質問は考える人にとって重要な要素です。
しかし、質問されることを嫌がる人は多いし、なんならキレる人もいます。
確かにクソどうでも良い質問もあるでしょう。
ただ、根本的に質問を苦手としている人が多いんじゃないかなと思っています。
今回はそんな質問の話です。
ソクラテスの問答
哲学の有名な話で、ソクラテスの問答があります。
ソクラテスは自分より優れた賢者を探すため、賢者と呼ばれる人達に片っ端から質問をして回りました。
いい加減な事を話す知識人は当時からいたようで、質問をぶつけ続けると大抵の人は矛盾したり言葉につまってしまったそうです。
次々と無知を暴き、それを面白がった人達が手法を真似してさらに暴いていったため、ソクラテスは死刑判決が下るほど恨みを買ったそうです。
質問は無知を暴く究極の方法です。
考える人は質問に答えられるし、知らないものは知らないと言えます。
聞きかじった知識を話すだけの人は質問に答えられず、かといって無知を認めることも難しい。
自分の名声や目的のために知識人を装う人は、いつの時代もいるようです。
私が学生の頃、バックストリート・ボーイズという海外の歌手グループが流行りました。
ある英語の授業の日、外国人の先生が生徒に質問しました。
「好きな海外のアーティストはいる?」
生徒の一人がバックストリート・ボーイズと答えました。
先生は面白いことを言います。
「この質問をすると、みんなバックストリート・ボーイズって答えるのは何故?」
「何で好きなの?」
誰も答えられませんでした。
結局のところ、みんな流行ってるから聞いてるだけでした。
さらに言うと、そもそも知っている海外のアーティストがバックストリート・ボーイズしかいなかったという話です。
カッコ良いから、流行ってるからとシンプルに答えれば良いのですが…若く承認欲求の強い学生です。
「やっぱり洋楽は良い」
「日本の音楽より進んでる」
などと洋楽通を演じてマウントを取り合っていた生徒達に答えられるはずもありませんでした。
この先生の授業、すげー面白かったなと覚えています。
その先生謂く
「日本人は質問しても答えられない人が多い」
とのことでした。
質問する力
説明会などで講演をした時、最も楽しみなのは質問です。
私の話から何を考え、何を疑問に思ったのかが分かるからです。
しかし、時には全く質問が無いことがあります。
手を上げたり人前で質問するのが恥ずかしいとかがあるようですが、もっと根本的な理由があると私は考えています。
質問をするにあたって、まず考える必要があります。
話を聞いて自分の意見や疑問を持つにしても、思考しなければ何も思いつきません。
「へー、そうなのかー」
で終わってしまうと質問なんて浮かばないわけです。
前述のソクラテスの問答も考える人にしか使えない手法です。
良い質問は考えることによって生まれます。
思考力は質問力に直結しますから。
ただ、質問をマウントを取るために使ってきたりする人もいます。
警備系の仕事をしていると、現場によってはマウントおじさんに出会います。
例えば近くを通った車について
「今の車のナンバープレート覚えてる?」
「車種は?何人乗ってた?」
などと質問してきます。
答えられなければ「警備に着くものが云々…」とマウントを取って若い人を困らせてきたのでしょう。
そういう時は現場のレベルの低さにゲンナリします。
「クソどうでも良いです」
「脅威対象ではないので」
と一蹴すると大体片がつきます。
危険がほぼ無い現場で、何百台も通る車のナンバープレートなんて覚えませんから。
現場について真剣に考えていれば、アホみたいな質問でマウントを取ろうとはしないはずです。
考えないで質問をすると根本がズレていることが多いです。
質問に答える力
基本的に熟考していれば質問されても困ることはありません。
ネットや雑誌の記事、他人の受け売りで話すと返答に困ったりするわけです。
また、質問によって論破される人の大半は、事実ベースではなく自分の都合で話すことが原因です。
具体的にはマウントや見栄を張ること、ブランディングをすることが先行してデマや浅い知識を話してしまうことなどですね。
ちゃんと調べて、ちゃんと考えて、自分の意見をまとめるという当たり前のことをやっていれば質問にも答えられるわけです。
ただ、私の場合は直感で発言する時があるので、根拠を聞かれた時などは
「直感です」
と答えて、話しながら論理を組み立てたりします。
私のいる業界では直感は重要なので、案外それでも通ったりします。
ただ、それも自分の都合を優先してしまうとしどろもどろになってしまいます。
議論に強い人は質問に答える力が強いです。
それは自分の都合で話さないというシンプルな理由があるからです。
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