認識のズレによるコンプレックス

哲学系記事

コンプレックスは主に「劣等感」として扱われますが、広義の意味では複雑な感情のことです。

そのため、何かに劣る人が抱く印象を持ちやすいですが、実は逆もあったりします。

例えば、能力の高い人が自分より能力の低い人に抱くパターン。

二流のスポーツ選手がyoutubeで成功した時、一流のスポーツ選手より知名度も収入も上になったりします。

そんな時に一流の選手の中には

「なんであんな奴が…」

と思う人もいるでしょう。

まあ、動画配信は別ジャンルの世界なのでスポーツの実力はそんなに関係無いのですが、同じ競技者として見てしまうとそうなってしまいます。

高い能力がありながら、捉え方のズレで劣等感を抱く…今回はそんな話をしようと思います。

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能力が高すぎると理解されない

「能力の偏差値」という記事で話したことですが、IQ(知能指数)は20離れると会話が成立し難いそうです。

同じように能力も、平均を100として偏差値が20離れると理解されなくなると私は考えています。

能力が高いほど他者から理解されなくなり、コンプレックスを抱いてしまう。

例えば、「思考力」の偏差値が150の人と110の人がいたとします。

普通の人からすれば150の人は何を言ってるのかよく分からない化け物です。

逆に、110の人の言葉は理解されますし、普通の人より賢いので評価もされる。

しかし、150の人からすれば110の人の言葉は大して価値が無いものです。

にも関わらず自分は迫害され、110の人は評価される。

そうしてコンプレックスを抱いてしまうわけです。

ただ、これは「自分の考えは理解されないものだ」ということを理解していないんですよ。

能力が足りなければ、出来ないものは出来ないんです。

ベンチプレス80キロの人に、「100キロ持ち上げろ」って言ったところで出来る訳がない。

普通の人に150の人の考えを理解するのは、根本的に無理なんです。

ちょっと嫌な例え方をすると、猿の集団に人間が混じっていたら迫害されるんですよ。

猿より頭が良いからといって丁重に扱われることはない。

猿のカリスマは猿にしかなれません。

猿から評価されるためには、大量のエサを確保したり、外的を排除したりするなど分かりやすい実績が必要です。

同じように人の社会で高い能力を有するなら、理解されないのは当たり前です。

理解されることを望むなら実績を残すしかない。

アインシュタインだって実績が無ければ、頭のおかしいジジイとして扱われますよ。

「理解出来ない奴らが悪い」

…のではなく、理解されるようにしないのが間違っているんです。

また、どうにもならなければ「そういうものだ」と割りきって諦めるしかないです。

どんなに嫌だったとしても、一人の人間ごときが世の中の理を曲げることは出来ないからです。

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ジャンルの違い

冒頭でも話したことですが、ジャンルが違うものに大してコンプレックスを抱くこともあります。

例えば、元自衛官が自衛隊をネタにして目立つ活動をすると、現職や他の元自衛官から嫌われやすいです。

元自衛官の若い人は、数年で退職する場合が多いです。

そのため

「数年しかやってない奴が目立ちやがって」

「なんであんな奴が人気なんだ」

って思う人が一定数いるんですよ。

これは自分と同じ「自衛官」というカテゴリーで見てるからなんですよね。

動画配信をするにしてもSNSのフォロワーを増やすにしても、そのカテゴリーに合った技量が必要です。

それは自衛官に必要な技量とは全く別物です。

仮に特殊部隊出身のベテランが動画配信したとしても、つまらなかったら誰も見ないですよ。

SNSでフォロワーを増やすにしても経歴だけでは不十分で、コピーライティングの技術が伴わないと難しいです。

要するに「元自衛官」というだけで、全然違うことをやってる人達なんですよ。

自衛隊を何年やってようが階級がいくつだろうが、関係ねーわけです。

私は自衛隊に10年いて階級が3曹だったこともあり、記事を書いていても文句は言われにくいです。

…が、ごく稀に記事について突っ込まれたりします。

「日米共同訓練の話をしよう」という記事を書いた時は

「別班の方がレベルが高い事やってる」

「そんな程度のことで偉そうにするな」

と言われたりしました。

別班というのは諜報部隊で、要はスパイですね。

「知らねーよ」という話です。

一般の人向けに書いた娯楽記事なので、訓練のレベルを競う気は無いんですよ。

記事を読んだ人が面白いと思うかが重要ですからね。

やってることのジャンルが違うわけです。

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攻撃性のコンプレックス

例えば、美男美女に対して妬みを持つ人が正直に

「美男美女だから気に入らない」

「モテるから気に入らない」

って言うことはまずありません。

大抵は本音を隠して建前の理由で非難します。

「あいつは調子に乗ってる」

「~だから性格悪い」

みたいに、何かしら責める要素を探して攻撃するわけです。

完璧な人間はまずいないので、重箱の隅をつつけば責める要素はいくらでも出てきます。

執拗に責められ続けると

「自分に非があるから言われているんだ」

と思ってしまいます。

身長や容姿みたいな身体的な長所や、名声があると言われやすいです。

謙虚過ぎると言われたことをそのまま受けとってしまいます。

純粋に誰かのために発言する人は、攻撃性を持ちません。

ネガティブな感情が根底にあるから攻撃性を持つものです。

自分から他者に攻撃したとか、自己中心的な言動をしたとか、社会に迷惑をかけたのであれば攻撃されることもあるでしょう。

しかし、そうでない場合は十中八九が相手の感情の問題なんですよ。

自分の振る舞いに気をつけていれば、よりハッキリと分かります。

筋を通して善良に生きているのであれば、攻撃的な意見は相手の妬みと思って構いません。

そもそも、人間ってそんなに立派なものじゃないんですよ。

人は欠点だらけで、一生をかけて欠点という穴を塞いでいくものです。

穴を塞いだ数が多いほど立派な人間になっていくんですよ。

何にせよ、人の心理が分かるようになると気にしなくなるものです。

逆に、他者に対して攻撃的に生きているのであれば自己責任です。

人を非難する人、誹謗中傷する人、間違いを指摘する人にも欠点が存在します。

その自覚が無い人ほど他者を痛烈に責めることが出来る。

例えば、他人を攻撃して自分が攻撃されたら被害者を装う人っていますよね。

それも自分に欠点があるという自覚が無いからです。

まあ…それを見てて不愉快に思うのは分かりますし、私も自己責任だと思っています。

しかし、断罪が過ぎるのもまた悪です。

相手を執拗に攻撃すると、自分もまた同類という証明になってしまいますから。

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