武士道から学ぶ自己承認

哲学系記事
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承認欲求や自己肯定感の低さを克服する方法の一つに「自己承認」があります。

自己承認とは、他者からの承認を必要とせず、自分の価値を自分で認められるようになる事ですね。

自己肯定感を持つためには「誇り」と「矜持」と「自尊心」が必要になります。

それらについては「誇り+矜持+自尊心=自己肯定感」という記事で説明しているので省略します。

三つのうち、「誇り」と「矜持」は自分で生み出す事が出来ます。

そして、その方法は武士道から学ぶ事が出来る。

今回は、武士道と自己承認に関する話です。

武士道とは

簡単に言うと、武士の人生哲学を武士道と呼びます。

本来なら武士道は一人一人が持つものです。

最初は親や師の武士道を学び、自立してから一生をかけて自分の武士道を探求します。

だから、武士道は学ぶものでもありますが、基本的には探求していくものです。

その探求において重きを置く事が「己に恥じることないようにする」事です。

早い話が

「自分で自分をダセーと思うような生き方をしない」

という事ですね。

例えば、本当は弱いのに自分を強く見せる行為。

仮に他人から強く見られたとしても、自分は自分が弱い事を知っています。

弱いのに強がっている…全てを知ってる自分から見たらダセーですよね。

自分が自分をダセーと思っていたら誇りを持つ事が出来ないものです。

ずっと自信を持てず、自分を好きなれない。

だから、開き直って今の自分を受け入れる。

自分を鍛えながら、自分が自分をダセーと思わないように生きる。

これが武士らしく生きる事なんですよ。

そして、その生き方を続ける事が誇りと矜持になり、自己承認となる。

その生き方がストイックである程、強力な自己肯定感に変わります。

ちょっとやそっとでは揺るがない芯の強さが手に入るわけです。

武士道の中には一見すると非合理的なルールが存在しますが、それはこのためです。

武士は食わねど高楊枝

腹を空かしていても悠々として見せるという事から生まれた言葉です。

「いや、見栄張ってないで飯食えよ」

と言われそうですね。

ただ、元々は見栄を張るという意味はありませんでした。

武士は役人…つまり国家公務員なんですよ。

彼らは決して高給取りではなく、なんなら商人の方が裕福です。

それでも「滅私奉公」という言葉の通り、武士は私利私欲に走らず国の為に尽くす事を誇りとしていました。

貧しくても、役人として職務を遂行する以上は威厳を保つ必要があります。

その高潔な精神の表れが「武士は食わねど高楊枝」というわけです。

これは、私も自衛隊の陸曹を経験しているから良く分かるんですよ。

例えば、訓練で部下を連れている時。

私が部下の前でへばったりすると、士気が落ちてダラけた雰囲気が蔓延します。

だから、本当は

「あー座りてー、タバコ吸いてー」

と思いながらも、やせ我慢してビシッと立つ。

これも「武士は食わねど高楊枝」です。

いい加減な陸曹だと、早々にへばって座りこみ

「若い奴は体力あるんだから我慢しろ」

みたいな事を言い出すので、部下はメキメキやる気を失っていきます。

ある程度の立場になると、自分を良く見せる為ではなく、士気を維持する為にやせ我慢が必要になるものです。

ただ、士気の為のやせ我慢は自分を誇る事ができます。

自分以外の為の誇り高いやせ我慢、それこそが「武士は食わねど高楊枝」というわけです。

師を見つける

前述の通り、初めは誰かから学ぶものです。

最初はカッコ良い生き方なんて分からないもので、生き方の軸となる人間を見つけないと見た目ばかり気にするようになる。

今も昔も、人から良く思われる事ばかり考えてしまう人間はいるものです。

そうならない為に自分が目指したいと思うような人間が必要で、そういう意味でも世の中にはマトモな大人が必要だと思っています。

別に目指したいと思うなら誰でも良いんですよ。

但し、その人と完全な同一人物には慣れません。

だから、カッコ良いと思える部分を吸収したら、自分の武士道を始めるわけです。

また、師を一人に限る必要はなく、色々な人から学ぶのも良い。

自分の武士道を初めた後でも、「カッケエ!」「スゲー!」と思う人物から学び、探求をしていく。

また、困難に遭遇した時は心に参考となる人物を思い浮かべる。

私の場合、すげえキツイ場面では北欧神話の狂戦士を思い浮かべます。

狂戦士は腕や足が千切れようが、そこで野垂れ死のうが、ただ戦います。

そのマインドを自分に重ねるわけです。

我ながら頭おかしいと思いますが、わりと追い込まれた時ほど効果的なんですよ。

何かから学び、吸収し、探求して困難を乗り越えていく。

やがて、誰かの目標になるような人間になっていく。

武士道とはそういうものです。

これらを理解した後、私の中でサムライや武士道という言葉は重いものになり、安易に使えなくなりました。

名声ではなく、魂の高潔さを追い求めるものなんですよね。

まあ、カッコ良いからサムライとか武士道って使いたくなると思います。

でも、どうせなら本当の武士道を始めてみては如何でしょうか?

自分が自分を認められる様になるはずです。

私もまた、自分が思い描くカッコ良いジジイを目指す道の途中にいます。

始めるのに遅すぎるという事は無いと思うんですよ。

私利私欲に走る行為は、オッサンになると飽きてくるんですよ。

それしか知らないと人生がつまらなくなる。

一度しかない人生ですし、どうせなら若者の目標になるようなカッコ良い大人を目指してみませんか?

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