善良であろうとする意味

哲学系記事

今まで色々な経験をして、世の中の綺麗な部分も汚い部分も散々見てきました。

人や世の中に何度も失望しましたし、普通に生きていれば知り得ないような悪意や腐敗も目にしています。

10代の頃は精神が未熟なこともあって、人が外面だけ取り繕うのにウンザリしていて

「世の中は騙し合い、人を騙すほうが得だ」 

と思っていた時期もあります。

しかし、今は善良であろうとすることの大切さを理解しています。

今回は、私が人生で考え方を変えるきっかけになった人の話をしていこうと思います。

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兎の神社のオッサン

うろ覚えなので細かい部分は忘れています。

高校時代の私は、一見真面目に見えるのに学校をサボったりする変な生徒として教師に扱われていました。

内申に似たようなことが書かれていてゲラゲラ笑った記憶があります。

サボってどこに行ってるのかというと、図書館や博物館、史跡や資料館に行ってました。

ある日の昼休みにサボり仲間とラーメンを食べに行った後、1人で街中をフラフラしていると神社を発見します。

神社を散策していると、あちこちに兎が奉られていて非常に興味をそそられました。

しばらく兎をぼけーっと眺めていると

「珍しいよね」

と知らないオッサンに声をかけられました。

「そうですねー」

と答えて立ち去ろうとすると

「その学ラン○○だよね」

あ、やっべと思った私は

「はい、課外活動で近くの史跡を調べいるんです」

と咄嗟に嘘をつきました。

大人を騙すのも慣れていたし、普通のオッサンに見えたから油断してました。

「あー、大丈夫大丈夫、別に通報したりしないよ」

即バレて、しかも先読みされて返事が来ました。

「僕も仕事サボってるから」

とフフンと言った感じで堂々と自白してきたので、私も気が緩みます。

それでも面倒臭いのでその場を離れようとするのですが、オッサンのトークスキルが凄すぎて丸め込まれていきました。

途中、自販機でファンタグレープをおごって貰い、ベンチに場所を移します。

「なんでそんなに話が上手いんですか」

と素朴な質問をすると

「僕はね、前は大きい会社にいたんだよ」

「そこでね、お客さんに商品を売ってたんだ」

当時は何のことか分かりませんでしたが、今にして思えば証券かなと思います。

「でもね、その商品がもうヒドイんだよ」

「給料がたくさん貰える分、ノルマがあるからお客さんを騙して買わせないといけないの」

「だから話すのが上手くなったんだ」

とオッサン。

「お金が貰えるなら別に良いと思う?」

私「はい、何で辞めたんですか?」

「若い頃は僕も、騙した方が得だと思ってたよ」

「でも、嘘をつくのが嫌になってきたんだ」

私「なんでですか?」

「だって性格が悪くなるんだもん」

「顔つきもだんだんキツくなっていって」

「気がついたら離婚して、友達もいなくなってさ」

「みんな僕のことが嫌いになってた」

「そりゃそうだよね」

「騙すことしか考えないオジサンなんて誰も好きにならないよ」

私「あー……」

私は何も言えませんでした。

「一度、信用を失ったら何しても駄目だよ」

「心を入れ替えても、誰も相手にしてくれないから」

「会社を辞めたら同僚とも付き合いが無くなってね」

「寂しいからカエル君みたいな人に声をかけてるわけ」

最初は心底どうでもよかったオッサンの身上話が、後半になると刺さるようになってきました。

「誰だって嫌な奴とは仲良くなりたくないでしょ」

「だから良い人になった方がいいよ」

オッサンとは三國志の武将の話とか色々したのですが、この部分だけインパクトが強くて鮮明に覚えてます。

たった一度会っただけの何の変哲もないオッサンの話が、考え方を変えるきっかけになりました。

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杉山先生

私が小学4年生の頃、共感能力が無いうえに変なことに興味を持つ子供だったのでクラスで浮いた存在でした。

家にも居場所が無かったので学校が終わっても帰ろうとせず、いつも校内をウロウロしていました。

ある日、杉山先生という学年の教師に声をかけられます。

この先生は変わった人で、歴史や生物に博識で、また自費出版で詩集を出したりする文化的な人でした。

