人は免罪符を求める

哲学系記事

今回は結構キツめの話です。

言われたくない人もいるでしょう…が、ブチキレる人がいたとしても話さなければならない事だと思っています。

承認欲求を満たすために成長や自分の価値を犠牲にしている人が多く、幸せを目指そうとせずに不幸に留まろうとします。

今回はそういう人達をグーで殴るような話かもしれません。

それでも、100人がキレても1人くらいは変わるかもしれないから話していこうと思います。

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人は許されたい

「~だから仕方ない」

と、人は思いたがります。

自分に出来ないこと、自分がやりたくないことに対して都合の良い言い訳を欲しがるものです。

私も若い頃は相当なポンコツでしたし今でもポンコツな所が多いので、出来ないことに対して言い訳したくなるのはよく分かります。

就職氷河期だから、家庭の事情が複雑だから、イジメでトラウマを抱えたから、コミュ障だから、国が終わってるから…などなど。

最近だとADHDやASD、HSPなんかがよくありますね。

誤解の無いように言っておくと、馬鹿にするつもりは一切無いです。

それぞれに辛さがあるのは分かるんですよ。

それを分かったうえで私は

「克服しろ」

と伝えます。

これを言うと、どんなに言葉を選んでも

「なったことも無いのに気持ちが分かるのか!」

「勝手なことを言うな!」

「本当に辛いし、苦しんでる人もいるんだぞ!」

と言われてしまいます。

なので、自分の不幸自慢をしたくはないのですが…先に私の話をしておこうと思います。

私は共感能力に乏しく、特に子供の頃は皆無に等しいものでした。

それによって家族から疎まれ、周囲から化け物扱いされたものです。

例えば子供の頃、真冬の北海道の夜に「役立たず」と罵られ殴られて、家から追い出されたことがあります。

手足は動かなくなり、土管の中でガタガタ震えて「死ぬかもしれない」と泣きながら一夜を過ごしたものです。

この時の惨めさを分かる人はいるでしょうか?

