社会は不平等だから、自立する

哲学系記事
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人は生まれによって状況が変わるものです。

容姿、頭脳、運動神経、才能、親の経済力、様々な要因で人生のスタートラインが決まります。

まあ、そんなものは当たり前で、誰しもが分かっていることだと思います。

それを受け入れて生きていくのが合理的なのですが、受け入れられない人も一定数います。

どういう訳か、自分は不幸だと思いたがる人が多いんですよ。

自分を不幸だと思っていたら不幸になります。

今回は境遇に囚われず、前を向くための話です。

人生のどこで「自立」を覚えるか

人生を意欲的に生きている人と、慢性的に不満を抱えながら生きている人の大きな違いは「自立」だと考えています。

精神的な自立が出来ている人は、社会に合わせて自分を変えようとします。

反対に自立が出来ていない人は、自分の都合に社会が合わせるべきだと考えています。

マンガやドラマで、子供が寝坊した時

「なんで起こしてくれなかったの!?」

と親に詰め寄るシーンが描かれることがあります。

大人からすれば、自分の力で起きるのは当たり前のことですが…

精神が自立していないと、親が起こしてくれないのが悪いと考えるわけです。

自立が出来ない人は

「誰かが自分のために何かをしなければならない」

という思考に陥りがちです。

「自分が不遇なのは社会が悪い」

「社会は自分みたいな人間を救済すべきだ」

と、他人に対して自分を助ける事を強要します。

そして、その何かをしてもらえないことに不満を抱きます。

それは…その人達が勝手に思っているだけです。

社会は精神的に自立することを前提として成り立っています。

確かに社会には問題も多いですが、それも自立している前提の話です。

自立出来てない人達が声高に叫ぶ不満は、社会にとっては問題ですらないんですよ。

不満を叫んだところで社会は変わらないし相手にもしない。

どんなに自分が…自分達が正しいと思ったところで、社会からすれば

「何言ってんだコイツ」

と思われるだけです。

昔、私が住んでいたアパートの隣の人がワケの分からん人でした。

ある日、私の部屋のインターホンを連打して

「今朝はゴミを出せなかった、お前が何とかしろ」

と言い出しました。

ワケが分からんでしょう?

