アホな慣習に従わない

哲学系記事
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慣習というものはどこにでもあります。

組織やコミュニティ、あるいは中の一つの部門だったりと場所は様々ですね。

それは明文化されたルールではなく、いつからか発生した集団独自のルールです。

慣習は非合理的な場合が多く、アホな慣習に従うと消耗します。

例えばブランドバックを持っていかないとマウントを取られる集団。

毎回ブランドバックを買ってたら金が無くなるし、借金に手を出す人もいる。

そういう時、100円のトートバッグを持っていって

「馬鹿じゃねーの」

と言えたら痛快だと思いませんか?

それって正しい行動なんですよ。

今回はアホな慣習に従わない話をします。

慣習が出来た理由は大抵ろくでもない

今まで慣習に出会う度に出来た理由を追及してきました。

分かったことは、慣習のほとんどが誰かの欲望やアホの偽善によって出来ているということです。

慣習について追及すると、最初は誰もが美化するんですよね。

「これは必要なことなんだ」

「~ということがあったから」

しかし、大抵は非合理ですし、僅かにメリットがあったとしてもデメリットの方が強い。

徹底的に追及すると、最終的には口をモゴモゴさせて逃げてしまいます。

自衛隊時代、私の部隊では怒鳴り散らして殴るのが良い指導、論理的に諭すのはやる気が無いとされていました。

当然ながら次々と人がいなくなるので、改善するために争った結果…判明したことは指導能力不足を誤魔化し、すぐキレて殴るのを正当化しているということでした。

一般の人からすれば信じられない話だと思いますが、閉鎖社会の慣習はアホみたいなことが起きます。

町内会や消防団みたいな地域のコミュニティだと異常な慣習も多く、トップにいる人によって雰囲気が大分変わります。

消防団では承認欲求まみれのオッサンがえげつないパワハラをするのはよく聞く話ですし、町内会では異様に高い会費を払えと言われたりすることも。

厳しい言い方をしますが、無能が権力を持つと私利私欲のために全体を悪くしてしまいます。

そして、地域のコミュニティは無能が権力を持ちやすいんですよね。

私の知人は、PTAの雑用のために仕事を辞めたにも関わらず、家事と両立して過労で倒れました。

過労で倒れるほどの雑用を押し付けられるって、そんなアホなことあるかという話です。

中学や高校の部活だと後輩が出来たとたんに偉そうになる人が必ずいます。

それって承認欲求の分かりやすい例なんですが、まあ子供は精神が未熟なので仕方ない部分もあると思います。

しかし、大人になってもそれをやっている人もいます。

自分の価値に不安がある人は優越感を好みます。

権力を持つと、優越感のために他人を蔑ろにする慣習を作り出すんですよ。

死ぬほど理不尽を経験すると人は強くなります。

そのため、慣習の理由を教育のためと言い張る人が一定数います。

しかし、教育として理不尽を経験させるなら、潰れないように加減と回復に細心の注意を払う必要があります。

理不尽を押し付けて人を潰すようなものは教育とは言えないんですよ。

警察学校や自衛隊の教育隊みたいに一定の水準を必要とする組織では脱落者も出ますが、怪我やメンタルヘルスにはかなり気を使います。

脱落しても潰れないようにするわけです。

アホな慣習がある時、そこには欲望と偽善と無能が存在します。

年長者や先輩を敬う慣習

目上の人間を敬う慣習というのは儒教の教えから来ています。

人を尊敬することによって自分を尊敬出来るという考えで、性善説が元になっています。

だから、基本的には下の人間が持つマインドであって、上の人間が

「俺は目上の人間だから尊敬しろ」

と威張るようなものではありません。

むしろ、儒教的な思想を元にすれば下の人間も尊敬すべきです。

また儒教の思想は別として、昔はネットが無く技術を学べる場も少なかったので、知識や技術を持つ目上の人間は貴重だったんですよ。

しかし、現代では知識も技術も学ぼうと思えばどこかしらで学べます。

むしろ技術の進歩が早いから、若い人の方が重要な技術を持っている場合もあるし、習得もしやすい。

私が若者を大切に考えるのは、このあたりも関係しています。

ただ、私は人の敬うべき部分を敬うという考え方なんですよ。

人間性でも技術でも知識でも敬うべき部分があるなら、度合いに応じて一定の敬意を払います。

この方法は、自然に人の良い所を探すことが出来ないと取れないから承認欲求の克服が必須です。

一方で承認欲求が強い人は、敬う部分が少ないですよ。

良い人を偽ってるだけで内面は自己中心的だし、知識や技術は中途半端になりやすいし、おかしな行動を取る。

周りの害になる場合は争うことにもなります。

先輩だから年長者だから上司だから、それを理由に敬えと言ってくる人は敬う必要はありません。

あの…私の記事ではとにかく承認欲求が登場するんですが、意図しているわけではありません。

それだけ色々な物事の障害になっているんですよ。

世の中の問題には必ずと言って良いほど承認欲求が絡んでいて、社会を悪くしている原因と言っても過言ではありません。

承認欲求は人間の本能なので、存在すること自体が悪いわけではありません。

ただ、人や集団に迷惑をかけないようにしたり、自分の成長を阻害しない程度には克服する必要があるという話です。

アホな慣習に逆らうには

集団の中で、人に気に入られることや人に庇護されることを第一に考えていると慣習には逆らえません。

・自分に自信を持っていること
・合理性に基づいて考えられること
・人と争えること

最低限これらの要素が必要で、精神的な自立が関係しています。

これらが出来ない場合は人に助けを求めるか、その場から逃げるしかありません。

ただ、安易に逃げ続けると自分が安心して過ごせるような場所に巡りあえなかったら苦労し続けます。

新しいコミュニティに行く度に人間関係に怯えるようになってしまう。

堂々と逆らえるようになれば、どんな場所でも涼しい顔をして生きていけるようになります。

だからこそ、弱さを克服することを勧めているんですよ。

欲望に流されないようにすることから始まり、恐怖にギリギリまで抗うようにし、怠惰に流されないように価値を積み上げる。

一つ頑張ると次に繋がっていきます。

その場しのぎで対応していると、同じ対応を永遠に繰り返さなくてはならず、ストレスも抱え続けます。

人間関係に悩む人の多くは、嫌な奴がいるのが問題だと考えています。

しかし、嫌な奴は今も昔も腐るほどいて、今後も社会からはいなくなりません。

コミュニティからも追い出すのは一苦労で合理的ではない。

自分が苦しまないようにするならば、社会が変わることを望むのではなく、自分自身が変わっていく必要があります。

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