承認欲求から来る不可解な行動

哲学系記事
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散々記事で触れておきながら承認欲求がメインの記事を書いていませんでした。

叩かれても良いからハッキリ言いますが、承認欲求を捨てない限り幸せにはなれません。

どんなに優れた能力があっても承認欲求の強い人は人間性を損なうので、本当の意味で人から好かれることはない。

人は他人の承認欲求を嫌うんですよ。

注目されたい、気に入られたい、凄い人だと思われたい。

そういった感情に触れた時、不快に思う人が多数派を占めています。

それゆえに攻撃されやすくなる。

承認欲求の強い人は、あらゆる面で欲が表に出てしまいます。

発言や行動など、承認欲求に由来するものは独特のクセを持つので非常に分かりやすいです。

これを隠し通せる人はいません。

今回の記事は、そんな承認欲求に対する警鐘の話です。

人から価値を認められたい

承認欲求は人から価値を認められたいという欲求です。

それは裏を返せば自分に価値が無いと言っているようなものです。

自分の価値を自分で認められたら承認欲求に振り回されずに済むからです。

本当は自分に価値が無いけど、何とかして価値を認めて欲しいからこそ抱く。

そのため、自分を脚色したり嘘をついたりする人が多いです。

大したことない嘘ならまだ良い方ですが、わりと悪質な嘘も多いです。

身分を偽って尊敬されようとしたり、病気や障害または被害者を装って気を引こうとする人もいます。

特に発達障害を名乗る人が多くて、発達障害のイメージが悪くなる弊害が出ています。

本当か嘘かは別として、発達障害は承認欲求や免罪符として使われやすいものです。

その悪いイメージが浸透しつつあるので、このままだと発達障害自体が不快感の対象になってしまいそうです。

また、私に対して「自分は可哀想」というエピソードを脈略無く語る人が死ぬほど多いんですよ。

承認欲求から来るものなので基本的に聞き流しますが、その手の人は個人的に信用出来ません。

承認欲求の強い人は脳のリソースの多くを欲求に割いているので、嘘や予測が色々と雑です。

すぐバレるような嘘を堂々と吐くし、ネットで炎上するような行為にも気が付かない。

承認欲求が強いほどアホになるわけです。

普段は承認欲求を抱かない人でも、社会的な価値を持つ人の前や大勢の注目を集める場では承認欲求が強くなることもあります。

例えば…

街中で芸能人に会った時、相手に気に入られたいがためにファンアピールをする。

テレビやyoutubeなど、公共の場に出た時に脚色した自分語りをする。

本人としては自分を良く見せるためにやっていることですが、大抵の場合は不快に思われます。

社会的な価値の高い人は承認欲求の強い人を嫌います。

社会的価値の恩恵を得ようと群がる人がとにかく多いからです。

また、承認欲求が強いほど口が軽くなるんですよ。

秘密を守ることより、秘密を話して価値を認められることを優先するからです。

そのせいで逆に信用を失っていくのですが、止められないようです。

自意識過剰

ぶっちゃけると哲学系の記事を書くようになってから

「この記事は私に対して言ってるんですね」

という意見が結構来るんですよ。

個人的には「そんなわけねーだろ」という話なのですが、イマイチ理解されないようです。

私は一人の人間よりも社会全体を優先する考え方をします。

だから一人の諸事情なんて大して気にもとめていないのが本音です。

しかし、承認欲求の強い人は認められることが全てです。

行動は誰かに認められる為のものなので、自分に利益の無いように見える不特定多数の為の行動は…そういう建前なのだと考えるようです。

これはもう本質的に理解されることは無いだろうと考えています。

なので、この記事も「自分に向けて言ってるんだ」と思われたら…めんどくせーなーと思っています(笑)