私が読書感想文で出した三蔵法師の本に興味を持ち、「貸してくれ」と言ってきたり、その本を読み終わるまで中々返してくれなかったりという変人ぶりです。

先生に声をかけられてからの放課後は、将棋やチェス、草花や生物の名前、世の中の歴史や文化を教えてもらいました。

文章を書くという楽しさを教わったのもこの時です。

私の趣味嗜好はこの先生の影響を強く受けているようです。

ある日、先生から道徳を習います。

「今日、カエルは○○を泣かせたよね」

「何で○○は泣いたと思う?」

その日、私はアゲハ蝶の幼虫を捕まえました。

他の男子に「○○がそれ好きだから見せた方がいいよ」と言われて、その女の子に見せたら泣き出したという経緯があります。

「分からない」

と私は答えます。

こんなにカッコ良くて不思議な生き物を見て、喜ばない意味が分からないと本気で思ってました。

「○○は幼虫が嫌いだからだよ」

私「何で嫌いなの?」

「カエルは自然がいっぱいあるところにいたから生物が好きだよね」

「でも、○○は生物があまりいないところに住んでたから、怖いんだよ」

私「へー、そうなんだ」

「カエルは自分がやられたら嫌なことはしないから偉いよね」

私「うん」

「でもね」

「カエルが嫌じゃないことでも、やられたら嫌だと思う人がいるんだよ」

私「そうなの?」

「そうだよ」

「カエルは自分の気持ちしか分からないんだよ」

「他の人とカエルの気持ちは違うから気をつけないといけないよ」

私「どうやって?」

「人のことをよく見てごらん」

「一人一人がみんな違うから」

「泣いたり笑ったりしてるのが分からない時は、何があってそうなったのかを考えるんだ」

それからの私は言われた通り人を観察するようになります。

ジャングルジムの上から遊んでる生徒達を観察したり、通りすがる人をジーっと眺めたり。

今にして思えば相当変な奴でした。

でも観察して考えることを繰り返していると人の気持ちが推測出来るようになり、高学年になった時にはクラスで普通に打ち解けるようになりました。

正直、杉山先生がいなかったらヤバめのサイコパスになってたかもしれません。

それまで仕事だからと私に接触する教師は何人もいましたが、みんな匙を投げました。

善き教育者であろうとして、明らかに変な生徒でも真剣に向き合った杉山先生は、純粋に教育者として凄いなあと今でも思います。

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ベテランの2曹

自衛隊3年目、まだ陸士長だった頃の話です。

理不尽や非合理的なことが多くて嫌気がさし、仕事がいい加減になってた頃でした。

ある作業の報告をベテランの2曹にした時

「カエルの報告はカッコいいなあ」

「仕事もちゃんとやればもっとカッコいいのにな」

と言われました。

今にして思えば上手く乗せられたのですが…

カッコいいジジイを目指す私に、この言葉は刺さりました。

「なるほど、ちゃんとやろう」と思うようになり、ベテランの2曹に色々と教わります。

全体の仕組みを理解して動くこと、副案を持って行動すること、組織の中の役割を全うすること、人に隷属しないことなどなど。

それらは3曹になった時、自分の武器になりました。

それから数年後、ベテランの2曹の転属が決まり送別会を開いた時のこと。

「あの時、上手く乗せられましたw」

とベテランの2曹に言ってみました。

すると、

「それもあるけど、本気で思ったから言ったんだ」

「自分を認めない奴の言うことなんて聞きたくないだろ」

「相手のことを馬鹿にしてたら、誰も真剣に聞かなくなるからな」

「カエルも信頼関係を結びたいなら、まず相手の良いところを認めろ」

と返事が返ってきました。

その言葉を聞いた時、

「ああ、この人は本物の陸曹なんだな」

と心から思いました。

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善良であろうとする意味

善良な行いは形骸化しやすく、自分の評価のためだけに行われがちです。

かつての私もそうでしたが、その行いを「偽善」と笑う人達もいます。

しかし、そこには忘れ去られた本来の意味があり、人生を通して再び見つけ出した人達がいます。

ただ闇雲に善行を行うのではなく、善良であろうとすることの意味を問いましょう。

必ず合理的な理由があり、善の価値に気付けるはずです。

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