人の痛みと向き合うこと

哲学系記事
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悩み相談や誰かを助けることは難しいことです。

承認欲求があると自分の評価のために行動してしまうので、本当の意味で誰かの痛みを解決することが出来ません。

私は普通の人よりも他人の内面が見えるので、本気で人のために行動出来る人は物凄く輝いて見えます。

今回は人の痛みと向き合うことについて話していきます。

偽善とは思考しない善

長年考えてきた「偽善」の定義を、私は「思考しない善」であると結論を出しました。

2011年に起きた東日本大震災の折に多くのボランティアが集まりました。

そこで問題になったのは手ぶらで来るボランティアです。

現地では被災者の避難場所や物資が足りないと何度も報道されていましたが、情報をよく調べずに来る方が多かったようです。

ボランティアが被災者の避難施設に宿泊し、被災者用の毛布や食料を要求し、数日働いたら作業に出なくなり、なかなか帰ろうとしない。

そんな人もいたようで、真剣に手伝いに来た人達の負担になっていました。

本気で被災者を助けようと思ったら、情報を集めて必要なものを準備するでしょう。

自分で持ち込んだテントや食料で生活しながらボランティア活動をしていた人達もいました。

しかし、「ボランティアに参加した」という評価が欲しいだけの人達は結局のところ自分の事しか考えていません。

帰ってくれといわれたら「善意で来てやったのに」と逆ギレしたそうです。

善行を行うとき、それが本当に効果があるかどうかを考える必要があります。

高額の募金をした人が売名行為だ偽善だと叩かれたりしていましたが、その募金は被災者の役に立っている以上は善です。

「偽善」というのは本当に人のためになるかどうかを考えない、思考しない善であると私は考えます。

自己評価のために、役に立たないどころか足を引っ張っているのに善を騙る。

悪党よりも質が悪いと思いませんか?

思考しない善では人の痛みを解決することは出来ません。

真剣に人の痛みと向き合って解決出来るなら、どんな理由だろうと偽善では無いと私は思います。

相談を受ける人の資質

相談を受ける人の重要な資質は共感能力です。

​大抵の場合、相談をする時は自分の痛みを理解して欲しいという気持ちになっています。

その気持ちに共感するだけで大抵の相談は解決します。

合理的に考えれば悩まずに行動した方が良いのですが、人の心はそんなに単純ではありません。

ただ真剣に痛みに共感して貰えるだけで救われることもあるものです。

人の痛みに共感して真剣に向き合う人達は私にとって眩しい存在です。

私は共感能力が無いから相談を受ける人間としては二流止まりです。

問題に対して具体的な解決案しか提示出来ません。

痛みを理解して欲しい人達とは相性がとことん悪いです。

ただ、行動しなければ解決しないことも多いので、論理的に説明して諭したり、時にはひっぱたいてでたも人を動かす必要があります。

私は共感能力が無いからこそ厳しい意見を突きつけることも出来るので、二流は二流なりのやり方でいこうと考えています。

人の痛みに向き合うこと

私は別に「人の痛みに向き合え」と言いたいのではありません。

なんというか…善良であろうとすることの副産物なので、明確なメリットを説明することが出来ないからです。

人の痛みを解決することからビジネスが始まったりしますからメリットが無いとも言い切れないのですが…大分ふわっとした感じです。

私としては自分の仕事が悪党寄りの商売なので、善行を積む方がバランス取れて良いなと考えています。

まあ、死んで地獄に落ちた時は閻魔様に申し開きぐらいは出来るんじゃないかなと思います(笑)

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