誇り+矜持+自尊心=自己肯定感

哲学系記事

プライドはポジティブにもネガティブにも捉えられる言葉です。

ややこしいことに、誇りや矜持や自尊心など色々な意味の言葉として使われます。

また、自己肯定感も同義の意味で使われたりとして、ややこしくなっています。

今回は、概念が曖昧になりがちな自己肯定感について話していこうと思います。

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誇り

プライドをポジティブな意味で使うと誇りになることが多いです。

誇りとは自分自身を名誉に思うことです。

努力の末に大会で優勝したとか、自分を犠牲にしてでも大勢の人を助けたとか、要するに

「自分はスゲーことをした」

「これがあるから自分はスゲー」

といった感情です。

自己肯定感にも直結するので、生きていく上では地味に重要です。

当然ながら、健全な誇りを抱くためには強い意志や努力が必要になります。

それらが無いと、結構どうでも良いことに誇りを抱くようになります。

分かりやすいのが「日本人であること」とか「任意参加の集団に所属している」とか、何の努力も無しに得られるものですね。

ドラえもんに出てくるスネ夫が、家が金持ちであることを誇るのは正にこれです。

私の場合、警察官や自衛官であったことは特に誇りに思うようなことではありませんが、その中で行ってきた努力と成長は誇りに思っています。

もし、ずっとダラけて過ごしていたら肩書きだけが誇りになっていたと思います。

同じ誇りでも雲泥の差があるわけです。

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矜持(きょうじ)

矜持は誇りの一種ですが、主に行動に対して持つものです。

これもポジティブな意味でのプライドと言えます。

卑怯なことをしない、責任から逃げない、妥協しないなど自分なりの正義があって、それを行えることを誇るわけです。

生き方に軸がある人は、大体この矜持を持っています。

それが必要だと判断し、自分にルールを課すものなので、何も考えずに生きていれば矜持を持つことはありません。

当然ながら、ルールを破ってばかりいても矜持は持てません。

矜持は社会を生きる強さに直結します。

矜持を持つことは、強い意志と自信を鍛えるトレーニングでもあるからです。

欲望を抑えて、あるべき姿を追う。

これが出来るか出来ないかで人の強さは大きく変わります。

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自尊心

自尊心は簡単に言うと、根拠なく自分に価値があると思えることです。

「特に理由は無いけど自分がスゲー好き」

という状態ですね。

ネガティブな意味でのプライドは、大体この自尊心を指します。

どれだけ人から大切にされたかによって自尊心の強さが決まります。

特に幼少期、家族や周囲の人間から受けた愛情は自尊心に大きく影響します。

自己愛性パーソナリティ障害やナルシストなど、自尊心が過剰な人の影響でネガティブに捉えられがちですが、自己肯定感を持つ上でかなり重要な要素です。

低ければ低いで自己肯定感も低くなりやすく、高ければ高いほど自己肯定感を持ちやすくなります。

高過ぎても低過ぎても問題なのですが、基本的に自分自身でどうこう出来る問題ではありません。

成人してからも微妙に変化するもので、奴隷のように蔑ろにされ続けると低くなりますし、組織の幹部のように周りから持ち上げられ続けると高くなります。

良くも悪くも他者に依存するので安定はしません。

また、自尊心だけが強い状態だと人から敬遠されます。

いわゆる「プライドが高い人」は自尊心が強く、後述する自己肯定感が低い人なのではないかと考えています。

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自己肯定感

自己肯定感もまた、自分に価値があると思えることです。

一般的には自尊心とほぼ同義の言葉として使われます。

しかし、自己肯定感とは誇りと矜持と自尊心の総量であると私は考えています。

どれかが低くてもどれかで補えるものです。

私の場合、幼少期から家族に「足手まとい」として扱われていたので自尊心は低めです。

そのため、誇りと矜持によって自己肯定感を保っています。

逆に誇りや矜持が無くても自尊心が強ければ自己肯定感を持って生きていくことが出来ます。

自己肯定感は精神の安定に欠かせない要素で、人間関係や行動、メンタルの強さに影響します。

自分が自分をスゲーと思っていたら他人の評価に影響されませんし、多少の恥も誹謗中傷も気になりません。

もし今、自己肯定感が低い人がいるなら、まずは矜持を持つ所から始めると上手くいくと思います。

矜持を持つことで自信を得て、自信による行動で成果を出して誇りとし、高いレベルに達することで大切にされるようになって自尊心が育ちます。

これが最も順当な自己肯定感の育て方ではないかと考えています。

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