獣の哲学

哲学系記事
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私がブログに書く人生哲学は、一般的な哲学者が考える物とは少しばかり毛色が違っています。

分かりやすい表現が中々思いつかず「強く生きる哲学」とストレートに名乗っていたのですが…

長げーし、文章ならまだしも口頭だとややこしい。

結局のところ獣の社会で培ってきた哲学なので、シンプルに「獣の哲学」と名乗ることにしました。

今回は、改めて獣の哲学がどんなものであるか話していこうと思います。

理想より現実

「哲学は役に立たない」

わりとよく言われる言葉です。

今まで散々語ってきた事ですが、人生において哲学は非常に重要です。

では、なぜ役に立たないと言われるのか?

それは哲学が理想論に偏りやすいからです。

哲学者になる人は、理性的で文化的な…わりとマトモな人間に囲まれて生きてきた人が多いです。

そのため、カジュアルに人を殴るようなヤベー奴、執拗に人を貶めるような嫌な奴と接してきた経験が少ない。

ドス黒い人間の汚さや強烈な悪意を肌で感じずに生きてきた人は、人の心の奥深くまで覗く事は難しい。

わりと人間を合理的な存在として捉えているから、どうしても意見が現実とズレてしまうわけです。

ある種の綺麗事になりやすいんですよね。

理想論が悪いわけではなく、むしろ人間が目指すべき場所はハッキリしておいた方が良い。

だから、哲学は無駄とは言えません。

ただ、現実の壁にブチ当たっている人にとって必要なのは、現実に即した解決手段です。

パワハラで悩んでいる人にニーチェの言葉は届かない。

一般的な哲学は、余裕のある人じゃないと価値を感じられないものです。

それゆえに無駄と言われてしまうわけです。

獣の社会

体育会系の中でも、特に荒っぽい場所を「獣の社会」と私は呼んでいます。

軍隊や職人などの世界ですね。

この獣の社会は、暴力的で話が通じないヤベー奴が多い。

「人」というよりは「獣」に近い。

至極真っ当な説明をしただけで殴られたりする…論理的な人にとっては地獄のような場所です。

獣の社会で理想論を説いたところで

「なるほど完璧な作戦っスねーっ」

「不可能だという点に目をつぶればよぉ~」

と、なってしまいます。

「綺麗事なんざクソくらえ、生き残るために戦え」

というのが、獣の社会のスタンダードです。

「人を殴ってはいけない」と説明しても、平気で殴る奴がいる。

だから、殴り返さないとやられ続ける。

理想より現実を優先しないと生き残れないわけです。

理性的で文化的な価値観は、私も尊ぶものです。

しかし、獣の社会では何の役にも立たない。

必要なのは「強さ」です。

ただ、どんなに強くても1人では潰される。

だから共闘出来る仲間が必要で、信頼関係を築けるような「善良さ」を必要とします。

獣の哲学

私は理想論の哲学を馬鹿にする気はありませんし、獣の哲学の方が優れているとも思いません。

社会は理想を目指して成長していくべきだと考えています。

ただ、一人一人が現実に立ち向かう時、力になるのは獣の哲学です。

「人は生きてるだけで価値がある」

それが現実になったらどれだけ良いか…と私は思います。

しかし、現実問題として一人一人に「社会的価値」というものが存在し、それによって人生が左右されます。

だから、獣の哲学を説く私は

「自分の価値を積み上げろ」

と語るわけです。

世の中には現実から目を背けていたい人も多くいて、私はそういう人達を現実に引き戻すような事を言ったりします。

だから、人によってはメチャクチャ嫌われます。

たまに殺害予告も届きますね。

現実を見て潰れてしまう人もいるから、無理矢理押し付ける気はありません。

悪く言うつもりもないです。

自分の哲学は、自分に合ったものを作り上げていけば良いと思っています。

獣の哲学は、

「現実を受け入れて、傷を負いながらも前進する」

そういう覚悟がある人、または…そうありたい人向けの話です。

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