どんなに文明が発達しても個体の強さは大事

哲学系記事
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原始時代から人間は社会を作り暮らしてきました。

獣に近い集団の中で権力が強かったのは強い人間です。

社会が発展した近代においても集団の中にはヒエラルキーが存在し、原始時代から変わらず強い人間が力を有しています。

今回は現代社会における個体の強さについて話していこうと思います。

強い人はトラブルが少ない

怖い人がいたらわざわざ近づこうとしないと思います。

これは本能的な行動です。

人は脅威と認識した対象を避けるものですから。

法整備の整った現代社会において武術や腕っぷしの強さを不要とする論調がありますが、私はそうは思いません。

自分の立場や評価に不安を感じて他人を攻撃する人は必ずいるものです。

常に自分より弱い人間を探していて、相手を叩くことで安心感を得ようとする人達です。

そういった人間を抑止するのは原始的な個体の強さです。

どちらかというと必要なのは自信や精神的な強さなのですが、それは腕っぷしの強さを発揮した経験から得やすいものです。

他には仕事が抜群に出来るとか人気があるとかで自信や精神的な強さを持ち、ヒエラルキーが高い人も存在します。

しかし、ヒエラルキーが高くなる前に潰されてしまう可能性も高いんですよ。

特に体育会系なんかだとそうですね。

ネット上ではなく、現実での口喧嘩や殴りあいの喧嘩は可能ならやっておいた方が良いと思っています。

喧嘩に慣れていない人間は傍目に見ても分かるもので、ターゲットにされやすい。

そういう機会に恵まれない人は体を鍛えたり、武術を習得したりするのが良いと思います。

テストステロン値が高ければ見た目の圧力に影響しますから。

ヒエラルキーを高く保つ力、私は【闘争力】と呼びます。

闘争力のある強い人はトラブルの方から避けていくものです。

人間性は個体の強さに関わる

極端な話、人類全ての人間性が高ければ闘争力は必要無いと考えています。

人間性に優れた人しかいないのなら、イジメもマウントも争いも生まれることは無いので。

まあ、現実はそうではないので強さは必要なのですが。

皮肉な話をすると、武術不要論、筋トレ不要論を振りかざして他人を攻撃する人がいるので武術や筋トレの必要性が増していると考えています。

ただ、人間性が備わらないと個体の強さにはなり得ません。

原始時代ならぶん殴ってヒエラルキーを維持することが出来ました。

しかし、現代社会では普通に犯罪です。

また、SNSのような腕っぷしの強さが関係無い場所で攻撃に晒されてメンタルを病みやすい。

余計な敵を作らないというのも個体の強さです。

それに、闘争力が強いだけで人間性が伴わない暴君は周りから認められず、人がいなくなるのでやっぱりメンタルを病みやすくなります。

【闘争力】は人間性が伴わないと徐々に価値を失うものです。

現代における力の形

とある御仁は見た目普通のじーさんなのですが、深い知性を感じさせる目つきをしています。

「あなたは誰?」という本の話を皮切りに、私に哲学を教えてくれた人です。

思慮深く人間性に優れた人なのですが、若者にはなかなか理解されません。

若者からすればTwitterのフォロワーが何万人もいる人や、大手youtuberの方が偉大な訳です。

人間性を理解するにはある程度の思慮深さが必要で、それを持つほど人生経験を積んだ若者は稀です。

少なくとも若い頃の私は相当なアホでした。

私も歳を重ねて理解出来るようになった人間ですので、若者に理解を求めるのは酷だなと考えています。

今の時代、意見を伝えていくには【影響力】が必要です。

影響力は昔から効果のあるものでしたが、通信の発達した現代においてはとりわけ強力な力を持ちました。

近代はSNSやYoutubeなど個人で発信出来る媒体が主流で、影響力の強さは媒体上で個体の強さに変わります。

かの御仁は高いレベルの哲学を持ちながらも、精神が探求に向かっていて自己の影響力には興味が無いようでした。

私の未熟な思想よりも、よっぽど価値のある思想が野に埋もれている状態で少々もったいないです。

影響力が強ければ善も悪もバラ蒔けてしまう。

適当なオッサンが適当に宣伝したゴミみたいな商品が売れるという事も起こるので、社会的に見れば一長一短です。

それでも、この先の時代を生きる個体の強さとして必要になる能力だと思っています。

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