錆び付いた価値観

哲学系記事
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人は育ってきた環境で価値観を形成します。

完璧主義の家庭に育つと自分の些細なミスを気にするようになるし、人を殴るのが当たり前の家庭で育つと暴力的になります。

家庭だけではなく、学校や友達付き合いなど様々な要因が価値観に影響を与えるものです。

健全な精神を養うためには環境が重要ですが、それだけ整った環境は非常に稀です。

大抵の人間が嫌なことや理不尽に踏み潰されたり、他者を貶めたり、悪徳を経験しながら育ちます。

そうなると…本来ならば価値のあるものを軽視し、快楽的に怠惰に生きることを肯定しがちです。

心が腐るのは大抵の人間が経験することで、その中で自分の弱さと向き合った者だけが人生を前向きに生きていけるわけです。

生きてきた中で不要とされ、錆び付いた価値観。

それは、幸せに生きていくうえでは必要なものです。

今回は、その錆び付いた価値観を掘り起こす話をしようと思います。

夢とか将来の目標

ゲシュタルト崩壊するレベルでJ-POPや物語に登場し、現実では綺麗事の代名詞ともされるのが「夢」というやつです。

「夢を持て」「夢を掴め」とか言われても…薄ら寒い綺麗事に聞こえてしまうのは、わりと普通のことだと思います。

私が学生時代の頃、夢を語る奴は失笑されるのがオチでした。

不良に憧れたりすることもありますし、異性にモテることが全てみたいな考え方をする人もいます。

努力を否定し、他人の足を引っ張ろうとする。

自己肯定感が低いから常にマウントを取ろうとするし、必死に背伸びして自分を良く見せようとする。

そういった人間が多数派を占めていました。

私は正直…これを否定する気は無いんですよ。

私自身もそっち側の人間でしたし、若い頃のバカさ加減というのは、それはそれで楽しいものです。

環境の影響が強いですから、その中で価値観を形成してきたら精神が腐るのは当たり前ですしね。

この手の人達は一定数いるので、若者の精神が未熟なのは仕方ないと思っています。

ただ、大人になってもこの価値観のままだと非常にまずい。

自分を変えてこうとしなければ、精神が腐ったままです。

自分に価値が持てず、自分が上手くいかない世の中を憎み続けてしまいます。

大人になると、何か目標を持って生きている人は輝いて見えるものです。

将来に希望があって研鑽を積み上げている人は、人生が充実していますから。

しかし、努力することや成長することを放棄してきたら、自分が簡単に出来ることにしか手を出さなくなるものです。

凄い人だと思われたかったら…凄い人になるのではなく、凄い人を演じようとする。

成るよりも偽る方が簡単ですからね。

まあ…その生き方が幸せでないのは経験した人なら分かると思います。

偽るのではなく成る…人生のどこで何がキッカケになって変わるかはその人次第です。

私の場合は哲学でしたし、仕事だったりスポーツだったりもするでしょう。

本気で打ち込むということを経験した人は比較的変化しやすいです。

ただ、学生時代に全力でスポーツに打ち込んだ人も大人になってから腐ったりします。

打ち込むこともなく、目的もなくただ生きていると人生が空虚になっていくからです。

自衛官も陥りがちですが、その空虚を埋めるために酒や恋愛やギャンブルで埋めようとしてしまいます。

その空虚な状態を救うのが夢ってやつなんですよ。

昔はよく一人旅をしたのですが、旅というものは目的地につくことよりも道中が楽しいものです。

同じように人生に目標があって、それを本気で追いかけていると人生が楽しくなります。

夢というものは思考停止して消費活動にいそしむだけでは持つことが出来ません。

考える人間だけが持てるものです。

満たされない日々を、何もせずに過ごしていたら変わることはありません。

異世界に転生してチート能力を手に入れることはないし、白馬の王子様が現れることもありません。

自分が幸せに生きるためには自分で何を変えていく必要があるのか。

考えて、行動して、成長していけば、やりたいことの一つや二つが見つかるものです。

善と感謝

前になんかの記事でも書きましたが、精神が自立していないと

「やってもらうのが当たり前」

「自分は~されるべき」

という思考に陥ります。

精神が自立すると、自分で出来ることは自分でやるのが当たり前になるんですよ。

そのうえで、自分に出来ないことや手間のかかることを誰かにやってもらうと「ありがたい」と思えるわけです。

私は普段、電車に乗る時に鉄道会社の人に感謝することはありません。

自動改札をくぐって、来た電車に乗っているだけだし、対価を払っていますからね。

ある時、電車に携帯を忘れました。

電車は行ってしまったし、待ち合わせ相手に連絡も出来ない。

走って電車に追い付けるわけもない。

慌てて改札の人に相談したら速やかに対応して貰えました。

3つ先の駅で発見されて、すぐに取りに行ったので事なきを得ました。

この時、すげえ感謝したんですよ。

私の携帯が見つかろうが無くなろうが駅員さんの人生には関係ないし、忘れたのは私の落ち度だから鉄道会社の責任でもない。

