義憤の使い方

哲学系記事

感情をコントロールすることと、論理的に物事を考える事は常々大事だと思っています。

人が持つ中で特に大きな感情は「怒り」で、それはコントロール出来ないと不具合を生むものです。

ただ、怒りの中にも人を人たらしめる感情があり、それは「義憤」と呼ばれます。

義憤とは道理に合わない事に対して感じる怒り…言うなれば「正しい怒り」です。

この義憤を抱くこと、それは人としての良心が残っている証です。

それもまた善意と同じく尊いもので、正しく扱う必要があります。

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正しい怒り

人は色々な事に腹を立てたりするもので、基本的には自分に関わる事が多いです。

物事が上手くいかなかったり、権利を侵害されたり、当然のことや自分勝手な理由など様々です。

自分の所属するグループや組織を馬鹿にされたら怒る人もいて、やはりそれも自分に関わる事です。

しかし、全く見ず知らずの誰かが虐げられていることに怒りを感じたことはないでしょうか?

自分に全く関係がない、非道な行いや無責任さに腹を立てたことはないでしょうか?

例えば、最近あった旭川の女子中学生の凍死事件。

被害者は凄惨なイジメによって追い詰められ亡くなってしまいましたが、加害者は罪に問われませんでした。

それどころか加害者は警察の介入後も嘲り続け、学校側に至っては被害者の死とイジメは関係ないと言い出す始末。

また、池袋で飯塚幸三氏が起こした自動車暴走事故。

3歳の子供と母親を殺害したにも関わらず、いまだに無茶苦茶な言い訳で保身に走り続けています。

これらに対して怒りを抱いた人は多いでしょう。

自分とは縁もゆかりも無い事件にも関わらず怒りを抱くわけです。

それは理不尽や不道徳に対する怒りです。

それは良心から来る、非常に人間らしい感情です。

社会を知り、人の輪の中で暮らす人間だから許せないと思うわけです。

それは、正しい怒りなんですよ。

有名人に対する妬みや自分が貶されたことに対する憎しみのような、自分都合の怒りではありません。

世の中の不条理や道理の合わないことに対して怒ることが出来る、義憤という善良さです。

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義憤の扱い

義憤が正しい怒りとは言いいつつも、怒りであることに変わりはありません。

義憤を抱いても荒れ狂ってはいけないんですよ。

怒りを爆発させるのではなく、腹の底で静かに燃やして、冷静に状況を判断する必要があります。

「あいつが犯人だ!」

と誰かが言ったのを聞いて、全く無関係の人を攻撃してしまったら…それはただの悪行です。

人を誹謗中傷して快楽を得ている人達となんら変わりはありません。

義憤も正しく使えなければ、ただ人を攻撃したいだけの欲望になってしまいます。

義憤は強い原動力になるものです。

短絡的に犯人を成敗しようとするのではなく、そうなってしまう仕組みや問題の解決に力を向ける方が正しく扱えます。

旭川のイジメ問題も、校長の無責任さや少年法、イジメを明確に処罰する法律の整備など、変えるべきところは山ほどあります。

怒りに任せて荒れ狂うのは簡単です。

しかし、それは感情を抑えられずに振り回されているだけです。

義憤を抱いた時こそ思慮深く、本当に必要なことは何なのかを考えるべきです。

さらに、もう1つ大切なことがあります。

義憤を抱くからと言って正義面をしてはいけません。

義憤は、どこまで行っても自分の都合なんですよ。

自分が気に入らないから何かを変えようとしているだけです。

自分の正義を持つことは大事なことです。

しかし、自分の行動が社会の正義なのだと盲信してはいけないんですよ。

社会正義を行っていると思い込んでいる人間は、優越感に満たされ自己肯定感を持つでしょう。

反面、自分の正しさに執着して間違いを認められないばかりか、執拗に他者を攻撃してしまいます。

一度でも社会正義の妄想に取りつかれたら、正義を失うことを恐れて他人を悪党に仕立てあげるようになる。

正義を騙る悪党になってしまうわけです。

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義憤を抱くと同時に情報を疑う

国連サミットの環境スピーチで話題になった16歳の活動家グレタさんに対して、ロシアのプーチン大統領は以下のように述べています。

皆さんを落胆させるかも知れないが、私はグレタさんのスピーチへの賞賛に共感できない。
環境問題を含めた今日の深刻な問題に注意を傾けるのは正しいが、子どもや10代の若者を自身の利益のために利用するのは非難に値する。
現代の世界が複雑で多様であることを誰もグレタに教えていない。
グレタは優しくて誠実な少女だと確信しているが、大人は未成年者が極端な状況に陥らないように全力を尽くすべきだ。

流石は一国の大統領だなと感嘆しました。

世の中の問題は目に見えているほど単純ではありません。

人は若いほど感情に依りやすく、感情に依りやすいほど物事をシンプルに捉えようとしてしまいます。

「テレビが壊れたら叩けば直る」

みたいな話で、たまたま上手くいく時があったとしても、本来はそんなことはありません。

故障の原因は配線や基盤、液晶またはブラウン管など細かく紐解かないと分からないもので、直すためには慎重に探っていく必要があります。

世の中の問題も同じことなんですよ。

誰かに聞いた話が正しいとは限らないし、自分が見えていない部分があるかもしれない。

絶対に正しいものなどなく、何が正解なんてのは分からないものです。

だから、自分で情報を集めて比較し、合理的に考えて判断するんですよ。

グレタさんも最初は義憤を抱いたのでしょう。

しかし、プーチン大統領はその影で彼女を操る人間を示唆したわけです。

今、彼女が抱いているものは…今もなお義憤のままなのかは私には分かりません。

義憤を義憤たらしめるためには、冷静さと自省の心が必要です。

義憤を抱く物事が、事実かどうかを疑う。

その冷静さが無ければ、人に義憤は過ぎたるものです。

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