人間嫌いが人から得たもの

哲学系記事
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人間嫌い、人と接するのに疲れたという人も多いのが現代です。

私もかつて人間嫌いでしたし、改善した今でも誰彼構わず人に会おうとは思いません。

悪意を受け過ぎたし、依存されて疲弊もしてきたからです。

それでも私は世の中の為になる事をしようと考えています。

そう思えるのもまた、人がいるからです。

今回はそんな話をします。

人間嫌い

人が人を嫌いになる原因で、最も多いのが悪意と依存です。

色々な記事で話してきた事ですが、他人を攻撃したがる人が多いし、他人に依存して他人のエネルギーを奪う人も多い。

彼らがそうなる根本的な原因は自分自身の価値に対する不安、つまり自己肯定感の低さです。

目立つ人には彼らが寄り付きます。

価値を積み上げていたり、優秀だったり、変人だったり、優しかったり、何か人と違うものを持つ人に集まりやすいです。

私は強くないと生きられない環境にいたから、紆余曲折しながらも価値を積み上げて来ました。

価値を積み上げていて、かつ変人だったので…それはもう悪意と依存の雨あられです。

私の足を引っ張る人、努力の邪魔をする人、喧嘩を売る人、気力や労力を奪う人。

子供の私は弱かったので、マウントを取ってくる人も多かったですね。

幼い頃から周りの大人も家族も敵だらけでした。

ただでさえ生きるのに必死なのに、彼らによってさらに厳しくなる。

必然的に人を避けるようになりました。

十代の頃はザコメンタルだったので、人の悪い所ばかり見て人への恐怖も強かった。

その状態は攻撃されやすく、さらに人を嫌いになる悪循環を繰り返していて、本当に限られた人とだけ接していました。

精神が成熟してからは悪意も依存も簡単にあしらえるようになりましたが…それでも疲れるので、今でも人を選びます。

そのため、なるべく人間性や価値を積み上げている人間とだけ関わるようにしています。

マトモな大人の存在

これまた色々な記事で書いてきた事ですが、私はマトモな大人によって救われてきました。

人間嫌いが改善されたのもマトモな大人によるものです。

幼少期の私は人や世の中に対する憎しみが強く、結構危ない状態でした。

「善良であろうとする意味」という記事で書いた先生やオッサンみたいな人に、要所要所で出会ってきたから今の私があります。

近年の若者の猟奇事件を見ると、自分がそうなっていてもおかしくは無かったな…と思っています。

人を避ける一方で、人に救われてもきたんですよね。

世の中には黄金の精神を持つ人がいて、私もそんな大人になりたいと思うようになりました。

そういう人間に出会わずに生きて来た人には理解しづらいかもしれませんが、私は心の底からマトモな大人が世の中に必要だと考えています。

自己肯定感の低い、私利私欲に走る大人ではなく、人に正しい生き方を伝えられる大人です。

そういった人達が次の世代を強くしていくんですよ。

だから、生き方を伝えると同時に、自己肯定感の高い大人を増やす必要がある。

そのために自分の価値を積み上げる事を強く薦めるわけです。

人から得るもの

昔の私からすれば、社会のために何かをしようとする今の私は信じられなかったでしょう。

若い頃は人間性が低く、利他の価値を知りませんでしたからね。

今は必要なことだと理解しています。

ただ、悪意を撒き散らしたり私利私欲で他人を利用したりなど、人の様々な闇に触れると

「あー、この国ダメかもしれんな」

と悲観する時もあります。

しかし、本気で世の中を良くしようとする人がいて、善良さや強さを伝えようとする人がいる。

また、一生懸命に自分の価値を積み上げて、自分の人生と戦う人がいる。

その姿を見て、後に続く者が現れていく。

そういう人達の味方でいたいと思うし、私自身も自分の人生と戦うエネルギーを貰えます。

だから、そういう存在があるだけでも世の中のために何かをする価値があると思えるんですよね。

人には希望が必要なんですよ。

その希望を与えられるような人達は、尊い存在だと思っています。

そういう人達の身辺警護だったら、金なんていらねーレベルです。

そんな存在が世の中に増えていって欲しいなと思います。

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