その言葉で何を得たか?

哲学系記事

世の中には偉大な先人達の名言が数多く残っています。

色々な場所で使われたり、本やサイトでまとめられているので目にする機会が多いと思います。

誰かの言葉は覚えただけでは意味がありません。

なんとなくカッコいいから…と表面的な意味をなぞるだけというのはもったいない。

それだったらネット上の怪人物「ブロントさん」のキメゼリフを覚えた方が面白いと思います。

今回は、言葉から得る物の話です。

スポンサーリンク

言葉の意味を理解し、自分の言葉に変える

合理性を突き詰めると、人の意見は似通ってくるものです。

もしかしたら、それだけ真理に近いのかもしれません。

例えば、ある問題に対して非常に優れた意見があったとします。

別の人が問題に対して真剣に考えた答えが、その意見と同じだったとしても変なことではありません。

事前にその意見を聞いた上だったとしても、自分で考えて出した答えなら価値のあるものです。

私が良くないと思うのは、言葉について考えないことです。

人には承認欲求がありますから、なんとなくカッコいい言葉を使ってみたいと言う気持ちは分かります。

賢者の言葉を使って自分を良く見せたいという気持ちもあるでしょう。

しかし、それらはシンプルに無駄です。

他人の考えを猿真似するより、稚拙でも自分なりの考えを発する方が遥かに価値があります。

それに、どんなに優れた言葉も短い文の中で全ての物事をカバー出来るわけではありません。

ある側面では正しくても、ある側面では間違っていることもあります。

また、もしかしたら良く考えずに適当に言ったことが名言として扱われている可能性もあります。

完全に私見ですが、スティーブ・ジョブズの名言集はなんかそんな感じがします。

ネット上に転がる名言は基本的に抽象的な言葉が多いです。

それを現実に当てはめて具体化出来る能力が無ければ、意味はよく分からないままです。

「海軍に入るくらいなら海賊になったほうがいい」

これもスティーブ・ジョブズが言ったとされる言葉です。

当たり前ですが、これは比喩です。

この言葉を聞いて海軍に入らず海賊になる人がいたら相当なアホです。

この言葉に対して私の解釈は

海軍は安定していて装備も整っているが、給料は定まっている。

一方で海賊は装備も貧弱で危険だが、襲撃が成功した時の利益は海軍とは比較にならない。

要するにローリスクローリターンよりハイリスクハイリターンの方が良いという意味に捉えています。

正直、才があり努力できる人なら海賊の方が良いでしょうが、そうでないなら海軍に入った方が良いと思います。

ちゃんと意味を理解して自分なりの答えを出していかないと、変にキマって意識の高い無能になってしまったりします。

基本的にどんなに優れた人も全知全能ではありません。

偉人の名言は彼らにとっての正解であって、全ての人の正解ではないんですよ。

ジョブズにとっては海賊の方が良くても、他の人が海賊の方が良いとは限らない。

自分にとって正しいことは自分で考えて見つけていくものです。

スポンサーリンク

言葉を解釈する

ニーチェの著者に

「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見ている」

という有名な言葉があります。

中学生くらいの男子が好んで使いそうですが、意味を知って使っている人はあまりいないでしょう。

この一文だけだと抽象的過ぎてよく分かりません。

言葉から直接的に考えると

「自分が悪い奴を見ていたら、悪い奴も自分を見ている」

みたいに受けとることも出来ます。

しかし、全文は以下のとおりです。

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」

これだけで大分印象が変わります。

犯罪者心理を研究している人が、より深く心理に踏み込んでいき、やがて自分も犯罪者と同じ心理状態になってしまう…というような意味にも取れますね。

文全体が抽象的なので、本当の意味を知るのは本人だけだと私は考えています。

大事なのはどのように解釈するかです。

どんなに優れた言葉も、自分が意味を見いだせないなら価値はありません。

自分に都合良く解釈するのではなく、現実に当てはめて考える必要があります。

怪物とは何を意味しているのか、深淵とは何か、伝えたいことは何なのか、自分の経験の中から答えを探すわけです。

スポンサーリンク

私の解釈

余談ですが、「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見ている」に対する私の解釈を話していきます。

化粧品や医薬品の開発にモルモットが使われています。

モルモットは自分たちが開発実験に使われているなど知りもしません。

人間からすれば医薬品や化粧品は世の中に必要なものですし、必要だからやっていることです。

しかし、モルモットからすればワケの分からん理由で苦しみを与えて殺されるわけです。

モルモットからすれば人間は理解の及ばない怪物でしょう。

モルモットは種族の壁を越えて人間の行動に理解を示すことはありません。

万が一、高い知性を獲得し人の営みに理解を示す個体がいたら、それは他のモルモット達からすればやはり理解の及ばない怪物でしょう。

人間の上位となる概念を宇宙人や神と例えたりすることが出来ますが、「深淵」という呼び方が凄くしっくり来ます。

人がモルモットを見ているように、深淵もまた人を下位の存在として見ている。

モルモットが人間へ近づくと他のモルモットから見れば怪物になるように、人間も深淵に近づくほど怪物になる。

哲学は種族の壁を越える可能性がある学問です。

新たな答えを出す度に常人の思考とかけ離れていく。

しかし、人の中に生きる以上は、人であることを忘れてはならない。

例えば、少子高齢化を解決しようとする人がいたとします。

その人は倫理や道徳を無視して合理的に考え、何も生産しないと判断した老人を殺してまわります。

他者からすれば、理解し難い猟奇殺人鬼です。

本人は考え続けた結果、最も合理的な方法を選択したに過ぎません。

しかし、人の中では受け入れられない存在です。

モルモットが人の価値観を手に入れたらモルモットには戻れない。

同じように、人が深淵に深く入りこんだら人に戻れない。

それは一方通行です。

「難解な問いに答えを出したとき、その代償に人間性を失う」

怪物とは難問であり、それを解くためには人から深淵へ踏み出さなければならない。

「真理を求めた果てに人では無い何かになってしまう。」

難問を解くために深淵へ踏み出した結果、人の価値観から大きく外れてしまう。

「真理を求めても、人であるために必要な倫理や道徳、情を忘れてはならない。」

人を人たらしめるものは倫理や道徳、人としての情であり、それを失えば人の集団からすれば怪物になる。

それが私が思う「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見ている」の解釈です。

コメント

Copied title and URL