また、私は子供の頃から周りに「頭がおかしい」と言われ続けたので、自分でも不安になって精神科に行ったことがあります。

結果としては、知能指数が高いASD…つまりアスペルガーの傾向が強く、ADHDの傾向もあると判明しました。

自分がASDやADHDとは初耳でした。

思い返せば警察学校では居眠りをしてたし、時間に間に合わないことも多かったし、周りとズレてることもよくあったので納得です。

医師からは「診断書出す?」と聞かれましたが、貰いませんでした。

診断書が出よううが状況は変わらないし、今さらそんなこと言われても困る…というか若干腹が立つ。

出来ないことは乗り越えていかなければならないし、ADHDやASDだからって誰が許してくれるんだという話です。

特性的に出来ないことがあるなら違う手段で補えば良い話ですし、誰しもがやっていることですから。

だから、私はASDでもADHDでもないと思っていますし、諸問題を工夫して克服してきました。

共感や同情が欲しいわけでもないし、仕方ないと言って欲しいわけでもない。

むしろ可哀想な扱いをされるのは気に入らない。

私はただのポンコツで、弱点が見つかる度に克服するだけです。

自分が他人より不幸だとか劣っているだとか、どうでも良いんですよ。

人間生きてりゃ誰だって辛い目にも合うし、それでも楽しく生きたいなら頑張るだけです。

私が経験した辛さを分からない人がいるように、私も他人が経験した辛さなんて分かりようもない。

それでも、人には何かしら辛いことがあるのは分かりますし、当然のことです。

しかし、出来ないことに免罪符を手に入れて何の意味があるでしょうか。

誰かに許されたって何も変わりません。

世の中の道理は許してくれませんからね。

偽善や同調圧力で優しくされたとしても、自分自身に価値は無い。

克服しながら自身の価値を作っていくものです。

だから、克服しない言い訳に使うぐらいなら免罪符など捨てた方がマシです。

不幸自慢で同情を得ても、それを一生続けていく人生は暗く、満たされず、何者にもなれない。

自分の不幸なんて無価値なものに囚われず、マシな人生にするために乗り越えていくんです。

今、出来ない事があっても落ち込む必要は無いんですよ。

それが必要ないなら放っておけば良いし、その分の労力を得意なことに割けばいい。

しかし、必要なことなら何があっても乗り越えなければならない。

時間がかかっても良い、何度失敗しても良い、周りからどれだけ馬鹿にされても良い。

駄目だったら立ち直るまで逃げても良いし、人の力を借りても良い。

ただ…免罪符を手にして許しを乞うことだけは、やってはいけないことです。

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現実は非情である

自衛隊にはADHDやASDが結構いるんですよ。

他には家庭環境が悪い隊員も多いし、引きこもりやニートだった人やイジメにあってた人も多い。

当然ながら、一人一人に苦手なことがあるし、出来ないこともある。

やるべきことが出来なければ殴られるし怒鳴られるし、言い訳したところで聞いて貰えません。

だからみんな必死でどうにかします。

ADHDの隊員が

「自分はADHDなんで出来ないんです」

と言ったところで

「知らねえよ、殺すぞ」

と言われるだけです。

「ADHDだからどうにかしたい」

という相談なら助力のしようもあるんですよ。

それが、

「ADHDだから出来ないことを許して欲しい」

という話なら無理です。

自衛隊で仕事をする以上は出来なければならないんですよ。

だから克服させるし、出来ないなら違う仕事をするしかない。

そのまんま戦場に行ったら死にますからね。

一方で、無理なことに挑んで乗り込える隊員もいます。

イジメで引きこもりになったコミュ障の隊員が、自衛隊に入ってゲロ吐きながら人前に出続けて部隊を指揮出来るようになった。

あがり症の童貞が、笑われながら恥をかきながら合コンに参加し続けて彼女を作った。

自分の弱さと向きあって死に物狂いで乗り越えた奴を、私は本気でスゲーと思います。

警察学校時代、何かあるたびに言い訳をして改善しない奴は、白い目で見られながら辞めていきました。

ポンコツでもスゲー頑張って、プライドを捨てて頭を下げる奴は周りが必死に支えます。

それでも駄目だった時は、みんなで泣きながら見送りました。

許されるのは許しを乞う奴じゃないんですよ。

厳しい世界に生きている人にとっては、口先だけで気に入られようとか、優しくされようという人は相手にする価値が無いんです。

恥も外聞も捨てて、必死に乗り越えようとする奴だけが価値を認められます。

そして、そういう奴は駄目な時があったとしても、大抵のことは乗り越えていくものです。

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ちっぽけなプライド

「自分が出来ないのは~だから仕方ない」

免罪符で守ろうとしてるのはプライドなんですよ。

今の自分をただのポンコツと認めたくないから、何かしらの免罪符を求めてしまう。

これは私もそうだったから特に分かることですし、今でも時々気付いて恥ずかしくなることがあります。

警察を辞めた直後は、自分の能力不足が恥ずかしくて言い訳をしてました。

「警察はブラックだし続ける意味がない」

スゲー恥ずかしい話です。

確かに労働環境は悪いんですよ。

しかし、辞めた最たる理由は悪意に耐えられなくなったからです。

当時の私は自分の弱さを受け入れられなかったんですよね。

正直に話せば馬鹿にされるかもしれないし、見下されるかもしれない。

そんな下らない理由で弱さから逃げてたんですよ。

過去の自分の情けなさには、ホント辟易します。

しかし、その弱さと向き合って克服しようと思ったからこそ、自衛隊に入って鍛えあげた。

その点は私が誇れる部分です。

私は別に立派な人間でもないし、優秀な人間でもありません。

水漏れしてる水道管の穴を塞ぐように次々と改善していってるだけで、今もまだその途中です。

どんなに優秀な人間がいても、その人が弱さから逃げているなら私が追い越していきます。

明らかなポンコツから始まった私が出来ることだから、誰でもやろうとすれば出来ることなんですよ。

邪魔をしているのはただ一つ、ちっぽけなプライドです。

それを守ろうとするために免罪符を求めているわけです。

私が弱さを克服し始めたのは、自分をただのポンコツだと認めてからです。

塞ぐ穴を見なければ、穴を塞ぐことなんて出来ませんからね。

必要なのは、恥を受け入れて自分に言い訳しないこと。

プライドを捨て勇気を出して、自分の弱さを隠さないこと。

許しを乞わずに改善しようと思うこと。

それから成長が始まります。

空いた穴も塞いでしまえば恥でもなんでもない。

むしろ空いた穴を誤魔化している方が恥です。

穴を塞ぎ続ければ必然的に強い人間になります。

しかし、人に気に入られることばかり考えていては一生たどり着けません。

だから免罪符なんて捨てるべきなんですよ。

免罪符によって犠牲になっているのは…立派になっているはずだった自分自身です。

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