私も分かりませんでした。

その人の言い分は

「自分は低血圧で朝が起きられない」

「今朝は念のため玄関前にゴミ袋を置いていた」

「収集時間になってもゴミがあったら変だろ?」

「なぜ、変わりに捨てなかった?」

「ゴミ出しは同じアパートで協力すべきだ」

これ本気で言ってるんですよ。

どれだけ論理的に話しても「自分が正しい」と譲りませんでした。

最終的には

「知らねーよバカが、殺すぞ」

と追い返して事なきを得たのですが、余計な労力を使ってしまいました。

精神的に自立してない人は、社会が相手でもワケの分からん主張をするんですよ。

それは明らかにおかしいのですが、本人は絶対に自分が正しいと思っています。

でも、社会から見たら「知らねーよバカが」という話です。

いつだって人生が上手くいくのは、社会の仕組みを理解して合わせる人間です。

精神的な自立は幸せになるために重要なステップなんですよ。

努力すれば救済されるのは恵まれている

私は大学に行っていないんですよ。

私も若い頃は精神的に自立出来ていなかったので、自分が大学に行けなかったことを家庭環境のせいにしていました。

しかし、本気で大学に行きたいなら学費の安い国公立に行って奨学金を貰えば良い話です。

結局のところ、自分の努力不足を棚にあげて何かのせいにしているだけでした。

その頃の怠惰で失った分を取り戻すために、今は人生を切り拓く戦いをしています。

今の日本は、努力して結果を出した人を救済する仕組みがあるんですよ。

これが江戸時代なら、農民はどんなに勉強しても農民のままです。

奨学金が無い国では、親が貧乏なら努力しても大学には行けません。

そういう部分では日本って恵まれているんですよね。

しかし…前述の通り、社会は精神的な自立を前提としています。

結果を出すだけの努力をしなかった人は救済の対象外です。

ただ、その手の人達は国によっては普通に死にます。

それでも日本では生きていくことが出来るから、やっぱり恵まれていますよね。

社会保障の手厚さが逆に自立出来ない人を生んでいるのかもしれませんが。

「これさえあれば…」

「~のせいで…」

などと、自分を不幸だと思っている人は…当たり前に持っているものに気付きません。

自分には当たり前でも、他者にとっては当たり前とは限らない。

私からすれば、家族と仲が良いのは普通に羨ましいことですよ。

足りないものに目がいって、あるものに気が付かないわけです。

人間は誰しも足りないものがあって、それを補うために努力をします。

スタートラインで足りないものがあったところで

「だからどうした」

なんですよ。

容姿に恵まれていなくても社会で成功した人は腐るほどいます。

貧乏から這い上がった人もたくさんいます。

仮に…何も才能を持っていなかったとしても、勉強をしっかりやれば高収入の仕事に就くことが出来ます。

本当に人生がどうにもならなくなる要因って、そんなに無いんですよ。

何かのせいにしたがるのは、人の弱さなのかもしれません。

一つ、私から言えることは

「自分を慰めるために大切にしている不幸が、自分をより不幸にしている」

ということですね。

他人の努力は他人のもの

最近、とあるネット記事を読んで唖然としたんですよ。

車椅子の女性がJRの駅員に乗車拒否された…という主張の話で、気になる人は「車椅子 乗車拒否」で検索してみてください。

かいつまんで話すと…

旅行でバリアフリー対象外の駅で降りたいから駅員を呼んで対応しろと車椅子の女性が要求。

JR側は出来ないと断ったが、最終的には業務の範囲を越えて対応。

しかし、女性は「駅員の対応が悪い」「障害者に対する意識が低い」とブログに怒りを綴った…という話です。

障害を持っているのは確かに大変だと思うんですよ。

それは国も分かっていて、バリアフリーが導入されたりしているわけです。

ただ、旅行に行くならバリアフリー化されている場所に行けば良いと思うんですよ。

どうしても行きたいなら、事前に準備したり工夫すれば良い。

誰だってそうするでしょう。

経済的な余裕が無くて旅行なんか行けない人も多いです。

人は基本的に不自由で、それでも自由に行動するために色々と考えるものです。

健常者だろうと障害者であろうと、自分の出来る範囲で努力するのは当たり前のことじゃないですか。

車椅子の女性は社会的には結構…偉い人なんですよ。

その人が子供みたいな駄々をこねるって、この国ヤベーなと思ったわけです。

その女性はバリアフリー化されていない場所には行けないかもしれませんが、私が行けないような高級ホテルには泊まれます。

私は高級ホテルに泊まれないからといって「社会がー!」って喚いたりしないですよ。

誰しも出来ることと出来ないことがあります。

なんでも思い通りになるのは王様くらいですから。

駅員をやっている友人から話を聞くと、車椅子の人ってマトモな人が多いらしいんですよ。

自分に出来ないことを駅員にやってもらうわけだから礼儀正しいし、必ずお礼を言われるそうです。

精神的に自立をしているから、自分に出来ることをやるし、出来ないことをやって貰ったら感謝をする。

これは人として健全な姿だと思います。

一方で、やって貰うのが当たり前という態度の人もいることはいるらしい。

結局のところ、健常者だろうが障害者だろうがヤベー奴はヤベーんですよ。

「やってもらうのが当然」と考えている人は精神的な自立が出来ていないだけです。

自分のために他人に努力を求めるのは間違っています。

他人の努力は、どう使おうが他人の勝手です。

自分のために何かを変えたいなら

「自分は◯◯だから、こうしろ」

と叫ぶのではなく、自分に出来ることから始めるべきです。

社会は特定の人のためにあるのではなく、社会に生きる人全員のために存在しているのですから。

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