「他人が下を向いても上を向け」

哲学系記事
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周りに合わせることは、集団において大切なことです。

しかし、マトモな人間ばかりとは限らず、他人のエネルギーを搾取する人間もいるものです。

不遇な環境にいる時、それを仕方ないと受け入れるのを私は良しとしません。

周りが諦めて従っていたとしても、自分は意志を通す。

今回はそんな話です。

他人の都合と自分の意志

私が気に入らないことの一つが、私の在り方を他人に決められることです。

他人をコントロールしようとする人は必ずいるし、圧力をかけてくる人もいます。

自衛隊を辞める時、

「民間では通用しないから辞めさせない」

「普通、陸曹は自己都合で自衛隊を辞めない」

と依願退職を何度も握り潰されました。

前の会社を辞める時は、

「社員なら会社に尽くして役員を目指すものだ」

と言って引き止められました。

「知らねえよアホが」という話です。

どちらも蹴りとばして今に至ります。

自衛隊で誰かが意気揚々と辞めていくと、他の隊員は取り残される不安に襲われます。

どちらかというと自分のために引き留めようとする人が多かったです。

それらを無視して辞めたので逆恨みを買ったし、私の失敗を望む人も一定数いました。

前の会社はブラックだったので逆らい続けたのですが、それでも辞められると都合が悪いらしく引き留められました。

これも無視して辞めたので相当恨みを買ったようです。

さて、普通に考えたら恨みを買うのは良くないことなのですが…

どちらも私の意志を無視して、自分達の都合を押し付けています。

どちらの都合も正当なものではありません。

むしろ、やましいことがあるから遠回しな圧力や引き留めを行うわけです。

だから自分が悪いとは一切思っていません。

周りに配慮して全体のために動くというのは大切なことですし、私の行動指針でもあります。

しかし、私はその人達の親でも奴隷でもありません。

私利私欲や保身のために都合良く利用されるのは気に入らないわけです。

気に入られるために我慢して利用されるか、逆らって恨まれるか…

多くの人は前者が正しいと言うかもしれません。

しかし、私の場合は後者で上手くいっているんですよ。

何が正しいのかは結局、他人ではなく自分が決めることです。

中身の無い言葉

自分に向けられる言葉の内、真剣に考えて発せられた言葉は思ったよりも少ないものです。

借り物の知識や誰かの受け売りで話す人は多いですし、自分の都合を隠して

「あなたのために言ってるんだ」

と言ってくる人もいます。

私が自衛隊時代にウンザリしていたのは相談を強要されることでした。

問題に直面したとき、解決方法を探っていると

「困ってるなら相談しろ」

と言われるのですが…部下や後輩の相談を受けるのはメンツが立つのでやりたがる人が多いんですよ。

その手の人は承認欲求にかられているだけなので真剣に考えないし、返答もどこかで聞いたような言葉しか返ってきません。

そして最後に

「誰かに話したら楽になっただろ」

とテンプレの言葉を発して満足します。

シンプルに時間の無駄です。

また、果物は体に良いと力説する先輩がいて、当然ながら私にも食べろと言ってきます。

しかし、私は果物アレルギーです。

それを説明したら先輩は…

「それは果物じゃなくてバイ菌のせいじゃない?」

「よく洗えば大丈夫だから食べろ」

適当過ぎるだろと笑ってしまいます。

断り続けると、ヒートアップして

「お前の為を思って言ってるんだ」

と言いはじめました。

本当に私の為を思うなら食べさせようとはしないでしょう。

人の言葉を何でもかんでも間に受けてはいけないというわけです。

「こうしろ」「ああしろ」と他人に強要してくる場合、大抵は自分の都合が入っています。

誰かの良く分からない承認欲求のために左右されるのはアホらしい。

中身の無い言葉に従うのは愚策です。

自分の正義の証明

自分の正義を持って生きるということは哲学的にも重要なことです。

しかし、一定数の人には

「良い歳をした大人が何を言っているんだ」

と笑われてしまうこともある。

「正義」を笑う人達は、それがフィクションのもので現実には存在しないとでも言いたげです。

斜に構えることが正しいかのように振る舞います。

正々堂々と生きるにはメンタルの強さが必要なんですよ。

メンタルの弱い人が身を守るために卑怯になるのは仕方ないと思っています。

しかし、克服しようともせずに卑怯さを正当化するのを認めてはいけないとも思っています。

私は考えます。

正義を持った人がいないなら、自分が徹底的に正義を貫けば良い。

世の中が嫌な奴ばかりなら、自分はその逆を行けば良い。

少なくとも自分自身がそう在れば、正義も善良さも信じられるでしょう。

利己的な思考で固まっている人からすれば

「自分に何の得があるんだ?」

と思うかもしれません。

それは信用という概念を軽視しています。

上っ面な善が通用すると考えているんですよ。

人は案外騙せないものです。

それでも騙される人がいるのは、その人が何かにすがりたいからです。

精神的に自立した人間からは信用されませんし、嫌な奴は他人の内面を必死に暴こうとします。

しかし、どんなに疑われても底が見えないくらい正義と善良さを持ってしまえば他人の目を気にする必要が無くなります。

この世に正義も善良さもあると自分自身が証明して生きていく、それによって周りを変えていく。

自分が生きやすい環境を自分で作っていくわけです。

「世の中はクズばかりだ」
「だから自分もそうしないと損だ」

なんて卑屈に考えるより、よっぽどマシではないでしょうか。

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