ペルソナを外すための話

哲学系記事
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人は社会に適応するためにペルソナを被っています。

ペルソナは「仮面」という意味で、心理学的には対外的な仮の人格といったところです。

ペルソナは外すことが出来ますが、それには人間性の成長が関係していて…人によっては一生外せないこともあります。

今すぐに外せるというものでもなく、無理に外せば不都合が生まれてしまいます。

人が生まれた時から社会には規範があり、それに急いで合わせるためにペルソナを作ります。

ペルソナは、中身を育てるまでの仮の人格に過ぎません。

しかし、ペルソナによって人を欺くことが正しいという価値観は強く根付いているものです。

それは、人生を苦しくする原因にもなります。

今回は、そのペルソナを外すための話です。

ペルソナの形成

子供は欲望に忠実でワガママだし、些細なことで喧嘩したり、平気で人を傷つけたりするものです。

小学校では、暴行、恐喝、窃盗などなど、大人の社会では許されないことが子供だから許されています。

ただ、それを繰り返すと大人に怒られたり、周りから嫌われたりするので、本心とは別にやらなくなるものです。

この時に、友達を傷つけて心の底から後悔したら人間性が成長します。

しかし、ただ怒られるから、嫌われるからという理由だけだとペルソナになります。

ペルソナを被っても人間性が成長していけば、いずれは解放されますが…

何も考えずに演じ続けるだけだと、心は窮屈な思いをしながらペルソナに縛られ続けます。

そして、自我の強い人間ほどペルソナがストレスになってしまいます。

また、中学生ぐらいになると周りから優れていると思われたいという承認欲求が芽生えます。

既に集団の中で評価されていれば芽生えることはありませんが、そうでない場合は屈折した形で満たそうとします。

例えば、いわゆる中二病という状態。

自分の理想の姿を妄想してペルソナを作ります。

ペルソナによって、自分が望むような凄い人間を演じるわけです。

大なり小なり差はあり

「自分は世界を救うヒーローだ」

という現実世界とかけ離れた妄想もあれば

「自分は賢く優れた人間だ」

という、比較的に大人しい妄想もあります。

しかし、ペルソナによって自分は価値のある人間だと思いこんでも、現実の自分とはギャップがあり過ぎて周りからは変な目で見られます。

大人になっても引きずっている人は多くて

「本当の自分は理解されない」

と考えている人が多いのですが、その「本当の自分」は妄想であることがほとんどです。

社会に適応するためのペルソナと妄想の自分というペルソナ。

この2つを持つと、本来の自分には気付かなくなります。

人の成長には弱さと向き合うことが大事なのですが、この状態だと本来の自分が分からず成長が出来なくなります。

また、SNSは非常にペルソナを被りやすいプラットホームです。

しかし、SNSと現実の自分に差が生まれることは、自分を苦しめていきます。

ペルソナと本来の自分に差があるほど、現実では自己肯定感を失い、人生が辛くなっていきます。

SNSで強固なペルソナを被ってしまうと、それだけ立ち直るのが難しくなってしまいます。

人はペルソナを剥がされることを恐れる

私は現実で人から嫌われたり怖がられたりするのですが…

その最たる理由が、人のペルソナをある程度無視するからです。

私は幼少期からの経験で、人のペルソナを見破る術を心得ています。

それを限定的に使用したりします。

人のペルソナではなく、本来の人格に語りかける方が合理的に話が進む時があるからです。

例えば、パワハラで自己顕示欲を満たしている人は、「相手のためを思って指導をしている」というペルソナを被っています。

その人のペルソナに付き合って指導の方法を説いたところで、パワハラをやめることはありません。

だから、相手の自己顕示欲にフォーカスして話を進めるわけです。

ただし、私は周りに悪影響を及ぼす人間のペルソナは容赦なく剥がしますが…基本的に人のペルソナに触れることはタブーだと考えています。

というのも、ペルソナを剥がす行為はこの上ない精神攻撃なんですよ。

無闇に行うと、凄まじい恨みを買ってしまいます。

下手をすれば自殺の原因にすらなるほどです。

ペルソナが強固であるほど、その人の致命的な弱点となります。

だから、必死に守ろうとする。

防衛反応から来る恨みは強烈です。

昔、ペルソナを見破る話をした際に

「嘘をつくな、だったら俺のも見破ってみろ」

と言われたことがあります。

「まず、ペルソナの話を聞いて、自分のペルソナに不安を感じている」

「嘘であって欲しいから嘘だと決めつけている」

「つまり、ペルソナを暴かれるのが怖い」

「表の顔は虚勢であり、自分の価値が不安」

「自分で語るほど、中身は強くない」

こんな感じのことを細かく答えたら、相手は絶句しました。

この件から凄まじく恨まれるようになります。

私も相当なアホでした。

ペルソナは、普通にしていれば滅多に暴かれることは無いんですよ。

ただ、本来の自分とかけ離れているほど見破られやすくなります。

そして、叩かれやすくなる。

普段は他人を攻撃しないような人でも、過度に脚色したペルソナには不快感を感じて攻撃したりします。

私が安易なブランディングに否定的な理由がこれです。

例えば、マラソンを一生懸命走っている人は、自分の前を走っている人を憎んだりはしません。

しかし、タクシーを使って上位に踊り出た人には不快感を示します。

過度に脚色したペルソナでブランディングをすると、物凄い数のアンチを生み出すことになります。

そのアンチの質も、ヤベー奴ではなくマトモな人が多くなってしまいます。

そうなると火力の高い誹謗中傷を半永久的に受けることになり、必ずどこかで潰れてしまう。

ペルソナはそんなに便利なものではないんですよ。

ペルソナを外すための条件

本来の自分を出しても不都合が無ければ、ペルソナを被る必要が無くなります。

自分のクズさを受け入れてくれる人に現実で出会ったり、そういう集団に属してしまえばペルソナは無用です。

また、立場が強くなるほど周りにイエスマンが増えるので、ペルソナを被らないことによる不都合が無くなっていきます。

自分より格下の相手にはペルソナを使う必要が無いわけです。

偉くなった人に嫌な奴が多いのは、単純にペルソナを被らなくなった人がいるということです。

ただ、これらの方法はあまり健全では無いと思っています。

色々と別の問題も発生してしまいますからね。

だから正攻法でペルソナを外すことをオススメします。

ペルソナを外す最もリスクの無い方法は、ペルソナと本来の自分の距離を縮めることなんですよ。

人間性を磨き、恐怖や欲望に流されずに弱さと向き合っていく。

そうしてペルソナで演じている人間に、本当になってしまうわけです。

本来の自分をさらけ出しても問題無い人間になってしまえば、ペルソナは無用です。

一朝一夕で成長するものではなく、長い時間をかけて人間性を磨いていく必要があります。

それでも、ペルソナを外せた時には本来の自分を誇れるようになっているはずです。

かつては私も「本当の自分」という妄想に取りつかれていて、対外的なペルソナと妄想のペルソナを持っていました。

その妄想のペルソナを警察学校で叩き割られ、自身の弱さと向き合うようになります。

そうして、色々な弱さを克服していくうちに対外的なペルソナを外すことが出来ました。

物質的な貧しさや病気などの理由以外に人生を苦しいと感じている人は、ペルソナによって苦しんでいるかもしれません。

そういう時は、逆に思いっきり厳しい環境に飛び込んでしまうのも一つの手です。

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