怒りで指導をしてはいけない理由

哲学系記事
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厳しい指導が必要なことは、よくあるものです。

危険が伴う場合は、殴ることすら必要だと私は思います。

しかし、どちらかというと私は冷静に指導をすることが大切だと考えています。。

昔は云々…という話も聞きますが、時代と供に指導法も変わっていくものです。

今回は、そんな感じの話です。

人が育たなくなる

自衛隊では、癇癪を起こしてキレることを「指導」と言う人が多いんですよ。

例えばある時、私が喫煙所でタバコを吸っていると、後から中隊の曹長がやってきました。

ライターが無いらしく、ポケットを探していたので

「どうぞ、使って下さい」

とライターを差し出すと

「ここでライターを借りても、この後もライターが無かったら困るだろうが!」

「考えたら分かるだろ!」

と激怒されました。

ワケの分からん怒られ方ですが、自衛隊ではよくあることです。

しかし、曹長の中ではそれも「指導」なんですよ。

高校を卒業して社会を知らないまま自衛隊に入った隊員の一部は、これで潰されたりします。

何をしても怒られるから、いずれ何もしなくなる。

まあ、そうなるよなと思います。

しかも、良いことだけやらなくなって、ストレスが溜まると悪いことはやってしまうんですよ。

萎縮しきった隊員は一から十まで指示しないと動けなくなってしまうし、ちょっとしたミスで酷く落ち込むから慎重な配慮が必要になります。

ナメ腐った奴を叩き直すより、萎縮した隊員を立ち直らせる方が遥かに難しい。

立ち直らせても次々と若い隊員が潰されて、いたちごっこでした。

理不尽に耐えるのも訓練とはいえ、無駄に離職者や鬱病を増やすのは非合理的です。

怒り任せて怒鳴り散らすのは感情をコントロール出来ていないだけで、それは本人の問題なんですよね。

しかし、彼らはそれが正当化される環境で生きてきたから、そういう価値観を持ってしまっているんですよ。

私は自衛隊以来、人を人間性と能力、義理と恩でしか見なくなりました。

どんな肩書きや立場があっても全てに欠ける人間は一切敬わないので、めちゃくちゃ嫌われますが私は今日も元気です。

人が人に敬意を払うのは、敬意を払うだけの価値があるからです。

先に生まれたから、先に入隊したから偉い…これは本質を失って形骸化した価値観です。

それに依存して敬意を払われる人物になろうとしないのは本末転倒です。

一生懸命に感情を抑えていても爆発してしまう人はいると思います。

人間なので、それは仕方ないことだと思います。

精神構造的に無理な人もいるので、良かったら「怒りを適切に扱うための手段」という記事を参考にして下さい。

しかし、ただキレ散らかして立場の弱い人間にあたることを正当化してはいけないんですよ。

それは自分も相手も育たなくなりますから。

見極めが難しくなる

厳しい指導が必要な時もあって、そういう時は私も怒鳴ります。

厳しい指導を行う時は、相手がどれだけ耐えられるかを見極めながら行う必要がある。

読み違えると潰してしまうので、凄く難しいです。

警察学校や自衛隊の教育隊の教官・助教は、この辺のさじ加減が絶妙です。

彼らはキレたくない時でも必要に応じて怒鳴り、キレても平静を装います。

潰れそうな隊員には手の平を返して優しくなり、厳しい訓練では反抗心を煽って気力を保たせます。

警察・自衛隊の教育機関は優秀だな…と今でも思います。

テキトーにやっている人も多いですが、人を育てるということは難しいんですよね。

テキトーにやって上手くいくのは、相手に素質があるだけで、そういうタイプは放っておいても成長するんですよ。

自衛隊だと優秀な人間も、すげえアホもいるので見極めはホント大事です。

テキトーな指導で潰したにも関わらず

「根性が無い」

と相手のせいにするのは間違っています。

最初からフルスロットルでボコボコにしても耐えられるほど根性がある隊員なら、むしろ指導なんていらないんですよ。

相手が耐えられるギリギリを攻めて、メンタルを強くしていくわけですから。

確かに、自衛官になるなら肉体と精神がタフであるのが理想です。

しかし、現実そんな人間はあまりいないんですよ。

だから、どんな人間でも一定以上に育て上げるのが指導者の力量だと思っています。

甘やかしても育たず、厳しくし過ぎても潰してしまう。

自分自身が冷静でないと、その境界を見極められないものです。

問題が大きくなる

人はよく使う感情ほど抱きやすくなります。

怒りを噴出させてしまった分だけ怒りやすくなるわけです。

指導で怒りを使い続けると、誰かの些細なミスでもキレるようになっていきます。

若い隊員が未熟なのは当たり前なのですが…些細なことでキレる人は、そういう未熟さを許容出来なくなっていきます。

そうなると、物を教える立場としては致命的です。

その手の人の中には、タチが悪いことに未熟さを肯定する人もいたりします。

若い隊員に良く思われたいのか

「出来ないのは仕方ないよ」

と普段は未熟さを肯定するのですが、些細なミスでぶちギレてオーバーキルします。

指導を受ける側は混乱しますよね。

私は未熟さを許容はしても肯定はしないんですよ。

未熟さを肯定してしまうと、改善しようとしなくなりますから。

「出来ないことを出来るようにするのが仕事だ」

「そうじゃなきゃ組織に必要ないだろ」

と突き放しはしますが、出来ないからといってキレることはないです。

「またかよ、いい加減にしろ」

「なんでそんなことも出来ないんだ」

みたいにキレてばかりだと、相談してこなくなり、ミスを隠蔽するようになります。

ミスの隠蔽が癖になると、後からとんでもない問題が発覚したりするので心臓に悪いです。

だから、ミスを報告されたら淡々と聞いて、淡々と対処します。

もし可能なら自分で対処させます。

自分でミスに対処させることは、立ち直らせるのに効果的です。

「もういい、お前には何も期待しない!」

とキレて突き放すと、そのまま辞めようとする隊員も出てきます。

辞めると言い出した隊員を殴るというヤベー奴すらいて、シンプルに頭が悪いです。

そりゃ人もいなくなるわ…という話ですよ。

この記事を読んでいる人は、これらの話を肯定か否定かは別として、理解はしてもらえると思います。

それが自衛隊だと…話の内容を理解出来る人が10人に1人ぐらいなんですよ。

私は改善を諦めました(笑)

まあ、自衛隊は無理だとしても、通常の組織なら改善していくことは可能だと思います。

指導をすることは我慢の連続です。

難しいし、キツイし、責任もある。

テキトーにやって尊敬される…という美味しい役割ではないわけです。

負荷が高いので、キレてしまうのは仕方ない側面もあります。

しかし、それを正当化するぐらいなら指導に関わらなければ良いんですよ。

指導側の責任とは、そういう自省も含まれるのではないかなと思っています。

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