盲信は時に毒にもなる

哲学系記事

日本人は宗教嫌いと言われていますが、実際には

「露骨に宗教と名のつくもの」

を嫌いな人だけで、実は宗教にどっぷり浸かりやすい人種です。

宗教の定義とは

神または何らかのすぐれて尊く神聖なものに関する信仰。また、その教えやそれに基づく行い。

とされています。

名前に~教や~会がついたり、宗教法人登録されていなくても宗教と言えます。

もっと簡単に言うと

「なんかスゲー人がいて、その人を崇めて言うことに従うこと」

が宗教です。

今回はそんな【宗教】について話していこうと思います。

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宗教嫌いの本質

宗教嫌いの本質は「怪しい団体」という不信感にあります。

そもそも現代人は

「神なんていねーし」

という現実的な考え方をするので、懐疑的に見る人が多いです。

私が子供の頃、新興宗教団体であるオウム真理教が起こした殺人やテロ事件をきっかけに、一気に反宗教の流れが起きました。

その後も新興宗教絡みの事件や奇怪な行動が報道され続け、今日では宗教と名のつくものが嫌われるようになったわけです。

しかし宗教って、言ってしまえば特定の思想なんですよ。

創始者がいて、何者かの思想を反映した教義があり、信者はその教義のもと何者かに従います。

私は宗教の善悪を問う気はありません。

宗教によって心の安息を得ている人もいれば、騙されて一文無しになった人もいます。

だから、現状はどちらとも言えません。

ただ、一つ言えることは【宗教】が嫌われているのではなく、【宗教と名のつくもの】が嫌われているということです。

本質的には同じものなのですが、不思議と名前一つで分けられています。

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宗教と認識されない宗教

これを言うとキレる人多数なのですが、【ヴィーガン】や【オンラインサロン】も宗教に含まれると私は考えています。

ヴィーガンは「動物の製品化に反対する」という誰かの思想に従うものですし、オンラインサロンも主催者の思想に従うものです。

良いか悪いかという話ではなく、定義に当てはめると宗教ですよねって話です。
 
私の思想も、思考停止して一から十まで鵜呑みにしてしまう人がいたら宗教化してしまうので思想のフリー素材としています。

私自身、自分の思想を捨てて誰かの思想に従うことを拒絶する人間ですし、私の記事を読んだ人が自分の思想を捨ててしまったら本末転倒です。

人は自分で考えるよりも誰かに従った方が楽という他力本願な性質を持っています。

また、肩書きを欲しがる人が多く、そのために何かを信仰する人も多いです。

自我を持たない限り何らかの思想に傾倒しがちで、結局のところそれは宗教なんですよ。

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特定の思想を越えていく

「信じる者は救われる」

現代においては微妙な言葉です。

「信じる者が食い物にされる」

という事態が頻繁に起きているからです。

昔は善性に誇りを持つ価値観が根付いていましたが、時代と共に「騙される方が悪い」という世の中になっていきました。

コンビニチェーンの大企業が露骨に消費者を騙そうとしたり、詐欺オンラインサロンの被害報告も目立つようになってきた。

今の時代、何かを信奉するのは危険な行為なんですよ。

運良く善良な宗教にめぐり会えれば良いのですが、その判断は難しいです。

騙されたことに気付くまでは皆、それを信じているのですから。

拙くても自分の思想を持つ人間は強いです。

大勢向けに作られた汎用型の思想より、自分専用にチューニングされた思想の方がパフォーマンスが高いですから。

だから、ただ盲信するのではなく、自分の思想を持って欲しいと思っています。

自分の思想を作りあげる材料として他人の思想を使い、その中に私の思想があれば幸いです。

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