優秀か、優秀だと思い込んでいるだけか

哲学系記事
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人が自分の能力を知る時、他者から評価されて知る場合と、周りの人間と比較して判断する場合があります。

しかし、能力を正確に把握している人は珍しく、大抵は過小評価か過大評価をしています。

能力が高い人間ほど過小評価し、能力が低い人間ほど過大評価しやすいものです。

今回は、自分の能力の認識について話していこうと思います。

人は自分の頭が良いと思いたい

頭の良い人と悪い人の口論は不毛に終わることが多いです。

…説明の便宜上、頭の良い人・頭の悪い人と呼称しているだけで他意も悪意もありません。

基本的に話が通じず口論になるのですが、面白い事にお互いが「アイツはバカだ」と相手を評価したりします。

頭の良い人は

●客観的・俯瞰的事実をベースに話す
●一般的な概念を持ち出す
●具体と抽象を分けて話す

頭の悪い人は

●主観的事実を話す
●自分の中でしか通用しない概念を持ち出す
●大部分を抽象的に話す

というように、話し方に違いがあります。

頭の良い人は物事をきちんと説明しようとしてしまうので、話が長くなってしまったり難しい概念を使ってしまう。

しかし、相手は集中力が無いので長い話を聞けず、難しい概念は理解出来ないので…何言ってるか分からない。

一方で、頭の悪い人は説明が自分中心で、自分にしか分からないような言葉や概念を説明もなく使ってしまう。

誰が聞いても何を言ってるのか分からない。

そのため、お互いに

「アイツは何を言ってるのか分からない」

「俺の言うことが理解出来ていない」

と思うわけです。

具体と抽象を混ぜると正しく説明しやすいですが、相手に詭弁を使われやすくなります。

しかし、抽象的な発言ばかりだと人によって受け取り方がバラバラになるので正しく説明出来ない。

お互いの真意が伝わらないわけです。

頭の良い人は自分を過小評価しているので、自分が理解出来る話は他の人も理解出来ると考えてしまう。

こんな簡単な事も理解出来ない奴はバカだと考えてしまう。

頭の悪い人は、自分の中でしか通用しない話と他者が理解出来る話の区別がつかず、自分を過大評価してしまうので話が通じない相手をバカだと考える。

さらに、自分に理解出来ない事を言う奴はバカだと考えるようになる。

永久に分かり合う事は無いんじゃないかと思っています。

人は自分を頭が良い人間だと思いたいものです。

しかし、頭の良い人は相応の根拠が無い限り、自分は頭が良いとは思いません。

一方で、頭の悪い人は弱い根拠でも自分は頭が良いと思ってしまう。

過小評価と過大評価の原因はここにあります。

大抵の人間は、自分は頭が良いと思っています。

頭の悪い人はレベルの高い人と接しない限り自分の頭が悪いとは気がつきません。

私が若い頃に自分の頭が悪いと気がついたのは、警察学校で生き残った同期が優秀だったからです。

自分を過小評価する人でも、いずれは頭が良いと気がつきます。

論理的か非論理的かの区別がつくようになると、意見の正しさが分かるようになるからです。

結果的に、世の中は頭が良いと思っている人だらけになるわけです。

本当に優れた人

肩書きや立場と人の能力は必ずしも関係するとは限りませんが、なんやかんや判断材料にされるものです。

実際に立派な肩書きを持つ人物を前にした時、なんとなく凄い事を言ってるように感じる人も多いのではないでしょうか?

しかし、大したことない話を難しく語っているだけ…という人も多いです。

肩書きや立場があっても凡人は凡人なんですよ。

私は自分を含めた世の中の99%が凡人だと思っています。

本当に優れた人は1%くらいでしょう。

で、その1%は凡人には理解出来ないものです。

1%の優れた人を認められるのもまた、1%の優れた人だけだからです。

もし、自分がその1%だと思っている人がいたら…その人は凡人だと思います。

本当に優れた人は、そういうレベルの考え方をしないですから。

凡人に認められない優れた人達は、優れた結果を残すので結果的に認められたりします。

認められた後に、その考え方の一部が広まる。

そして、多くの凡人が優れた人の真似をします。

メディアに出てくるのは真似をした凡人が多く、本当に優れた人はあまり出てきません。

優れた人にとってメディアに出ることはリスクとリターンが合わないからです。

巧妙に自分の存在を隠しているので、名前を聞いてもごく一部の人にしか分からないでしょう。

世の中で目に見える範囲の人間は、大抵が凡人なんですよ。

先天的な能力は大した差ではありません。

優れた人と凡人、その違いは純粋に積み上げたものの差です。

積み上げたものは雪だるま式に大きくなります。

1年積み上げた人の1日の努力と10年積み上げた人の1日の努力では、計り知れない差があります。

積み上げる大切さに早く気がついた人が、1%に辿り着いたというだけの話です。

究極の合理性

究極的に合理的な人は、自分が凡人でも頭が悪くても構わないんですよ。

世の中の理に従って考え、ただ動く。

それは正解への最短ルートです。

そのためには自分の評価なんてどうでも良いわけです。

人は自分が凡人であるとは認めたくないものです。

自分が特別な人間であると思いたい。

自分には正当な評価がされていないと思いたい。

上手くいかないのは不遇な環境にあるからだと思いたい。

しかし、その考えがある限り凡人であると思っています。

私自身、賢い人間でありたいと思うんですよ。

それ故に凡人であると思っています。

ただ、凡人であることを認めない限り、凡人から抜け出す可能性はありません。

自分の評価で競うのは凡人同士の背比べに過ぎないからです。

背比べに参加せず、自分がやるべきことを積み上げる凡人なら1%に辿り着くかもしれません。

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