人に好かれるのはアホな部分

哲学系記事

人生においてユーモアは必要だと思っています。

基本的に合理性に従うと物事は上手くいきますが、合理性に傾倒しすぎて余裕が無いと息苦しいものです。

人間は余裕が無いとパフォーマンスを上手く発揮出来ません。

合理性に偏り過ぎると逆に非合理的です。

余裕はユーモアを持つことでも生み出すことが出来ます。

そしてユーモアのセンスは人のアホな部分から生まれます。

自分の弱点を克服する一方で、意図的にアホな部分を残す。

今回はそんな話です。

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クソ真面目は思考停止

私はクソ真面目が怠惰と同じくらい良くないことだと思っています。

例えば、幼少からロクに友達と遊ばず、ひたすら学校の勉強をし続けて社会に出た人は対人関係が死ぬほど下手です。

自衛隊にも何故かそういうタイプはいて敬遠されがちです。

自衛隊では課業中に時間が出来た時は、各々がフリーで体力錬成を行います。

「んじゃ、適当に10キロ走るか」

みたいなノリで、談笑しながらランニングをしたりします。

ゲラゲラ笑いながらあっという間に終わるものですが、クソ真面目な人がいると話は変わってきます。

「走っている最中に喋るな」

「体力錬成中も自衛官らしさく振る舞え」

「国民の付託に答える自衛官が云々…」

シンプルにめんどくさいです。

声を出しながら走るというのはスタミナを錬成する上で重要ですし、先輩のユーモアはこういう時に後輩に受け継がれていったりします。

ふざけるのは良くないとされがちですが、キツイ状況を鼻歌混じりで乗り切るテクニックの一つなんですよ。

支障が無い範囲を見極められるのを前提として、その上で隙あらばふざけるわけです。

自衛官らしさについては「知らんわ」の一言です。

しかし、論理的に逆らえる人はあまりいないので、大抵の場合は渋々従ってしまいます。

その結果、苦痛のような時間を過ごすわけです。

そうなるとクソ真面目な人には誰も寄り付かなくなります。

適度にふざけられる人に皆ついていこうとします。

まあ当然の流れなのですが、そうなるとクソ真面目な人はおもしろくありません。

「俺はこんなに真面目にやっているのに」

「あんなテキトーな奴に人気があるのはおかしい」

と不満を漏らすようになります。

私はこの手の愚痴を散々聞かされてきたのですが、大抵の場合は本人に問題がありました。

クソ真面目な人って失敗が怖い人でもあるんですよ。

だから極端に規則や指示に従おうとするし、挑戦をしません。

挑戦しないので状況を改善することもしない。

彼らが気にしているのは全体ではなく、自分が上からどう見られているかです。

だから部下にひたすら我慢をさせるし、完璧を求めます。

それは無駄に疲弊させるだけです。

確かに不真面目な奴はいるし危なっかしい奴もいて、厳しくしなければならない時もあります。

ふざけ過ぎたら誰も言うことを聞かなくなって収拾がつかなくなります。

だから丁度良い部分を見定めて緩急をつけていくんですよ。

そこそこ経験と観察力が必要ですし、慣れないと神経を使います。

その努力を放棄して厳しくするのは思考停止であると思っています。

自分が部下を率いているとき、自分の責任において部下に楽をさせる指揮官は優秀です。

そういう人はアホな部分を残していて、他人のアホも許容できるからユーモアもあります。

「藤岡弘探検隊ごっこやろうぜ!」

と訓練中に言い出したりします。

適度にふざけられるのは心に余裕があるからで、状況をよく見て考えている証です。

クソ真面目な人の言う「あんなテキトーな奴」は案外優秀だったりするわけです。

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自分を落とす芸

私の持ち芸に「小物感」と「逆ギレ」があります。

「やっべ、◯◯さんパネェッス」
「ひいいい、ごめんなさいいいい」
「先生、やっちまってくだせえ」 

みたいに、ふざけて小物感を演出するのと

「言いがかりだ、謝罪と賠償を要求する!」
「ぶつかってねーし、ぶつかったらぶつかったって言う男だし」
「アホで悪かったなあー!アホがやってんだよ、見りゃ分かるだろアホが!」

