理由を失うと形骸化する

哲学系記事
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形骸化とは中身の無い形だけのものになってしまう事を言います。

例えば、イスラム教では「豚肉を食べてはいけない」という教えがあります。

宗教の教義には道徳や生活の知恵が含まれているものです。

古い時代、衛生環境が整っていない状態で豚を食べると体調を崩しやすかったので、非常に合理的です。

ただ、衛生面が進歩した現代では特に問題はありません。

それでも宗教の教義に定められているから豚肉を食べない。

食べてはいけない理由は消えましたが、食べてはいけないルールだけ残ったわけです。

同じように形骸化したものは数多く存在します。

理由を失えば形骸化してしまう。

今回は、そんな感じの話です。

マニュアル思考

「昔からそうやってきたから」

「皆そうやってるから」

「規則に書いてあるから」

非合理的に形骸化した規則やルールは守られ続けています。

規則やルールは増えすぎると覚えられなくなるし、守られなくなります。

だから、不要になったものを減らしていくのは大事な事です。

ただ、それをやろうとすると反発を受けます。

変化を嫌がる人が多いというのもありますが…

根本的には制定された理由を理解していないからです。

理由が分からないと廃止した時にどうなるか予想が出来ない。

悪影響が出るかもしれないという不安から却下されてしまうわけです。

形骸化した規則は守られないだけでなく、同時に他の規則も軽視されるようになります。

組織の問題はそうやって起きる事が多いです。

また、形骸化した規則下ではルール違反が多くなりますが…面白い事にルール違反も形骸化していきます。

例えば、自衛隊では訓練中にタバコを吸ってはいけません。

タバコの光や煙で位置がバレてしまうからです。

ただ、状況的に吸っても問題ないタイミングがあるので、そういう時は隠れてコソコソ吸う。

しかし、アホな奴はそれを見て

「あ、タバコ吸っても良いんだ」

と思って堂々と吸ったりします。

その結果、上官にバレて殴られる。

理由を知らずに行動だけ真似するのは危険なんですよ。

また、自衛隊には体力検定というものがありまして、その種目の中にソフトボール投げがありました。

元々は手榴弾を投げる能力があるかを測るためのものなのですが、手榴弾の投げ方とソフトボールの投げ方って全然違うんですよ。

この時点で変ですね。

私は手榴弾は遠くに投げられるのですが、ソフトボールはあんまり飛びません。

だから、検定の時は手榴弾投げでやっていたのですが…オッサン達がめちゃくちゃ怒るんですよ。

「なんだその投げ方は!」

「ちゃんとソフトボールの投げ方をしろ!」

と言われます。

「なんだも何も手榴弾投げだよ、なんで知らねえんだよ」

という感想を抱きます。

何のためにやっているのか分かっていないわけです。

自衛隊はこういうのがアホみたいに多くて、非合理的な部分がなかなか改善されません。

自衛官は大別すると「軍人」と「公務員」の気質の人に分かれます。

公務員の気質の人は自衛隊の非合理さに疑問を抱かず従いますが、軍人の気質の人はアホらしくて辞めてしまう。

「それって軍隊としてどうなの? 」

と、考えてしまいます。

大事なものが軽視されていく

人が生きていく上で、人間性の向上は極めて重要です。

だからこそ私も色々な記事に書いているのですが…現実問題として人間性は軽視されがちです。

人間性が大事だと言う人は結構いますが、その理由を説明出来る人は少ないんですよ。

理由を失えば形骸化していく。

そのため、表向きは良い人を演じて中身は育たないまま…という状態の人も多いです。

「錆び付いた価値観」という記事でも書いていますが、本来なら必要な価値観が不要とされて失われていってしまいます。

だから、失われた理由を掘り返していく必要があるわけです。

理由を知らないと正しく教える事が出来ないんですよ。

「こうしろ」と言われただけでは大切さが理解出来ず、表向きだけの行動を取ってしまいますから。

ちょっと話は変わって、私は色々な武道を経験しています。

日本の武道は体力や技術の他に人間性の向上を目的としています。

しかし、メジャーな武道は成果主義なので人間性が評価される事は少ないです。

嫌な奴でも強ければ表彰されますからね。

指導側は指導側で、人格の破綻した指導者も多かったです。

だから、武道の理念である心・技・体の「心」は形骸化しつつあると思っています。

どんなに理念が素晴らしくても…理由が正しく継承されなければ、薄ら寒い綺麗事でしかありません。

欲にまみれたオッサンが偉い人だったりしますからね。

理由を失う事によって形骸化し、形骸化によって失われたものは…本来なら非常に大切なものかもしれません。

理由を求める

「なぜそうするべきなのか」

「なぜそうなったのか」

という理由の部分を伝える教育が必要だと私は考えています。

理由の部分を軽視した人間は、次々と形骸化を生み出してしまいますから。

そもそも教育すら形骸化している可能性もあるぐらいです。

人の言う事に黙って従う人間は美徳のように扱われがちですが…

そのままだと支配者側にとって都合が良いだけの存在になってしまいます。

軍隊の兵卒や奴隷ならともかく、普通の人がそうなってはいけません。

ブラック企業が横行した原因の一つは、そういった人間が増えすぎた事にありますから。

ブラック企業の手口もまた形骸化していて、なんならそれが普通だと思っている経営者もいます。

疑問を持たない人間は形骸化を生み出すばかりか、自分自身すら救えなくなってしまう。

物事を正しく行うには合理的な理由が必要なんですよ。

理由を説明出来ない事をやれと言うのはおかしいし、それに従わなかったら反抗的とされるのは…もっとおかしい。

だから、理由を求めるべきです。

何も考えずに押し付けてくる人間や私利私欲に走る人間は、それだけで弱ります。

理由を求める人間が増えていけば、それだけで形骸化は無くなっていくものです。

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