にも関わらず、私ではどうにも出来ないことをテキパキとやってくれたわけですから。

また、鉄道の話を友人から聞いたりすると

「大変なんだなあ」と思います。

そういう時は、電車が動いていることに少し感謝します。

こういった時に感謝するのは、人として普通のことだと私は思います。

私がクライアントの変わりに撃たれたり刺されたりしたとしても、それが仕事で対価を貰っているから当たり前です。

ただ、休みの日に誰かを庇って刺されたとして、感謝はされなくてもいいけど

「ガタイが良いんだから盾になるのは当たり前だ」

って言われたら普通に嫌だし、二度と助けねえって思います。

困っている人を助けるというのは善からくる行為です。

嫌な奴だったら

「自分には関係ない」

で済ませるか、人から良く思われそうな時にだけ助けるフリをします。

対価を要求したりもするでしょう。

やらなきゃならなくなって嫌々やる場合もあります。

それらを抜きにして人を助けられるのは善良さ以外のなにものでもありません。

「自分が誰かに助けてもらって感謝をする」

「そして誰かに助けて貰った分、誰かを助ける」

私はこれを「恩の交易」と呼びます。

義務ではなく、出来る時に出来る事をして助け合うことで生産性が上がります。

ここに嫌な奴や感謝しない奴がいると破綻するんですよ。

だから私はその手の人間を除外するし、善良さや感謝の心を持つ人に敬意を払います。

まあ、誰しも嫌な奴は普通に助けたくないでしょう。

恩のある人や良い人だったら助けようという気になると思います。

良い奴だから助けて貰えるし、誰かを助けるから誰かに助けて貰える。

そこには善と感謝があります。

「周りが困っていても自分には関係ない」

「誰かが自分を助けるのは当たり前」

そんな人は見捨てられても仕方ないことです。

自分の正義

正義とは相対的なもので、絶対的な正義は人類がまだ辿り着いていないものです。

だから現状は、人がそれぞれ価値観の中に自分の正義を持つ状態です。

正義と聞くと中二病とか子供の戯れ言と考える人も多いですが、自分の正義を持つことはクソ重要なんですよ。

自分の正義とは、何が正しいか自分はどうあるべきかという基準です。

それは欲望や怠惰から決めてはいけないものです。

私は、自分の力で生きていくのに必要であることを、自分の正義に定めています。

前述の善と感謝も私の正義の一つです。

人は言い訳をしてしまうもので、何かが出来なかったり、問題を起こした時に自分を正当化しようとします。

それが繰り返されると性格が歪み、嫌な奴になっていきます。

自分の正義という基準があれば自己の正当化を防ぎ、自省することで人としての成長に繋がるわけです。

また、自分が世の中にいて欲しいと思うような人物を考え、自分自身がそれを目指すことも自分の正義としています。

人は過去の自分なら未熟さを実感出来ますが、今現在の自分が未熟であるという意識はなかなか持てません。

他人と比較して未熟さを実感しても、自尊心を失うので受け入れられなかったりします。

だから、自分があるべき姿を設定して、今の自分と目指すべき理想の自分を比較すると、足りない部分が分かるようになります。

自分の正義は人としての成長に影響するわけです。

同時にそれは自分の軸となります。

他人の行動や意見に流されず、自我を持ち生きるのに役立ちます。

仮に私の周りが

「人生なんてテキトーで良い」

「頑張る奴はダサい」

という価値観で固まっていたとしても、私は自分の正義があるから流されることはありません。

世の中には人を騙そうとする人もいれば、人の足を引っ張ろうとする人もいます。

自分の正義が無いと彼らの影響をモロに受けます。

冒頭で人は環境に影響されるという話をしましたが、自分の正義があればちょっとやそっとのことじゃ影響されないわけです。

それに自分の正義が無いと人と争えないし、逆らえなくなります。

常に相手の言ってることが正しいように感じてしまうからです。

相手の意見を否定出来るのも、自分の正義からくる主張です。

ただ、最初の方にも話しましたが、自分の欲望や怠惰から自分の正義を作るとクソ迷惑な存在になります。

「恩と感謝」で話した「自分は~されるべき」という考えは歪んだ自分の正義なんですよ。

その人にとっては正しいことでも、その根底にあるのは欲望です。

歪んだ正義は人格も歪ませ、人から魅力と成長を奪ってしまいます。

自分の正義は自分に厳しいものでないと意味が無いわけです。

さて、錆び付いた価値観について話してきましたが、私は綺麗事を言っているつもりはありません。

私が見聞し、実証してきた事ですから。

「そんなものは必要ない」と主張する人もいるでしょう。

その人が今、幸せならば必要ないのだと思います。

しかし、今が幸せで無い人は、自分の中で環境に潰され錆び付いた価値観を掘り起こしてみるべきです。

それを周りが大切にしていないからといって、自分に必要無い訳ではありませんから。

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