人それぞれの人生哲学

哲学系記事
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【「本当に優しい奴は」スゲーカッコ良い】

【獣の哲学】

という記事で書いているように、人には様々な人生哲学が存在します。

人や社会の理想の姿を追うものだったり、優しさを軸にしたものだったり、ひたすら楽に生きるための哲学もあれば勧善懲悪の哲学を持つ人もいますね。

私が持つ獣の哲学は、現実と戦うための哲学です。

そのため、他人の人生哲学とぶつかる事もあります。

ただ、私は自分と違う哲学を持つ人を敵とみなしているわけではなく、その考えを尊重しています。

より正しさを求めてぶつかるだけであって、否定したいわけではないからです。

絶対に正しい生き方なんてものは、人間ごときが辿り着けるものではありません。

しかし、それに少しでも近づくために、他人の思想を知り、知識を得て、自ら考え、議論し、アップデートする。

私はシンプルにそれがしたいだけです。

自分と全く毛色の違う人生哲学は、言ってしまえば目的に対するアプローチの違いであると捉えています。

今回は、そんな話です。

自分の哲学

哲学者とは、哲学をする人の事です。

哲学とは疑問を持ち考える事を指します。

その中で、人生の生き方について考える事を人生哲学と呼びます。

人生がどうすれば幸せになるか、どうあるべきか、それを自分で考える人は全て哲学者という事になります。

私は自分の思想が宗教化するのを嫌います。

もし仮に、私の思想が正しいと盲信する人がいたとしたら、その人は哲学者ではなく私の劣化コピーでしかありません。

「思想のフリー素材の意味」という記事の通り、私は人に哲学をして欲しい。

だから、私の思想は材料の一つに過ぎないと言っているわけです。

学校などで哲学を習う時、哲学をするのではなくカントやデカルトなどの著名な人物の思想を学びます。

それもまた自分の哲学の材料にするためです。

自分で考える事をせず、ただ哲学者の思想と同じ事を言うだけの人は…やはり哲学者ではなく劣化コピーです。

全く同じ人生経験をしている人はまずいないので、自分の思想は自然とオリジナルになっていきます。

例えば、私の先生は優しさを軸とした哲学をしていましたが、私は獣の哲学をするようになりました。

もちろん、論理的に考えると似通った意見になったりするので、全く違う思想になるとは限りません。

しかし、自分で考えたら少なからずオリジナルな要素を持つものです。

尊敬する偉大な先生がいて、その人の教えを忠実に守る人もいるでしょう。

しかし、それもまた劣化コピーなんですよ。

劣化コピーはオリジナルに遠く及ばないばかりか、その人が本来持つ良さも失いかねない。

全ては自分の哲学の材料であって、自分の人生に合うものなら何でも良いと考えています。

私は自分の思想に著作権みたいなものを主張する気はありません。

私の思想を吸収したのなら、自分の言葉として話して貰って全然構わない。

良いと思うものを吸収していって自分の力に変えていき、自分の哲学を作り上げて下さい。

間違えても良いんですよ。

哲学なんて間違いの連続で、間違いを重ねたり否定されたりしながら洗練されていくものです。

誰かの劣化コピーになるより、間違いだらけでも自分の哲学を持った方が遥かに価値があります。

自分と違う思想

私はゴリッゴリの現実主義者で、理想論とぶつかる事が多々あります。

ただ、私は理想論が悪いとは思っていませんし、実は理想論も大切にしています。

なぜなら、この世にはまだ万人の規範となる完璧な思想が存在していないからです。

私が持つ獣の哲学は、人によっては毒になります。

ズタボロに傷ついて弱っている人に「四の五の言わずに戦え」と言ったら潰れてしまうかもしれない。

そんな弱っている人を救うのが、夢を与える理想論だったり、癒しを与える優しさだったりするわけです。

「人間は生きてるだけで価値がある」

この言葉に救われる人もいるでしょう。

ただ、人にブン殴られている時にそれを言われたら「うるせえよ」って思います。

人にはそれぞれが生きている場所で、それぞれに必要な哲学があるものです。

にも関わらず、特定の思想に依存してしまうと潰れる人が必ず出てきます。

そのため、誰かの思想を盲信せずに自分の哲学を作っていく必要があるんですよ。

私の人生には必要のない思想であっても、誰かにとっては必要な思想だったりする。

だから、安易に否定する事はありません。

しかし、特定の問題を解決する時、特定の場所での生き方を語る時、理想か現実かでぶつかったりもする。

基本的に…ぶつかる時は自分が正しいと思うからぶつかるものですが、同時に自分の正しさに拘ってはいけません。

内容に関わらず自分の正しさに拘っていたら、それは思想ではなく…ただの私利私欲になってしまう。

だからこそ相手の思想を尊重するし、自分の間違いも認める。

思想とは、そういうもんです。

もし、全てにおいて自分の思想が正しいと考えている人がいたら…

そいつはペテン師か凄まじいアホです。

哲学者

前述の通り、哲学者とは哲学をする人です。

しかし、私は長らく自分を哲学者だと思っていませんでした。

ずっと何かが違うと思い続けていて、それが何かが分からなかったからです。

ある時、前述した2項目の内容を理解して初めて

「ああ、自分は哲学者なんだな」

と、それまでが嘘のようにストンと納得しました。

世の中には哲学者を名乗る人が結構います。

その中の一部には

「ニーチェを知らない奴は哲学者じゃない」

「有名な先生に師事しないと哲学者じゃない」

「哲学課程を出ていないと哲学者じゃない」

と語る人もいました。

正直、その人達の方が哲学者ではないなと思います。

逆に、哲学者を名乗らない人に対して「哲学者だな」と思う事もあります。

それは企業の社長だったり、スポーツ選手だったり、youtuberやVtuberだったり…

または、居酒屋の店主だったり、配管工だったり、火葬場のスタッフだったりしました。

そういった人達の考えもまた吸収して、私の哲学になっています。

しかし、完全に同調することはない。

私と仲良い人も、私と同じ思想を持っているわけではありません。

それぞれが正しいと思う人生哲学を持っています。

誰かの思想は守るべき絶対のルールではなく、自分の哲学の材料。

人の思想に触れる時、忘れてはいけない事です。

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