みたいに、冗談で済む非がある時にふざけて逆ギレします。

これらは自衛隊の面白い先輩方から継承した芸です。

自分を落とす芸は、人を傷つけないし不快にもさせないから重宝します。

とある先輩は

「ああ!?なんだてめえ!かかってこいよ!」

と言いながら一瞬で土下座します。

「土下座してる相手をやれるもんならなあー!」

笑うなという方が無理です(笑)

「イキリ土下座」という先輩の持ち芸なのですが、これはイキリ芸の極致にあると思います。

普通にやっても引かれるところですが、巧みに笑える空気を作れる先輩ならではの芸です。

この手の先輩達は面白いと思ったら、平然と自分を落とせます。

思考が柔軟な上に、余計なプライドが無いんですよ。

こういう人はホント人気があります。

一方で無駄にプライドの高い先輩は厄介です。

他人を落として自分を上げようとするので人が寄り付きません。

しかし、そういう人ほど後輩と絡みたがるものです。

飲みに行ったり遊びに行く時、必ず後輩を連行します。

一緒にいる後輩をバカにして自分を上げようとし、奢ったりもしない。

「世話になってる先輩に奢ろうとか考えないのか」

などと逆に言う始末です。

私は早々に嫌われていたので経験はしていませんが、連行される人達は死んだような顔をしていました。

健全な自己肯定感を持つ人は、平気で自分を落とせます。

一方で、自尊心に由来するプライドは厄介です。

承認欲求を持ちながら人に好かれないという葛藤を抱えて生きていくことになります。

また、これ以外に「期待」も厄介です。

承認欲求に依らない人にとって、期待は向けられるほど息苦しくなるものです。

周りが望む姿があるほど柔軟な行動が取れなくなり、ユーモアを失っていきます。

自分はふざけたくても周りの期待に縛られてしまうわけです。

そうなると自分を落とす芸など出来なくなります。

期待は答えようとするのではなく、「そんなの知らんわ」というスタンスでいる方が楽です。

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強烈な世界観

大分前に投稿した「強烈な世界観は武器になり得る」という記事があります。

共感能力によって共通の世界観を持っている集団から、強烈な世界観を持つ人は排除されやすい。

一方で強烈な世界観は武器にもなるという記事でした。

強烈な世界観というのも人に好かれる要素です。

「集団から排除されるんじゃ嫌われてない?」

と思う人もいるでしょう。

その通りです(笑)

ただ、それは「集団の中では」です。

自分の世界観が強いと、人と直接関わることに色々問題があります。

しかし、メディアを挟むことで価値は一変します。

動画、SNS、漫画、小説、ブログなどなど。

普通に会話すると変な顔をされる人ほどメディアでは突出した実力を発揮します。

強烈な世界観を持つ人達は独特な思考で、普通の人達が考えもしないようなアイデアを次々と生み出します。

人の輪の中では「頭おかしい奴」も、メディアでは「面白い」に変わります。

普通の人を動画で見ても面白くはありませんが、強烈な世界観は動画で見ると一際輝きます。

普通の人が思い浮かべる物語は似たり寄ったりですが、強烈な世界観で描かれた物語は想像を越えていきます。

「今日は天気が良いね」

という何気ない話題に対して

「日干レンガを作るには微妙だけどね」

と返されたら「なんだコイツ」って思いませんか?

価値観を理解出来る人以外にはワケのわからん奴です。

でも、そういう人が動画を作ると

「天気が良いから日干レンガで家を作ってみよう」

という発想が出てくるわけです。

強烈な世界観はフィルター越しに人に好かれる才能です。

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