欲望を恋愛と呼び、信頼を愛情と呼ぶ

哲学系記事
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今回は恋愛嫌いで共感能力の無い私が、俯瞰的に恋愛感情を考察した話です。

多分、この話をしたら死ぬほど叩かれるだろうと思いますし、実際に憤慨する人もいました。

人によっては顔面をグーで殴られるような話です。

しかし、恋愛に嫌気がさした人や円満な夫婦生活を営む人達には支持された話なので投稿しようと思います。

恋愛感情は欲望である

異性を求めるのは生物として原始的な欲求です。

精神が成熟して欲求をコントロール出来るようになると落ち着いていき、安易に欲求を満たす行動を避けるようになるものです。

恋愛感情を抱いた時、または恋愛というコンテンツに浸る時、欲望であるが故に【テイク】することばかりを考えてしまいがちです。

ここで言う【テイク】とは相手を利用して欲望を叶えることです。

相手を手に入れたいという欲望から始まり、

・承認欲求⇒相手や周りから認められたい
      無条件で大切にされたい

・性欲  ⇒性行為以外に会話も含む

・優越感 ⇒交際相手がいることを自慢したい

・物欲  ⇒金銭やプレゼントなどが欲しい

・披保護欲⇒親のように甘えたい、甘やかされたい

それ以外にはマンガやドラマのシーンのような体験がしたいというシチュエーションに対する欲求もあります。

恋愛感情というものはこういった欲望のパッケージです。

欲望を叶えることを相手に求めるので、基本的には【テイク】と【テイク】のぶつけ合いです。

お互いの需要と供給が重なれば上手く行くものの、大抵はどちらかが搾取されることになります。

また、痴情のもつれから傷害や脅迫などのトラブルに発展するのも欲望であるからこそです。

しかし「恋愛は素晴らしいもの」というPRを国を上げて散々行ってきたために、迷惑行為も「恋愛」で正当化されてしまいがちです。

上記に列挙した欲望を見れば綺麗なものとは思えないですが、フィクションの世界ではさも綺麗で高尚なものとして扱われています。

恋愛という欲望に依存している人は、迷惑行為を咎められてもヒロイズムに酔って責任能力を持ちません。

また、「色目を使う」という言葉があるように、強い欲望を持つ人は目に表れます。

彼氏彼女が欲しいと思う時、自分の欲望を満たしたいという【テイク】の精神で探す人がほとんどだと思います。

逆に相手を楽しませたい、力になりたいという【ギブ】の精神で動く人はまずいません。

【ギブ】の精神を装おっても、見返りを要求する欲が見え隠れします。

賢い人や敏感な人は欲望を持つ相手を見抜いて避けるため、欲望をぶつけても叶うとは限りません。

恋愛という欲望を人にぶつけようとする限り、本当に愛されることはないでしょう。

欲望を向けた相手から反応があったとしても、向けられる強い感情はまた欲望なのです。

愛情とは信頼関係の一つの形である

欲望から来る強い感情は人を情熱的に見せる反面、長く持続はしません。

今まで、恋愛の勢いで結婚した夫婦が数年で破局する様を散々見せられて来ました。

自衛隊だと隊員の数が多いので結婚式も多く、タイミングが悪いと御祝儀が税金並みに持っていかれます。

一年や二年で離婚してまた結婚式をやる隊員もいて、御祝儀とは何なのかと考えてしまう。

結婚生活が続いていても、経済的理由で離婚しないだけで仲が悪い夫婦も散々見て来ました。

しかし、夫婦円満に長く結婚生活が続く人たちもいます。

そういう夫婦は大体、人格者でした。

上手くいく夫婦には十中八九、信頼関係があります。

【ギブ】と【ギブ】の精神で成り立つ信頼関係が夫婦間にあるから円満です。

お互いがお互いを馬鹿にしたりしないし、自分の方が大変だと主張することもない。

人格者が片方だけだと一方的に搾取され続けるでしょう。

自立している…自分一人でも生きていける人同士が協力して家庭という組織を築いていけば、上手くいくのは自然なことです。

私は男女間における信頼関係を【愛情】と呼ぶのではないかと思います。

信頼関係の大切さは過去の記事でも説いてきましたが、夫婦間でも同じことです。

結婚するなら信頼関係を結べるか、人間性はどうかを判断しましょう。

最近の話題だと某皇族の結婚は誰かが不幸になる未来しか見えず、危険だと考えています。

欲望ベースの結婚は夫婦のどちらかが、子供が、周囲が、もしくは全員が不幸になるかもしれません。

そもそも、お互いが尊重し大切にし合うのが夫婦なのではないでしょうか?

この話を読んで

「そうだそうだ、相手は俺(私)を大切にするべきだ」

と思った人は残念ながら【テイク】の精神が強いので、改善すべきはまず自分からです。

信頼関係はお互いが【ギブ】の精神でなければ築くことが出来ないからです。

恋愛そのものが素晴らしいわけではない

日本はやたら恋愛を題材にした創作物が多く、その影響から恋愛が価値観に含まれる人が多いです。

中には恋愛が人生の全てというぐらい依存している人もいるでしょう。

しかし、恋愛自体は欲望です。

お互いを尊重することと信頼関係を築くことが素晴らしいことなのであって、欲望の発露が正しい訳ではありません。

多くの人が信奉することによって、恋愛と名がつけば欲望が正当化されてしまいます。

例えば、パチンコがあらゆる創作物の題材に扱われ、毎日のようにメディアで流れていたとしましょう。

おそらく多くの人はパチンコを悪だと思わず、刺激を求め続け依存していきます。

毎日のように通い、時には借金を膨らませたり、遊戯に使う金欲しさに犯罪を起こしたりするでしょう。

今の時代の恋愛もこれに近い状態だと思っています。

他に楽しみをもたず恋愛ばかりを追いかけ、相手がいなければ恋愛ドラマや恋愛ソングばかり聞いている。

それはもう依存です。

パチンコの依存症とよく似ています。

かといって恋愛は無くならない

恋愛がパチンコなどの欲求と違う部分は、生物のより深い欲求であり本能であるということです。

結局のところ恋愛をする人はするから、否定したところで無くならない。

それに完全な悪というわけでもない。

だから私の結論は

「恋愛をするならまず自分が相手に与える精神で望むこと」

「信頼関係を結べる相手か見定めること」

これに尽きます。

自分の正当性を主張することに意味はなく、相手の気持ちに配慮することが大事です。

相手の人間性に問題があればやめておいた方が良いし、逆に自分が認められなければ諦めた方が良い。

お互いに尊重されるような人間性であり続ける限り上手くいくと思います。

要するに【恋愛】を【愛情】に変えていけば良いという話です。

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