言葉は受け取る相手による

哲学系記事

私は、人と話す時は相手に向けて言葉を選ぶのですが、壇上から話す時や記事を書く時は不特定多数に向けて言葉を選びます。

その際に気をつけていることは、様々なケースを想定するということです。

人によって言葉の受け取り方は様々で、成長や思考に使われるほか、自己肯定、自己否定、他者の肯定、他者の否定に使われます。

時に、誰かの窮状を訴えるために書いた記事が、誰かを攻撃する材料にされてしまうこともあるんですよ。

だから、なるべく多くの人にプラスになるように内容を考えています。

今回は、そんな話です。

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痛烈な批判

痛烈な批判は一見すればリスクの高い行為ですが、実は支持者を集めやすい発信方法です。

なんやかんや人が叩かれている姿に快楽を感じる人は多いので、単純明快な敵を用意されると乗っかる人は多いです。

感情的に何かを批判することは頭を使わず誰にでも出来て、さらに自分の優位性を実感しますからね。

一方で過激派を生み出してしまいます。

前にテラスハウスという番組に出ていた女性タレントが炎上し、過剰な誹謗中傷から自殺してしまいました。

通常なら自身の行いを反省するものですが、今度は主にタレントを叩いていた人が叩れるようになります。

その主に叩いていた人が自殺したら、また別の誰かを叩くのでしょうか。

誹謗中傷は良くないという教訓ではなく、誰かを攻撃する快楽を選んだ人が圧倒的に多かったようです。

誰かが発した

「誹謗中傷は良くない」

というメッセージは

「そうだ、あいつは誹謗中傷した」

「だから絶対に許すな」

という誹謗中傷に使われてしまいました。

もはやインターネット暴徒ですね。

誹謗中傷したいという欲望はそれだけ強いんですよ。

前に何かの話でも書きましたが、不正や腐敗があるから批判は必要です。

しかし、暴徒を刺激しないように冷静に論理的に行う必要があります。

痛烈な批判をして何かが起きてしまったら、暴徒の餌食になるのは自分自身ですから。

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救済か矯正か

鬱病は広く認知されるようになりましたが、実態を知らない人が多いです。

本当に鬱病の人は端から見ても相当な苦しみです。

人生に絶望し、常に自殺が選択肢にあったり。

トイレや食事など生理的な欲求ですら行動出来ないこともあります。

一方で、ファッション鬱と呼ばれる人達もいます。

病気や障害を騙れば

「~だから仕方ない」

という変な自己肯定感を生み、社会的に優しくされて承認欲求も満たされます。

本気で苦しんだり、苦労している人から見れば腹立たしいでしょう。

だからと言って彼らを正そうとするのは賛成しません。

鬱などの精神的な疾患は専門医でも判断が難しいからです。

一方的にファッション鬱だと決めつけて、本当の鬱病の人に

「病は気から、外に出よう」

「みんな辛いんだから、甘えるな」

「◯◯した方が良い、◯◯やった?」

とか言ってしまうと、それが止めの一撃になってしまう可能性があります。

よく知りもしないことを批判してはいけないんですよ。

では、皆に優しくすべきかと言えばそうではありません。

過剰に優しくすれば、ファッション鬱を名乗る人達が増えて自立しなくなります。

私はこの問題に対して

【普通に接する】

という対応をしています。

優しくも厳しくもせず、冷静に対応しています。

鬱の人達も特別扱いされたい訳ではないし、逆にファッション鬱の人達は特別扱いされないから離れていく。

これは他の事にも言えます。

「発達障害はヒーローの素質」という記事を前に書いたのですが、あれはネガティブに捉えられがちな発達障害を肯定的に話したものです。

発達障害を悲観せず、その特性を活かして成果を出せという内容です。

あれも本物の発達障害とファッション発達障害を意識して書いたものです。

本物の発達障害の人を肯定する一方で、ファッション発達障害の人には意地悪な記事になっています(笑)

私は救済も矯正もしません。

ただ、私が必要と判断したことだけをやります。

記事もまた同じなんですよ。

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抽象と具体

抽象的な記事は書きやすいし広く物事に当てはまるので使い勝手が良いのですが、伝えたいことが伝わりにくいという欠点があります。

具体的な話を折り込んでいかないと何を言っているか分からん記事になってしまい、私も添削したり削除したりを頻繁に行っています。

自分の下書きを見返した時、難しい言葉を使った抽象的な記事は何となく頭良さそうに見えるのですが

「で、結局のところ何が言いたいの?」

という感想になり、得るものが無いんですよ。

例えば

「本当に問題視されるべき問題が放置され、スケープゴートのように違う問題が取りざたされる」

これを聞くと一瞬「おお」と思うかもしれませんが、どう受け取るでしょうか?

抽象を具体化することが出来る人なら

「メディアの偏向報道みたいに、重大な事件は取り上げられず、芸能人のスキャンダルばかり報道される」
 
などと考えて紐付ける事が出来ますが、実は筆者は

「酒は病気になりやすく犯罪発生率が上がり、死者も多いのにタバコばかり悪者にされる」

という意味で言ったのかもしれません。

筆者の意図から大分ズレてしまいます。

逆に具体化が出来ない人からすれば般若心経を唱えられているのと大して変わりません。

「何言ってんだコイツ?」

で終わってしまいます。

抽象的な表現を使ったら具体的な話を混ぜていかないと読み手の受け取り方が著しく変わってしまうわけです。

芸術とかならそれでも良いのですが、私は単純に伝えたいことがあるのでNGです。

不特定多数に対して真意を伝えるのは、なかなか難しいものです。

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