自分の正しさに拘る愚

哲学系記事
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人は自分が正しいと思いたいものです。

物事についてしっかり考えていないと、段々その正しさに固執してしまいます。

やがて視野狭窄に陥り、自分が正しいと思ったものが絶対であるという心理状態になってしまいます。

その状態は自分一人だけでなく、周りや社会を不幸にすることもある。

今回は「白か黒かの二極化」という記事に関係する話です。

偏った正義

自分が正しいという思考が行き過ぎると、自覚が無いまま社会に悪影響を与えます。

例えば、日本でも過激派のヴィーガンが話題に上がりますが、海外の過激派はもっとヤベーです。

●犬や猫に野菜を強要して死亡させる。
●動物園の肉食動物を毒矢で殺害
●肉を食ったヴィーガンをリンチして殺害

また、アメリカのオハイオ州で…

教会に来ていたベビーシッターが、ヴィーガンの女性に

「その靴は毛皮だから脱げ!」

と詰め寄られます。

当然ながらベビーシッターは断ります。

それに激昂したヴィーガンの女性はナイフでベビーシッターを刺してしまいました。

腕や腹を三ヶ所、それも躊躇無く刺したそうです。

すぐに取り押さえられ、ベビーシッターは一命をとりとめたそうです。

さて、私はヴィーガンがヤバいと言いたいのではありません。

特定の思想に傾倒して、自分が正しいと思い込む人がヤベーと思っています。

特定の思想を絶対だと信じ、自分の間違いを認めなくなり、やがて思想に合わない人間を攻撃し始める。

宗教戦争はこうやって起きたんですよ。

では、特定の思想に傾倒していなければ安全かというとそうではありません。

どういう訳か、コロナのワクチンにはマイクロチップが埋め込まれている…という陰謀論が広まりました。

確かに0.05ミリという砂粒大のマイクロチップは存在するのですが、その大きさのチップは人間のどこかの末梢血管に詰まります。

そもそも、その程度のチップを入れてどうするのかという話です。

読み取る機械を近づけたら番号が表示されるという程度の物ですから。

多分、監視社会的な陰謀論だと思いますが…コストとリターンが全く合っていません。

しかし、それを信じた人達がワクチンを拒否するという問題が起きています。

さらに、何故かワクチンを保管する冷蔵庫のコンセントが抜けるという事態があちこちで起き、大量の廃棄を産み出す事態に。

人為的なものとは断定されていませんが、テープで固定されたコンセプトが勝手に抜けるというのは不自然ですね。

私もワクチンは様子見していたんですよ。

ただ、それは医療従事者が疲弊した状態ではヒューマンエラーが起きる可能性があるからです。

しかし、ワクチンに対する不信感の広がりを見ると、そもそも打てなくなる可能性が出てきました。

インプット

動画や本、人の話や記事などインプット出来る媒体は沢山あります。

だから、インプット自体はわりと多くの人がやっているんですよ。

ただ、自分に都合の悪い情報をインプットする人は中々いません。

自分に都合の悪い情報は不快に感じて取り合わないか、見ても信じない。

都合の良い情報だけを集めて偏っていく…これは多くの人が陥る問題です。

例えば、

「飲むだけで痩せるサプリ」

を信じている人は

「運動と食事制限をしないと痩せない」

という情報を信じません。

自分に都合の悪い情報なので、インプットする時点で公平性を欠いているからです。

また、陰謀論を信じる人は

「世界が気が付かない真実に自分は気づいている」

という特別感に囚われています。

陰謀論は事実を含む時もありますが、大抵は細かく調べればデマだと分かるものばかりです。

しかし、特別感に囚われていると事実を見極められません。

どんなに情報量が多くても、インプットの時点で偏っているとデマに踊らされてしまいます。

偏ったインプットを続けていくと極端な考え方になり、絶対的な事実を突き付けられても不快に感じて事実を歪めてしまいます。

これは認知的不協和と呼ばれる状態ですね。

自分に都合の悪い情報を飲み込めない人間は陥ってしまいがちです。

事実に近づけるのは、過ちを認められる人間だけです。

自分の正しさに拘る愚

私の知識は実体験から得た推測や考察が多いです。

しかし、それだけだと個人的な感想でしかないので、推測や考察が正しいかどうかを追究します。

人間の感情や行動に関するものが多いので、裏付けるか否定するような情報を集めると心理学が関係してきます。

だから、結果的に人間心理に詳しくなりました。

人は自分を基準に人を見るものです。

例えば…自分をよく見せるために嘘を吐いている人間は、他人も同じであると考えやすい。

そのため、知らず知らず一方的な決めつけを行っていたりします。

また、人に依存する人は自分に都合の良い人間像を相手に妄想します。

相手からすれば不可解な行動を取ってしまうし、自分の妄想に合わない行動を取られると感情的になりやすい。

このように、自分が「そうに違いない」と思う背景には色々な心理的バイアスがかかっていたりします。

自分の正しさは歪んでいる可能性があるわけです。

だからこそ自分の考えを疑う必要があるし、反証する必要があるわけです。

自分の考えを否定された時、感情的になってしまう人もいると思いますが…

否定意見は一考する価値があるものです。

確かに感情的で浅慮な否定意見もあるので、それは適当に流して構いません。

しかし、論理的な否定意見は向き合うべきです。

それすら拒否するならば、自分の正しさは妄想である可能性が高いです。

論理的な反論を繰り返して間違いを発見すれば、より正しい考えに辿り着くことが出来ます。

自分の正しさは不確実なもので、それに拘るのは愚かというものです。

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