言われたことをやるのが得意な人、強力な自我を持つ人

哲学系記事
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人から学ぶという行動はとても効率の良いことです。

例えば、数学をゼロから独学で始めるより、歴史の中で発見され証明されている数式を習った方が遥かに高いレベルに辿り着けます。

人から習うのが得意な人も苦手な人もいますが、ある程度は人から習う必要があるということです。

問題は…その先です。

それぞれに向き不向きがある、今回はそんな話です。

言われたことをやる能力

今の学校教育で試されているのは「言われたことをやる能力」です。

人から習うのが得意な人は、この能力が高い人です。

この能力を持った人が大勢いないと社会が回りません。

重要な能力でもあるから、学校教育の骨幹になったのかなと考えています。

この能力が高いほどマニュアルやシステムに素早く順応出来ます。

また、思考停止というわけでもありません。

言われたことをやる能力が高く、思考力も高い人は世の中で高い地位に登りつめることが出来ます。

官僚になったり、大企業に就職したりですね。

この能力と思考停止は全く別の話ということです。

言われたことをやるにしても指示を理解し、全体の流れを把握して対策を立てられる人は優秀です。

一方で、思考停止して指示されたことだけをやるだけだと、世の中では成功しづらいです。

どちらにせよ、この人達は完成されたシステムの中で上手く生きていけます。

逆に、システムから極端に逸脱することを苦手とします。

公務員やシステム化された会社に向いている一方、芸術家や起業家には向きません。

レールの上なら全力で走れますが、レールが無い場所では極端に動きが鈍くなってしまいます。

世の中はあちこちにレールがあるので、安定して生きられるという強烈なメリットが存在します。

ただし、自分が進むレールを考えて選んでいかないと行き詰まることがあるので注意です。

強力な自我

言われたことをやる能力がレールの上を得意とするのに対して、強力な自我を持つ人はレールの外を走ることを得意とします。

言われたことをやることにストレスを感じやすく、自分のやりたい事や効率の良い方法を求めます。

自我が強いほど同調圧力に屈せず、ルールを無視したり指示に逆らったりします。

このタイプは一長一短で、成功者になる人もいればドン底に落ちる人もいます。

言われたことをやる能力を持つ人よりも優秀…というわけではありません。

抵抗なくレールの外を歩けるだけで、上手に歩けるとは限りませんから。

幸せに生きるためには高いスペックが要求され、研鑽と挑戦を繰り返す必要があります。

根本的に学校教育のシステムには向いていません。

一部が天才と称される一方で、犯罪者になったり、ニートにもなりやすいタイプです。

かといって、ひたすらレールの上を走ろうとすると病みやすい。

道なき道を拓くには…高い能力と、それを得るだけの研鑽が必須です。

前進するならば良い素質ですが、停滞すると悪い方へ転ぶ素質でもあります。

高みへと辿り着く人よりも、腐ってしまう人の方が多いように感じます。

このタイプは少数派であることは確かです。

ただ、それが良いか悪いかを決めるのは本人の行動次第です。

幸せに生きることこそが成功である

言われたことをやるのが得意な人が多数派で、強力な自我を持つ人は少数派です。

多数派を【普通】、少数派を【特別】と考える人が多いのですが…

レールの上と外、どちらにストレスを感じないか…という程度の違いでしかありません。

どちらのタイプにせよ、研鑽を積んで自分の道を切り拓く者が成功します。

レールの上を走るなら進みたい分岐点へ行けるように努力する。

レールの外を走るなら、少しでも能力を高めて進める道を探す。

世の中の頂点になる必要は無いんですよ。

自分が幸せであることが成功と呼べると思います。

私にとっては時間を自由に使えて、挑戦したいことがあればすぐに出来る環境が幸せです。

ひたすら創作したいという人もいれば、世界中を旅することが幸せという人もいます。

安定した生活で家庭を持つのが幸せという人もいるでしょう。

幸せは人によって違います。

他人の幸せを真似したところで満たされはしないでしょう。

自分の幸せが何であるかを見つけて、それに向かっていくことが人生である…と私は考えています。

言われたことをやるのが得意な人も、強力な自我を持つ人も、それは進み方の違いでしかないんですよ。

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