議論とは協力である

哲学系記事

議論は複数人が集まって意見を出し合い、より良い答えを探ることを目的とします。

…が、正しく議論が行われているかは微妙なところです。

というのも、自分の意見を否定されたら自分自身を否定されたように感じる人もいるし、私利私欲で結論を歪めようとする人もいます。

今回はそんな議論の話です。

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勝ち負けという概念は無い

前述のとおり、議論はより良い答えに辿り着くための手段です。

にも関わらず、勝ち負けで考える人は多いです。

勝ち負けがあるのは口喧嘩です。

議論に勝ち負けを持ち込む人は、議論ではなく口喧嘩をしているので話の内容がどこか浮いています。

また、結論を歪める人も厄介です。

結論は合理的なものである必要があります。

それを無視して自分の都合が良い結論にするために屁理屈を並べる人は意外と多いです。

議論の邪魔になるものは

・承認欲求
・利己心
・偏見または価値観の固定

大体この3つです。

自分の意見に対して反対意見を出された時

「あーなるほどー」

ってな感じで意見を考慮出来るかどうか、それは議論をする上で重要な資質です。

反対意見を出された瞬間、脊髄反射で拒否して自分の意見の正当性を主張すると、段々としどろもどろになるし結論が歪みます。

意見を否定されると感情的になる人は、どんなに高名な学者や専門家でも議論に向いていません。

また、昔の会社で能力のわりにプライドが高い人がいたのですが、その人は

「自分が舐められている」

という被害妄想を爆発させて、会議で

「軍隊制度を導入しよう」

という提案をゴリ押してきました。

ちなみにその人は自衛官でも軍人でもない普通のサラリーマンです。

軍隊制度が「上には絶対服従」という典型的な勘違いからの発言で、要するにシステムで自分の言うことに従わせようと考えたわけです。

ブラック化待ったなしで離職者が増えるアホな提案だったから否定しましたが、しどろもどろになりながらも最後まで押し通そうとしていました。

私利私欲の意見を通すと全体が不利益になります。

全体の利益を第一に考えられない人もまた、議論には向いていません。

柔軟な考えが出来るというのも重要な資質です。

頭の固い会議だと、斬新な意見は大体

「ふざけているのか、真面目に考えろ」

と否定されてしまいます。

無難な意見というのは誰でも思いつくことです。

それしか出ない議論は無意味です。

各々が考えた意見が集まることで議論は意味を為します。

「この意見を言ったら怒られる」

という状況が多い議論ほど無難な意見しか出なくなります。

一つの意見が完全なものである必要はなく、使える要素があれば取り入れる。

全員で意見の中から取捨選択し、合理性のある結論に繋げていくのが議論です。

いわゆる「論破」っていうものは勝ち負けではなく、より良い意見の取捨選択です。

結果的に論破が発生することはありますが、論破目的の議論はただの口喧嘩なんですよ。

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役割

例えば、医療について議論をするとします。

私の医療の知識は一般的な応急処置と戦場救護、それらに関する傷病や状態変化だけです。

だから、医療の専門家と議論すると基本的に相手の方が正しいことを言います。

詭弁を使って相手を言いくるめても議論としては無意味です。

そこでの私の役割は、いかにして相手に正しいことを言わせるかです。

まず、相手が付け焼き刃ではない「本物」であるかどうかを見抜くこと。

→相手の表情や反応を読む、ソクラテスの「問答」を使ってもいい。

次に感情を挟まずに話させること。

→自分が努めて冷静かつ穏やかに話せば相手も感情的にはならない。
 感情的になる場合は不都合なことや気に入らないことがある。

最後に見栄や欲が見えたら、そこを是正することです。

→議論として中身の無い話が長く続いたら、話を遮って進行する。「今はそれ関係ないですよね」とか「本題が逸れています」など、あえて水を差します。

また、その時は質問も自分の役割だと思っています。

例えば、多数の患者がいる時に治療の緊急性を判断して優先順位をつける「トリアージ」。

当然ながら専門用語が分からない人もいます。

例え自分や話者が分かっていても、知らない人がいそうな単語は意味を聞いたりして意見が全体に浸透しやすいように誘導します。

わざと難しい言葉を使いたがるアホもいますが、知識のある人は一般的な言葉と専門用語の区別がついていない場合があるので、意味を聞くというのは重要です。

抽象的な意見が多い場合は、意味を理解したら代わりに補足説明したりするとスムーズに進行出来ます。

逆に自分が十分な知識を備えている場合は、なるべく伝わり易さを心掛けて話します。

極力一般的な単語で具体性を持ち、実際の事例や研究結果、例え話などを織り混ぜながら話すと伝わりやすいです。

理解力というのは長所ですが、相手が必ずしも備えているとは限らないですから。

また、意見が長いと訳が分からなくなりやすいので、短くまとめること、本題から脱線しないように心掛けることも大切です。

言いたい事を言っても周りがポカンとしていたら意味がありません。

議論の際には、そこで自分に何が出来るか見定めて行う必要があります。

前述の通り無難な意見しか出ない議論は意味がありませんが、奇抜な意見ばかりの議論もまとまりません。

斬新な意見があれば反応を恐れず出すべきだし、地に足がついた意見も議論をまとめやすくします。

別に議論の前に形式的に役割を決める必要はなく、議論の中で必要だと思うことをやる。

それが役割だと考えています。

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結論に従うか否か

基本的に議論から出た結論には従うものです。

逆らったら議論した意味がありません。

ただ、一方で議論そのものが合理的であったかどうかを判断する必要もあります。

私は議論が全体ではなく誰かの都合に大きく左右された場合は従いません。

それは全体に不利益なことが多いからです。

また、合理的に進行した議論の結論が合理性に欠く場合、従いつつも裏で違う作業をします。

例えば「今後は勤務時間を記録しない」という結論が出たとします。

まあ極端な例なのでアホな結論ですが、それに従うと残業時間が分からないので個人で記録を残します。

実際、全体を考えて合理的に話せる人ばかりではないので、議論には誰かの都合が挟まることが多いです。

皆で話し合った結論だからと思考停止するのも組織の腐敗を招く原因です。

自分が真に全体のことを考えているなら、結論に逆らう事も視野に入れるべきだと考えています。

もちろん私利私欲で結論に従わないのは論外です。

自分は当然すべきではないし、そういう人がいたら理由を徹底的に追及すべきです。

万人が納得する結論はありません。

ただ、合理性に基づいた結論なら納得する可能性は高いです。

結論もまた、判断の対象になるわけです。

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