「自分が正しいと思ってるよね?」

哲学系記事
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私が人と議論をする時、高確率で言われる言葉がこれです。

それに対する返答は「当たり前だ」です。

わざわざ間違っていると思うような主張をしないですから。

昔から何故これを聞かれるのか不思議だったのですが、ある時に感情論なのだと気がつきました。

今回は、感情論と間違いについての話をしようと思います。

感情論

議論において、自分が間違っていることに気付いたら、間違っていると認めた方が合理的です。

逆に自分の主張が論理的に間違っていないなら通すべきです。

これは議論の原則であると私は考えています。

しかし、感情論を持ち込むと原則は破綻します。

感情論とは、感情が理由になる主張のことです。

「可哀想だから動物を食べるべきではない」

これも感情論ですね。

個人の指針を決めるなら感情論でも構いませんし、私はヴィーガンの是非を問う気もありません。

ただ、集団の指針を決める時は合理的である必要があるんですよ。

だから、議論では論理的に話を進めます。

感情論者は、感情に従うことが正しいと考えています。

この時点で議論とは相性が悪いのですが、さらに難しく考えることを嫌い、複雑な物事をシンプルに捉えようとします。

感情論者を納得させるには、その人の感情に沿う結論でないといけないため、合理性からは外れていきます。

例えば、政治家の不正が発覚した時に

「死刑にしろ」

という人が一定数いるのですが、感情で死刑が決まる国だったらやべーです。

自分の不注意で他所の家の窓を割ってしまったとして、相手がスゲー怒って

「死刑にしろ」

って言われて死刑になったら嫌です。

また、自分の配偶者が浮気したとして

「好きになったから仕方ない、誰も悪くない」

と言われても、納得する人はいないでしょう。

だから、他人も関わるような物事を感情論で考えるのは良くないわけです。

しかし、感情論者は論理を嫌うので、間違いを認めるのも感情のさじ加減です。

要するに…気に入らなければ間違いを認めないので、議論がまとまることはありません。

前述しましたが、自分だけで完結するなら感情論で構わないんですよ。

私が「ラーメン食べたいな」と思ってラーメンを食べようとするのは感情論ですし、身辺警護の仕事を始めたのも「面白そう」という感情からです。

しかし、会食の店を決める時にラーメンを食べたいからラーメン屋にする訳にはいきませんし、警護中に飽きたから辞めるという訳にもいきません。

「動物を殺すのは可哀想」

という人達の気持ちは分かります。

私一人なら、他に食べ物があれば殺して食べようとはしないでしょう。

ただ、他に仲間がいたら話は別です。

仲間を生かすためにも食える時に食った方が良いですし、他の人を飢えさせる可能性のある選択はしません。

自分一人の場合と他者がいる場合では、感情と論理を分ける必要があります。

他人を無理矢理、自分の感情論に巻き込んではいけないわけです。

意見とワガママ

タイトルの

「自分が正しいと思ってるよね?」

もそうなのですが、感情論者はパワーワードに頼る人が多いです。

感情論者も一応は論理的に話そうとしますが、主張の元が感情論なので返答に窮する場面が出てきます。

そういう時にパワーワードが出てきます。

「相手の意見を認められないのか」

→そちらの意見を無条件で採用する道理は無い

「人としての情は無いのか」

→今は必要ない

「これは理屈じゃない」

→遊びじゃねーから理屈は必要です

みたいに返答することが多いです。

ただ、しっかり議論すべき問題は合理性に従いますが、どうでも良いことは落とし所を探ります。

私がよくやるのは、適当に謝りつつ意見は通すことです。

感情論者は感情が収まれば納得するので、全く意見を変えずに語尾に「すみません」をつけるだけで納得したりもします。

だから自分の主張が通らなくても満足すれば収まるんですよ。

「はえー、凄く聡明な考えをお持ちなんですね」

「でも、現実問題として難しいんですよ」

「ただ、参考にはさせて頂きますね」

で、納得する人がいるのは個人的に面白いです。

まあ、それでも納得しない人はいるものです。

意見の根底が感謝論である人ほど、自分の主張を通すことに固執します。

論理が破綻しても、話をすり替えたり、パワーワードを連発して主張を認めさせようとします。

そこまでいくと子供のワガママと変わらないので、話をしても無駄なんですよ。

「自分が正しいと思ってるよね?」

は、論理が破綻してなお自分の主張を認めさせたい感情論者が、話をすり替えて自分の正当性を認めさせる手法です。

謙虚な人や、自分に自信が無い人はこれで揺らぎます。

前述の通り、わざわざ間違っていると思う意見を主張するわけでもなく、正しいと思うか、可能性を探るような意見が多いはずです。

しかし、少しでも自分が間違っているかもしれないと揺らいだ分、反対に相手の正当性を認めることになる。

そもそも自分が正しいと思っているのは、言われた人ではなく、言った側の人なんですよね。

この辺のパラドクスを読み取れないと、流されてしまいます。

自分の考えが無いと押し負ける

議論が弱い人は、自分の考えをしっかり持っていないことが多いです。

わりと他者の考えやセリフを暗記して議論に望む人が多く、感情論者の話の振り幅に対応出来ずに押し負けます。

優れた意見は、その人の考え方や経験など元になるものがあるから優れた意見になります。

誰かの意見を暗記して話しても、合理的な説明が出来ないんですよ。

だから相手を納得させることが出来ないし、突っ込まれたら論理が破綻するわけです。

感情論者は合理性が無いにしても、自分の意見を持っています。

ただ意見を暗記した人が敵う相手ではありません。

「錆び付いた価値観」という記事でも話しましたが、自分の正義を持っていなければ相手の意見を否定出来ません。

だから、自分の軸となる正義を持ち、物事についてしっかり考えていないと議論は弱いままです。

逆に言えば、よく考えてない物事については、意見を言ったり議論しない方が良い。

私も全く考えていない物事については、意見は言わないです。

聞かれても「知りません」と返します。

議論をすると決まっていたら、その物事についてメチャクチャ調べますし、考え抜いて意見をまとめます。

自分の意見を持つ過程で必要な知識も身につきますから。

議論は勝ち負けではありません。

しかし、非合理的な意見を通してしまうと全体に悪影響が出ます。

議論の強さは勝つためではなく、合理的に話を進めるために必要なことです。

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