前にフランス外人部隊出身のYoutuber「yuta」さんの動画に出た際に、災害派遣と日米共同訓練の話を聞きたいというコメントを頂いて
「あー、いつか話したいな」と思ってました。
災害派遣は東日本大震災と御嶽山の噴火に出動しています。
ただ、被災された方や亡くなられた方とその遺族がいて、その時の傷を掘り起こすことになりかねないと思っています。
なので、私は災害派遣について詳しく話せません。
その点、日米共同訓練は問題無さそうなので、今回はその話をしていこうと思います。
訓練内容を話してしまうと流石に自衛隊も怒ると思うので、主にどんな生活をしていたかが中心になります。
日本からシアトル、そしてヤキマへ
日米共同訓練は参加する各部隊が中隊規模の人数を派遣し、現地で統合して連隊として訓練します。
米国ワシントン州にあるヤキマ演習場が訓練の場所となり、目的地へ向けて飛行機で移動することになりました。
日本からニューヨークを経由しシアトルへ、渡米初日は市内のモーテルに宿泊することになりました。
飛行機の移動が乗り継ぎ含めて10時間以上になり、その間タバコを吸えなかった私は早くも瀕死になりかけます。
2日目、陸路でヤキマ演習場へ向かいます。
ヤキマ演習場は砂漠の中にある演習場で、宿舎区画はカラッとした暑さと砂ぼこりが起こる「砂漠の町」みたいな場所でした。
宿舎は扉の無い個室が並び、個室には二段ベッドがあるだけの簡素な作りです。
当然プライベートなんて無いのですが、自衛隊演習場の汚い宿舎に比べたら段違いに快適な環境です。
宿舎区画には売店やフードコート、ジュースバー、トレーニングジムなど設備が至れり尽くせりで
「あ、ここにずっと住みたい」
と思わず口に出るほどでした。
宿舎区画には定期的にゴミ収集車が来るのですが、回収方法がアメリカらしいダイナミックなやり方でめちゃくちゃ笑ったのを覚えています。
動画があるので検索してみて下さい。
宿舎区画から少し移動すると演習場が広がっているのですが、砂漠といっても枯れた木や草が点在する荒野という感じです。
景色から「ヒルズハブアイズ」という映画を思い浮かべました。
暑いし砂っぽいのですが不快な感じがしませんでした。
むしろ、普段の演習場のジメッとした泥土の環境に比べたら快適です。
ここで訓練するのかと思うとワクワクしてきました。
米兵との交流
到着後から米兵と積極的に交流するように指示が出ていたのですが…
私の部隊は内弁慶が多かったので、普段強気な陸曹たちも借りてきた猫のように大人しい。
さらに日本語も通じないため、最初は交流しようとしていませんでした。
ある時、中隊長が
「お前らどうせ日本人ともロクに話せないんだから、言葉が通じないくらいの方が話せるだろ」
と良く分からない事を言い出しました。
しかし、その時は
「あ、そっかー!」
と何故かみんな納得して、それから交流するようになりました。
あの時の中隊長は本当にスゴイと思います。
米兵は米兵でフランクに接してくるので、単語を並べただけの片言の英語でも理解しようとしてくれるので話しやすいです。
米兵は体が大きく筋肉が凄いです、自衛官と比べると大人と中学生くらいの差があります。
訓練中は自分の役割を終えたら雑誌を読んだりとリラックスしていて余計な気を使いません。
訓練の一つ一つの物事を効率的にこなしていて、やっぱり兵士ってこうだよなーと感心しました。
米兵の宿舎に遊びに行くようになってからは、グッズを交換したりもします。
米兵は日本のグッズ…扇子などの他に部隊のワッペンや自衛隊の作業帽を欲しがりますが、一番テンションが上がっていたのは何故か日本刀のオモチャでした(笑)
交流するうちになんとなく相手が言ってることが分かるようになり、めちゃくちゃ口が悪いことに気がつきます。
漫才みたいで面白いのですが、苦手な人は苦手のようです。
米兵の食堂に行った時、気の良さそうな黒人が
「おら、クソだ食え」
みたいな感じで料理を盛ってるのを見て、すげー笑いました(笑)
ビーチバレー
交流イベントの一環で、自衛官チームと米兵チームでビーチバレーをやることになりました。
結構な数のギャラリーがいて若干緊張します。
そこで気がついたのですが、私は絶望的にビーチバレーが下手でした。
レシーブしたボールが味方の後頭部に直撃したり、スパイクしたボールが手前でバウンドして味方の股関を直撃したりと珍プレーを連発してしまいます。
気がつけばあちこちで笑いが起き、顔を真っ赤にした上官が恥ずかしそうに近づいて来て
「お前、恥ずかしいから変われ」
と言われてしまいます。
しかし、このままでは終われないと思った私は食い下がるのですが…強制的にコートから引きずり出されてしまいました。
それを見てまた笑い転げる自衛官と米兵たち。
盛大に恥をかいたわけですが、それからは色々なところで米兵に話しかけられるようになり、一緒に写真を撮ったりワッペンを貰ったりするようになりました。
怪我の功名とはこのことです。
②へ続く
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