自分を大切にするという事

哲学系記事
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自分を大切に出来ない人間は他人も大切に出来ない。

自分を蔑ろにする人間は他人も蔑ろにする。

これは絶対とは言えませんが、合っている事が多いです。

「俺の若い頃に比べたら大したことない」

と、理不尽を押し付けてくる人もいます。

自分がやられた事を他人にやろうとする。

もしくは、自分が我慢した分だけ他人にも同じ我慢を要求する。

それが当たり前だと思ってしまう。

私からすれば「知らねえよ」という話です。

「自分の為に戦ったのか?」

と思います。

自分を大切にしない人間はそうなりやすい。

自分も他人も、人に踏み潰されるのが当然のように振る舞ってしまうわけです。

自分を大切にするという言葉はよく聞きますが、それがどういう事か理解しているでしょうか?

今回は、「自分を大切にする」という事の話です。

自分の意思で生きる

他人の意思で生きる人は、自分を蔑ろにしがちです。

例えば、休みの日。

自分で好きなように行動出来た方が良いに決まっています。

それが

「休みの日は仕事の勉強しろ」

「行く場所を申告して勝手に遠くへ行くな」

「職場からの電話はいつでも必ず出ろ」

「電話が来たらいつでも職場に来い」

と、言われたらストレス溜まりません?

公安系公務員がこんな感じなんですよ。

特に警察官は厳しいです。

これに盲目的に従うことは、自分の意思を蔑ろにして他人の意思を全肯定しているようなものです。

この状態が続くと自分の意思に自信が持てなくなり、自分の意思の優先順位が低くなります。

自分がどこの誰かに操られるだけの存在となり、そうなった自分の事なんて大切に思えなくなる。

警察官をやっていた当時の私もそんな感じです。

まあ、仕事上は仕方ない事もありますが…従う必要が無い事も多々ありました。

警察官は性格悪くなりやすい仕事というのもあって、嫌な奴も多い。

無駄に理不尽を押し付ける人、潰れるまで他人に負担を押し付ける人が腐るほどいます。

今にして思えば逆らうべきだったと思いますし、今の私なら間違いなく喧嘩します。

無理矢理に押し付けられる他人の意思って、案外ろくでもないものです。

極端な話、それが正しかろうが間違っていようが、従う内に自分を大切に思えなくなっていきます。

ワガママばかり言う人は問題と言えば問題なんですよ。

ただ、それはその人の人間性の問題であって意思を主張する事自体が悪いわけではありません。

時には折れる必要も妥協する必要もあるものですが、基本的に意思は主張すべきものです。

従うにしても、自分が妥当だと判断したから従う。

初めから他人の意思に服従する事は間違いです。

自ら進んで自分を蔑ろにしているようなものですから。

「お利口さん」は私には「愚か者」に見えます。

自分に厳しくする

自分を蔑ろにすることと自分に厳しくする事は全く別物です。

人生は「自分育成ゲーム」なんですよ。

ドラクエみたいに先へ進むほど厳しくなるから、自分のレベルを上げていく必要があります。

自分を甘やかして最初の街に留まり、ちまちまスライムと戦い続ける人生。

自分に厳しくして先へ進み、ボスとも渡り合えるようになる人生。

自分を蔑ろにしているのはどっちでしょうか?

自分を育てていくなら自分に厳しくしていく必要があります。

前進しながら傷を負って、その痛みに必死に耐えてこそ強くなるものです。

もちろん、自分を甘やかして幸せに生きられるなら全然良いんですよ。

ただ、自分を甘やかしてきたにも関わらず、今の境遇にめちゃくちゃ不満を抱いている人が多い。

残酷な話ですが…多くの人間は価値の無い人には見向きもしないし、他人を傷つけるし、他人から奪い、他人を踏み台にするものです。

「人は生きているだけで価値がある」

という博愛主義者も、大抵はある程度のレベルの人間しか見ていません。

その手の人間で、ホームレスと友達になった人を見たことありませんから。

善性は自分が持つものであって、他人に期待するものではありません。

環境に恵まれた人ならともかく、そうでない人は人生と戦う力が必要なんですよ。

そのために自分に厳しくすることは、自分を大切にするということです。

自分の為に戦う

戦う力が弱いと理不尽に屈してしまうんですよ。

まあ、生きていればそういう事もあるでしょう。

ただ、その時にどう思うかです。

人に踏みつけられた時

「これは仕方ないことなんだ」

「世の中はそういうものだ」 

と、自分の振る舞いを肯定してしまっていないでしょうか?

自分が踏みつけられることを肯定してしまうと、自分がそういう扱いをされる人間なんだと認めてしまう事になります。

そりゃ自己肯定感なんて無くなりますよ。

だから、踏みつけられる自分を肯定しちゃいけないんですよ。

「これはおかしいことだ」

「しかし、自分の力が弱いから踏みつけられてしまうんだ」

「だから、強くならなければ」

と考える必要があります。

私は今の若い人達に

「よくも踏みつけてくれたな!」

という気概を持って欲しいと思っています。

過激派のヤベー人達がワケの分からん主張をする今の世の中では「ええ…」と思う人もいるでしょう。

過激派の人達は戦う気が無いんですよ。

ただ喚いて要求し、鬱憤を晴らしているだけです。

誰かに「自分を大切にしろ」と駄々をこねている状態ですね。

そうじゃなくて、踏みつけられた時

「今に見てろよ」

「強くなってひっくり返してやる」

という気概を持って欲しい。

誰かをアテにするのではなく、自分の為に戦って欲しいわけです。

自分を大切に出来る人は、きちんと自分の為に戦えるものです。

そして、そういう人は他人も大切に出来る。

それもまた人の価値です。

喚くだけの人間なんて、権力者からすれば無視するだけで事足りる。

権力者が真に恐れるのは実力をつけて迫ってくる人間です。

私が良く言う事ですが、自分を「被害者だ」とか「可哀想だ」と本気で思い込んでいると自分を惨めにしていくだけなんですよ。

他人の同情が無いと生きられなくなってしまう。

だから、自分を踏みつけた奴をブン殴るために鍛えろ。

パワハラをしてくる奴には怒鳴り返せるように。

マウントを取ってくる奴を鼻で笑えるように。

押し付けられた理不尽を叩き返せるように。

身に起きた不幸を笑い飛ばせるように。

究極的に自分を大切にする方法は、強くなって自分の為に戦うことですからね。

すぐに出来るようにはならないでしょう。

戦えるようになったとしても、勝てるかどうかは分からない。

私も戦う力をつけるために長い時間をかけてきましたし、その過程で何度も負けた事があります。

口論だけでなく、物理的に複数人からボコボコにされた事も。

それでも繰り返してきたら、今では滅多に負けないし争いにすらならない事も多くなりました。

これは私が生まれ持った性質ではなく、人生の中で獲得したものです。

戦う強さは誰もが持つ事が出来る。

ただし、それは「被害者」には持てないもので、「自ら戦う者」に備わるものです。

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