承認欲求が強いと自意識過剰になりがちなんですよ。

人から認められたい意識があるからこそ人目を気にする。

そのため、些細なリアクションにも反応するようになります。

やがて、根拠もなく自分は注目されていると感じるようになるわけです。

私が出会う自意識過剰な人は、私が自分の理解者であるような体で話したりします。

確かによく話す人なら大体理解はしていますが、それ以外の人は大して気にしていません。

だから「何の話してんの?」という状態になりやすいです。

私の父親も承認欲求が強く自意識過剰な人間なんですよ。

自分の価値を自分で認められていないのですが

「自分は価値のある人間だと思われていなければならない」

という状態に陥っている状態でした。

父親は誰かと会話していても自分語りがしたくてウズウズしています。

そのため、何かキーワードが出る度に脈略のない自分語りが始まります。

一通り話すと「自分の説明が出来た」「理解された」と満足するのですが…

周りからは「なんだコイツ」と白い目で見られていることに気づきません。

承認欲求は一時的に満たされるものですが、そもそも自分の価値を認められていないので時間が経つとまた不安になります。

終わりが無いので、無限に他者のエネルギーを奪い続けるわけです。

父親を相手にする人がどんどんいなくなって、今では孤独に苛まれています。

犬の散歩をしている知らない人に声をかけては、長々と自分語りを聞かせて迷惑がられる…という生活を送っているようです。

承認欲求の末路はそんなものです。

一度でも離れた人間は、特殊な条件が無い限り戻りません。

承認欲求に振り回されていると新しい関係も築けないのですが

「周りがバカだから俺の価値を理解出来ない」

と父親は漏らしていました。

自分にすら認められない価値を誰が理解出来るのかは謎です。

少し前に「うっせえわ」という曲が流行りました。

メチャクチャ承認欲求を刺激するような曲なので、動画のコメント欄をよくチェックしていました。

まあ、地獄みたいな光景です。

承認欲求と自意識過剰に囚われた人のサンプルが無数にあるので、興味のある人は覗いてみて下さい。

承認欲求と自己実現欲求

承認欲求とは別に自己実現欲求というものがあります。

承認欲求と混同して考える人もいますが、自己実現欲求は自分の理想を実現したいという欲求です。

自分の理想の姿を設定して、研鑽を積み上げて近づいていく。

これは非常に健全なものです。

理想に近づいていく過程で自信を持てるようになり承認欲求を捨てていけます。

ただ…承認欲求の方が強いと短絡的に行える事ばかりに力を入れてしまいます。

例えば人から注目されたいと思った時

自己実現欲求から来る行動は、努力して結果を出すという選択をします。

スポーツを頑張って大会で優勝する…みたいなのが分かりやすいですね。

一方で承認欲求から来る行動は、今の自分のまま少しの手間で注目される方々を取る。

嘘や迷惑行為の投稿をして、SNSでバズらせようとする…みたいなのが分かりやすいでしょう。

本物になろうとするのが自己実現欲求であるのに対して、自分を脚色して偽物のまま評価されようとするのが承認欲求とも言えます。

偽物はいつか破綻するんですよ。

何かの拍子に有名になっても、中身が伴わなければプレッシャーで精神が不安定になります。

自分の価値を自分が認められていない状態では、他人からの注目が自分を蝕む毒にもなるからです。

また、承認欲求の強い人は詐欺師になる人もいて、キラキラしたセレブ生活を演出しながらネットワークビジネスや投資案件詐欺を勧誘する人が…死ぬほど多いです。

詐欺という短絡的な手段に手を出すのは、いかにも承認欲求の強い人らしいなと思います。

しかし、プロの詐欺師でも生き残れる人はごく僅かです。

そもそも生き残れる人は、詐欺をしなくても自分自身の価値で成功するような人ですから。

結局のところ、上手くいくのは自己実現欲求に従って積み上げた人間なんですよ。

だから…

気に入られようとするのではなく、周りが勝手に評価するような人間を目指す。

そのためにはまず、自分を偽ることをやめる。

偽るのではなく成る。

人生で最も重要なことです。

…私事ですが、DMを閉鎖してついでにコメント返すのもやめようかなーと考えています。

まあ、コメント欄は雑談掲示板として使って貰えれば良いかなと。

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