正々堂々

哲学系記事
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人間としての強さの極みにあるのが「正々堂々」です。

正しく立派な様子を表す言葉ですね。

自分を偽らず、人を欺かず、恐怖から逃げない。

ここに辿り着くのは非常に難しく、常にそうある人は極めて高い人間性を持っています。

常にではなくても、困難を前にして発揮出来る人もまた人間性に優れています。

正々堂々は、私が最も敬意を払う人間の強さです。

今回は、そんな話をします。

卑怯とは弱さでしかない

自分の失敗を認める、自分の恥を認める、自分の弱さを認める。

これらが出来る人は強い人で、私はその勇敢さに敬意を払います。

なぜなら、それが困難な事だからです。

例えば、失敗を正直に謝れない人は…

●怒られる恐怖

●嫌われる恐怖

●自分の評価が下がる恐怖

●自信を失う恐怖

などなど…様々な恐怖に抗えず、逃げてしまうが故に謝れない。

失敗が発覚した後も言い訳を繰り返してしまう。

子供の頃は誰しもがそんな感じで、少しずつ恐怖に抗う事で正直さを手に入れていきます。

どんなに失敗しようが、どんなにみっともなかろうが、在るがままの自分でいられる人は恐怖と痛みを越えられる強い人です。

恐怖を乗り越え、痛みに耐え、そうやって積み上げた人間性があるから正直でいられるものです。

この研鑽を積んでない人は、困難に面した時に嘘をついてしまう。

一際メンタルが弱い人は、日常的に嘘を重ねてしまいます。

嘘で人の関心を引き、嘘で私利私欲を満たす事に慣れた人は…その状態から中々抜け出せません。

本来の自分に価値を持てず、人を欺かなければ承認欲求が満たされないからです。

そのため、うわべだけの人間関係にもなりやすい。

当然ながら…その状態では自信を持つ事が出来ず、自分を好きになることもありません。

むしろ、徐々に精神を病んでいきます。

その手の人には死ぬほど出会ってきたのですが…

「嘘で人を操る自分は賢い」

と思っている人が多いです。

正直、若い頃の私もそうでした。

今の私からすれば、アホ以外の何者でもありません。

完璧な嘘を吐く事は極めて難しく、発覚した時に失う信用は取り返しがつかない。

正直ほどリスクが少なく、堅実な解決手段はありません。

しかし、弱さ故にそれが出来ないから卑怯に走るわけです。

「偽らない」というスキル

最近、身内の私利私欲によって軽くない被害が出ていた事が発覚し、そのリカバリーに奔走しています。

私含めて周囲の人間も欺かれていたのですが、本来なら騙される事は無かったでしょう。

ある程度の人間性と精神の強さを持つ人間は

「仲間を疑わない」

という美徳を持っている事が多いです。

だから、日常的に違和感があっても信じようとしていた。

そこを利用されてしまったわけです。

ただ、嘘による現実とのズレや違和感は蓄積していくので、必ず発覚するものです。

今回もそのパターンでした。

信頼関係において「偽らない」という事は非常に重要です。

相手を信じられるから助けるし、無償の協力を惜しまない。

相手を信じられるから任せられるし、助けを求める事が出来る。

そこに自分を偽る人間がいると、信頼関係が崩壊します。

もちろん、日常において些細な見栄を張ることはあるでしょうし、ネタやエンタメとして嘘をつく事もある。

しかし、私利私欲で人を欺くのは…仲間に対して絶対にやってはいけない事です。

精神が弱い人間は、弱さ故にそれをやってしまう。

「偽らない」というスキルは、精神の強い人間に備わるものです。

だからこそ、強い人間は自分と並び立つ強い人間を求める。

それは口論や腕っぷしの強さでもなく、能力や名声でもなく、心の強さです。

どんな形の強さであれど、それが本物であるかどうかが大事です。

私も裏切りは散々経験してきましたが、それでも仲間を信用する事はやめません。

ただし、裏切るような人間を仲間に入れないために、人間関係にフィルターを張るわけです。

正々堂々とした人間になるために

獣の哲学が最終的に辿り着くのが、正々堂々なのではないかなと考えています。

今、強い人間や強くなろうとしてる人間は、どこかで勇気を出して自分を変えようとしたから今があります。

誰しもが最初は弱いもので、楽な方に逃げ続けていれば当然弱いままです。

その結果、人生がジリ貧になって追い詰められていく。

「人を騙して上手く行ってる人間もいる」

そう語る人もいるでしょうね。

まあ…

知るかよ、そんなもん。

何かに恵まれていれば、それで上手くいく人間もいるでしょう。

そういう人間を真似して、卑怯でいたいならいればいいと思います。

それは人の勝手ですから。

誰かを騙して利用して生きていく人間を横目に、私はズタボロになりながらも強さと善良さを求めます。

挑戦を続けるし、価値を積み上げ続ける。

逆境に対して「引かねえよクソッタレが」と戦う事を選ぶ。

その方が痛快で清々しく、より「生きよう」と思える。

自分に自信を持ち、自分を好きになれる。

それが正々堂々へと繋がっていくわけです。

鬱屈して不満を抱きながら生きるよりも遥かにマシな生き方です。

弱い人間がどこかで勇気を出して、うわべだけじゃない強い人間を目指す。

人が変わるキッカケは実にシンプルです。

自分の弱さから逃げずに直視した時、その弱さがたまらなく嫌になります。

弱い自分が嫌だから何とかしたい…という気持ちが自分を変える原動力になる。

自分の弱さに蓋をして人に依存し、保身のための言い訳を繰り返し、他人を馬鹿にしたり見下して自分を慰めていては変われないものです。

誰だって傷を負うのは辛い、私だって慣れていてもキツイものです。

しかし、消極的に出来た傷は人間を卑屈にさせますが、積極的に挑んで出来た傷は自分を強くする。

繰り返すほど大きなダメージに耐えられるようになります。

人に恵まれなかったら、環境に恵まれなかったら、不運に見舞われたら…

誰しも人生が思い通りに行くわけではありません。

それは、私も身を持って実感していることです。

だから多くの人間が、そんなクソみてーな状況を自力で何とか出来るように、私は獣の哲学を書いています。

それを活かすかどうかは自分次第です。

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