が平民より優れているという考え方があります。

それらが正しいかどうかは別として、立場という分かりやすい違いがあるのは事実です。

現代において、根拠もなく

「自分は優れている」

「自分は大切にされるべき」

「誰かが自分のために何かをしてくれる」 

という考え方をする人が一定数いて、私はその考え方を「選民願望」と呼びます。

今回はその選民願望の話です。

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天才

自分を天才と思いたがる人は少なからずいるものです。

しかし、凡人と天才の境目は何でしょうか?

よく天才の特徴という記事や動画を見かけますが、アテにならないと思っています。

例えば、私は凡人ですがIQは130ちょっとあります。

これを知った時、自分は天才なのだと自惚れたものでした。

しかし、色々な記事で書いてきましたが若い頃の私は思慮の浅いアホです。

何も出来ないアホが天才とは笑える話です。

天才とは生まれるものではなく、成るものだと考えています。

アインシュタインも功績が無ければ、ただの変なジジイです。

自分の能力や特性を知り、磨きあげ、何かを成すことで天才になるのだと。

別に誰もが知るような功績を残す必要はありません。

会議で誰も思いつかないようなアイデアを出したり、機械よりも精密な手作業が出来たり…それらもまた天才の所業だと思います。

IQが高いとか運動神経が良いとか、先天的な特性に自惚れるのは人の弱さです。

それらはただの特性であって、人の優劣を決めるものではありません。

ただの選民願望です。

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特別

「世界に一つだけの花」という曲を始めて聞いた時から、私はこの曲が好きではありません。

要するに生きているだけで特別という話なのですが、花屋の店先に並んでいるのは「綺麗な花」だけです。

道端の雑草に人は見向きもしません。

一人一人違っていようが誰も気にもしません。

何も積み上げず、何も成し遂げず、誰も救わない…それにも関わらず自分は特別と主張するのは無理があります。

世の中には好きなことに全力で打ち込んで成果を挙げた人、苦しくても努力を積み上げて成果を挙げた人がいるわけですよ。

にも関わらず「みんな特別なオンリーワン」というのは受け入れ難いことです。

人に生きてる価値が無いと言いたい訳ではありません。

私が生きているのは、農家の人が作物を作ったり、輸入業者の人が食品や生活物資を仕入れたり、社会のインフラを支える人がいたりする人がいるからです。

人は退屈でも死にます。

本やマンガ、映画、動画、その他の娯楽を作る人達がいるから楽しむことが出来ます。

もっと言うと、消費者である限り経済の一端を担っています。

これらは綺麗事ではなく、シンプルに事実です。

人はそれぞれ役割を担っています。

それに感謝することはおかしい事ではありません。

ただ、彼らも同じように誰かの恩恵で生きています。

だから、誰かが特別ということはありません。

それでも経済に、社会に、集団に、国に、人類に、著しく貢献した人達がいて、彼らを呼ぶに相応しい言葉が「特別」です。

「自分は特別」

そう思うことは構いませんし、むしろ私もそう思っています。

自分の人生の主人公は自分ですからね。

だからといって他人に特別扱いを求めるのは間違っています。

人によっては、子供の頃から親に大切にされてきたかもしれません。

それは親が、自分の子供という特別扱いをしていたからです。

他人が他人を特別扱いするには相応の理由が必要です。

その理由も持たずに特別扱いを求めるのは、おこがましい。

それもまた選民願望なんですよ。

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祈る手を動かせ

自衛隊時代にパチスロ依存症の上司がいました。

1000円でもあればパチンコ屋に行くので、当然お金がありません。

演習に必要な道具や食料品も買えず、いつも他の隊員から金を借りていました。

複数人から借りていて返済はあったり無かったりで、かつ生活費と称して借りた金でパチンコ屋へ行くような人です。

私も声をかけられることが度々ありましたが、毎回断るようにしていました。

評判は伺っていましたから。

ある時、上司は隊員の一人に返済を迫られて逆ギレします。 

「俺がこんなに困ってるのに金を返せというのか」

隊員からすれば「知らんわ」という話です。

それからは金を貸す人がいなくなりました。

さらにある時、消費者金融の返済で本気で困っていたらしく、駄目元で私に声をかけてきました。

当然断るのですが、いくつか金策の方法を提案します。

車の相場を調べて私有車を一番高く買ってくれる店を教えたり…

第三者を立てて借用書を書き、返済日を定めれば人によっては貸してくれるかも…

などなど。

我ながら甘いなと思っていたのですが…めちゃくちゃキレられました。

「お前が金を貸してくれれば済む話じゃないのか」

「返せなかったら大変なことになるんだぞ」

知ったことではありません。

上司は私にとって特別な存在でも何でもありませんから。

信頼関係にある人間なら手を貸しますが、上司との間にそれはありませんでした。

なので、私はそこで見放しました。

厳しいようですが、人生は自己責任です。

追い詰められないように行動する必要があり、そうなった場合は打開策を用意する必要があります。

信頼関係を築いておけば困った時に力になってくれる人もいるでしょう。

そうで無い場合は、相応の対価によって協力してくれる人を探す必要があります。

基本的に無償で助けてくれる人はいないんですよ。

しかし、上司は誰かが助けてくれると根拠無く考えていました。

自分の行いを省みず、助けてくれない人を非難するといった具合です。

根拠も無く「誰かが助けてくれる」という考え方は、やはり選民願望です。

「沈むボートで祈る暇があったら、バケツを持って水を掻き出せ」

誰の言葉かは忘れましたが、的を射た言葉です。

自立する者は、ボートに乗る前に損傷が無いか点検し、救命胴衣を積み、ボート小屋の管理人の連絡先を把握する。

それでもなお、緊急時には打てる手を全て打ってからバケツで水を掻き出す。

自立しない者は、何も考えずボートに乗り、無謀な操作をする。

緊急時には大声で喚き、やがて神に祈りながら沈んでいく。

救われる人は、やるべきことをやってきた人か、単純に運が良かった人だけです。

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