人の幸せを祝えるか

哲学系記事
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自分が幸せでない状態で、他人の幸せを祝福出来る人は滅多にいません。

極めて善性であるか、論理と感情を分けて考えられる人ぐらいでしょう。

人の幸せは行動の積み重ねです。

他者を害するものでない限り、非難されるようなものではありません。

人の幸せを祝福出来るのは、人として良い資質です。

今回はそんな話をしようと思います。

有名人の結婚

星野源さんと新垣結衣さんの結婚があちこちで話題になり、様々な反応が見られました。

結婚した両名の好感度が高いこともあってか祝福する意見が多かったのですが、複雑な感情を抱く人も結構いました。

一番目立つのは屁理屈をこねて非難する人ですね。

欲望や不満が凝縮された高純度の負の感情は、滅多に見られないものです。

人間の闇が垣間見える瞬間ですね。

自身が幸せでないのは分かるのですが、内容に関係なく結婚そのものを批判するのは「病んでるなあ」と思います。

逆に相反する感情を抱く人達もいます。

幸せになって欲しいと思う一方で、偶像を失う喪失感も抱く。

娘が結婚する父親の気持ちみたいなものですかね。

純粋なファン心理を抱く人に多いです。

個人的にはユーモアに溢れたファンの反応が面白かったです。

ショックで滝行する人、唐突にガッキーラップを披露する人…

とあるVtuberの人は、発狂しながら肉を殴っていてスゲー笑いました。

また、とある人は

「マジかよ…俺を置いて結婚しちまったのかよ…星野源」

いや、そっちかよ。

いかなる状態でもユーモアを発揮出来るのは良い資質だと思います。

肯定や祝福する気持ちが無ければ出来ないことです。

やはり、他人を祝福出来る善性には好感が持てます。

自己肯定のための他者の否定

自分が幸せでない場合、他者の幸せと比較して不快感を抱きます。

だからこそ他人の幸せを叩いてしまう。

幸せでない自分の状況に劣等感を抱くので、防御反応で他者を攻撃してしまうわけです。

本人が幸せにならない限り止まることはありません。

ただ、その時…自分の幸せを形式的に考えていないでしょうか?

「~さえ、~なら、幸せになれる」

と、思考停止している人が多いように感じます。

仮にその条件が叶ったとしても幸せだとは限りません。

欲を満たす幸せは一過性のもので、すぐに薄れて不満に変わるからです。

自己肯定感があって生活に困窮していなければ、わりと幸せに生きられるものです。

人が幸せを感じるのは精神の作用です。

だから精神の在り方を変えていくことでも幸せになることが出来ます。

人間性を成長させていくことで幸せに近づいていく。

逆に形式に囚われて欲を満たすことばかり考えると、人生の多くを不満と共に過ごすことになってしまいます。

私がよく記事の中で話す「精神的な自立」が出来ている人は、自力で幸せな状態に辿り着くことが出来ます。

自分に頼る生き方は不満を抱きにくいし、他者を攻撃する必要もない。

なんやかんや幸せな人は他者に寛容なんですよ。

他人の足を引っ張る

上手くいっている人間の足を引っ張ろうとする人は…わりと多いです。

劣等感や敗北感、自分を置いて他人が前へ進むことへの不安、それらから来る不快感など様々な要因から取ってしまうものです。

露骨に足を引っ張る人は珍しく、大抵は親切を装ったり、間違いを指摘するような体裁を取ります。

当然ながら、その人達は幸せではありません。

ただ、今現在が幸せでなくても幸せに向かって進んでいる人は足を引っ張ったりしません。

停滞しているか下り坂を進んでいるからこそ足を引っ張るわけです。

人の足を引っ張る人は、そのエネルギーを自身の幸せの為に使えば状況の改善に繋がるのですが…

嫉妬や不満、憎しみなど負の感情は、快楽を生むので囚われてしまっています。

「自分が幸せにならないと他人の幸せを祝えない」

まあ、その通りなんだと思います。

しかし、自分が少しでも幸せに向かっていれば、他人の幸せを祝えるぐらいの余裕があるはずです。

人の足を引っ張ることに力を割いて、自分の足を止めてしまっているんですよ。

負の感情から来る行動によって自分の幸せが遠退いていく。

だから、負の感情を抱いても…強がって他人の幸せを祝う。

そうして、自分の幸せに力を割くべきだと私は思います。

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