尖り散らしたセンス

哲学系記事
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人と関わるとセンスというものを感じる時が多々あります。

個人的な見解では、センスは特定の分野または普遍的な知見の蓄積だと考えています。

要するに経験の多さがセンスになるという事です。

世の中には突き抜けて尖ったセンスを持つ人が存在します。

笑いであったり、芸術であったり、アイデアだったりと様々な形で表れますが、それらは普通の物事に触れていては磨かれません。

普通の人が触れないような物事に触れてこそ磨かれるものです。

また、他人のセンスを理解するにも近いレベルのセンスが必要になります。

例えば、私は絵画に触れて来なかったので絵画の良し悪しが分かりません。

これは他の物事にも言える事です。

今回は、そんなセンスの話です。

マイノリティに触れる

他者よりも突き抜けたセンスを得るためには、人が触れないものに触れる必要があります。

つまりマイノリティに触れる必要があるわけです。

日常だとユーモアのセンスが分かりやすいと思います。

実は、オタクはユーモアのセンスが尖っている事が多いです。

サブカルチャーの価値観を吸収している人は、無趣味の人に比べてユーモアのセンスがあります。

例えば、漫画一つとっても読む読まないで変わるものです。

ただ、「ワンピース」や「鬼滅の刃」みたいなメジャーな物にしか触れていなかったら、普通の人とそんなに変わりません。

「狼の口」や「ラブやん」みたいに、普通の人がまず読まない漫画に触れてきた人ほどセンスが尖っていきます。

すげーマニアックな知識を持つ人は、面白い人が多いです。

しかし、尖り過ぎているとセンスが理解されず、普通の人からはただの変人として扱われます。

私はこの尖り散らしたセンスが好きなんですよ。

予想の斜め上を飛んでいくからです。

尖ったセンスを持つ人は独特な知識を身につけていたりします。

例えば、皆さんは「尻目」という妖怪を知っているでしょうか?

顔はのっぺらぼうで肛門の位置に目があり、人が近づくと尻にある目を見せつけるという奇行に走る妖怪です。

存在が意味不明です。

話が尖っててクソ面白かった奴は、こういうワケの分からん知識を身につけていました。

変な知識を持っているから面白いのではなく、そういう物を求める価値観の中でセンスが磨かれるワケです。

またユーモアのセンスがある人は、下ネタやブラックジョーク自体が面白いのではなく、適切な組み合わせによって面白くなる事を理解しています。

面白いと感じた事が、結果的に下ネタやブラックジョークになる感じですね。

だから、普通の人が上手く扱えないそれらを輝かせる事が出来ます。

ジョークに変える組み合わせこそがセンスで、マイノリティの文化から得た経験の蓄積で磨かれたものです。

私にコミュ障や変人の知り合いが多いのは、彼らが持つ尖り散らしたセンスに惹かれた結果だったりします。

より高いレベルに触れる

ゴールドジムに通うようになって一番良かったと思った事は、レベルの高いマッチョがゴロゴロいる事です。

市営ジムやマイナーなジムに通っている時は、自分より上のレベルの人間には滅多に出会えませんでした。

そういう時は慢心しやすいんですよ。

どんなに気をつけていても「自分は周りより優れている」という慢心が忍び寄って来ます。

初めてゴールドジムに行った時、異次元レベルの存在があちこちにいてハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けました。

自分の中でマッチョという概念がアップデートされた瞬間です。

これはセンスにも同じ事が起きるんですよ。

レベルの高いセンスに触れて衝撃を受ける。

その瞬間、自分の中でそのセンスに対する概念が変わる。

この時、圧倒的なセンスの前に敗北感を抱きます。

しかし、自分を悲観する必要はありません。

概念がアップデートするという事は大きな進歩で、敗北感は成長痛のようなものです。

新しい概念を手に入れたら、レベルの高いセンスを吸収していく事が出来ます。

レベルの高い人間を求めて何度もセンスに触れ、何度も敗北を味わいながら吸収していく。

色々な人間のセンスを吸収した結果、いつしか突き抜けたセンスを手に入れているものです。

ハイレベルというのも、ある意味マイノリティなんですよ。

理解出来るセンスのレベル

よく例え話に使う事ですが、IQが20離れると会話が成立しづらくなると言われています。

これは他の物事にも言える事で、センスもレベルが離れると理解出来なくなる。

冒頭で話した私の絵画のセンスがまさにそれですね。

「能力の偏差値」

「認識のズレによるコンプレックス」

という記事でも触れている話です。

自分が理解出来ないものは、実はハイレベルなものかも知れないんですよ。

スゲー尖ったセンスを持つ人が、集団から弾かれるのは良くある事です。

人は理解出来ないものを敬遠しますからね。

芸術家も尖ったセンスを持つ人は理解されにくいもので、歴史上の偉人達も生前は認められなかった人が多いです。

もしかしたら、センスが尖り過ぎていて歴史に埋もれた人もいるかも知れません。

何が言いたいかというと…

自分が理解出来ないものを「理解出来ない」と切って捨てるのはもったいない。

それは自分を高いレベルに引き上げてくれるかもしれない…という事です。

筋トレで前腕を鍛えるのが好き過ぎてザリガニみたいになってる人がいるんですよ。

まあ、ワケ分からんですよね。

でも、逆に言えば前腕って本気で鍛えるとそんなに太くなるんだ…という事が分かる。

んで、その鍛え方を知ると、前腕を鍛える時に役に立つワケです。

センスもまた同じ事なんですよ。

むしろ、ワケ分からん奴からの方が有益な何かを吸収出来る…かもしれません(笑)

まあ、何よりも理解出来ないものを受け入れると、その面白さに気付く時がある。

私が偏見を持たないように気をつけているのは、そのためです。

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