固定観念の外側へ

哲学系記事
スポンサーリンク

固定観念とは、いわゆる思い込みです。

今までの経験や知識から作られるもので、それらが浅い状態で作られた固定観念は偏見になる事が多いです。

「鳥は空を飛ぶもの」

しかし、ペンギンは空を飛べません。

視野が狭いと間違った認識のまま固定観念化してしまいます。

今回は、そんな固定観念の話です。

発想の陳腐化を防ぐ

固定観念は柔軟な発想を妨げます。

例えば、「車はガソリンで走る」という固定観念が昔はありましたが、今は電気自動車が作られる時代になりました。

固定観念に囚われた人からは電気自動車は生まれ無かったでしょう。

それは柔軟な発想が出来る人のアイデアによるものです。

普通の人は堅実なものを好み、発想も常識の枠を出ない事が多いです。

そのため、企業の経営者になったりすると発展よりも現状維持に留まる事が多い。

それは悪い事では無いですが、発展は柔軟な発想から生まれるものです。

しかし、その柔軟な発想が出てこないばかりか、否定してしまう人も多い。

固定観念に囚われるほど頭が固くなってしまう。

今でこそ普及しているスマートフォンは、一昔前には不要と考える人が多かったんですよ。

「携帯は電話とメールが出来れば良い」

という人が多く、高齢者の中には今でもこういう人がいますね。

しかし、現代では必須のツールになっています。

普及しているものを受け入れる事は誰でも出来ます。

しかし、普及する前のアイデアの段階で受け入れられる人は中々いない。

発展に必要なものは、柔軟な発想とそれを受け入れられる柔軟さです。

固定観念はそれを阻むものです。

警備業界では大手企業のやり方を真似して破綻する中小企業が多いんですよ。

大手の体力があるから出来るような体制を導入して、ブラック化し負担が偏り、若者が消えてジーさんばかりになる。

ジーさんばかりしかいない警備会社は少しずつ仕事が減り続けて、段々回らなくなる。

経営者が自分の頭で考えず「有名企業の成功方法」とい固定観念に囚われた結果です。

警備業界で発展するのは、警備業という固定観念に囚われず独自の路線を行く会社だけです。

しかし、それも上手くいっていた方法に固執して、新たな方法を試そうとしなかったりする。

結果、現状維持か衰退のどちらかを辿る事になる。

もし、人の上に立つならば発想の陳腐化を避けなくてはなりません。

固定観念を壊し、柔軟な発想を持ち続ける事が大切です。

実際の状況を知る

男性の間だと、格闘技や武術は何が最強かっていう議論になる事があります。

これに対する私の答えは「人と環境による」です。

例えば、私は仕事柄色々な武道を経験しているのですが、試合と喧嘩では戦い方が違います。

日本拳法の試合なら居合いみたいに右を打って一発で決めるか、連撃から組んで投げるんですよ。

しかし、屋内の喧嘩だったら踵で押し込む前蹴り、肘打ち、あるいは壁に押し付けて拳の下側で殴ります。

普通に殴るとシンプルに手が痛いし、大体の場合は間合いもクソも無いので、私の体格だとそれが有効だからです。 

また、「男性または女性を落とすテクニック」とか「相手を操る方法」とか心理学のネット記事がよくありますが…内容が雑でポカンとします。

人間心理ってのは結構複雑で、知れば知るほど思い通りに出来ない事が分かってきます。

例えば、精神が自立した人間とそうでない人間では考え方や反応が全く違うし、その日の気分によっても変わります。

「対処する」ならともかく…人を自分の思い通りに操るのは難しく、決まった方法が通用するわけではないんですよ。

承認欲求が強い人、依存する人、思考停止した人なら心理状態が似通ってくるから、特定の方法で操りやすくなったりはします。

しかし、使う人の気質、相手の性格の良し悪しや育ってきた環境による価値観にもよるから不確実なものです。

心理学は魔法でも催眠術でもないわけです。

これらの話で何が言いたいかといえば、提唱する人も信じる人も実際の状況を知らないんですよ。

机上の空論で上手くいくと考えて、現実が見えていない。

実際の状況を経験し、観察しないと得られない情報が決定的に欠けているわけです。

これはビジネスでもよくある事で、セールスとマーケターの需要の捉え方が全然違ったりします。

私も自衛隊広報官だった時、上層部の的外れな方針とぶつかる事が多々ありました。

これは完全に個人的な経験則ですが、日本人は机上の空論を好む人が多いように感じます。

考える事自体は良い事ですが…現実と照らし合わせないと意味が無いし、机上の空論だけを頼りに進めるのは危険です。

固定観念を打破する基本となるのが、実際の状況を知る事です。

理解出来ない領域がある事を知る

人はどうしても自分が理解出来る範疇だけで物事を考えてしまうものです。

嫌な奴が良い奴を偽善呼ばわりするのは、その善性が理解出来ないからです。

しかし、善性を理解していないと真に偽善かどうかは分からない。

このように理解出来ないレベルの物事を、自分のレベルで判断するのはよくある事です。

何かを積み重ねた人間は、そうでない人間が理解出来ない領域にいる事が多い。

そういった人間のアイデアを、その他の低質なアイデアと一緒にして否定するのはもったいないと考えています。

理解出来ない物が悪い物とは限らないんですよ。

だからこそ、私は理解出来ないものについて知ろうとします。

私にはピカソの絵は落書きに見えますが、実際には凄まじい価値を持つ物です。

万が一にも手に入ったら利益に繋がりますが、ゴミだと判断したら普通に捨てるでしょう。

同様の事は、十分に起こり得るわけです。

一方で、再現性という問題もあります。

ピカソの絵に価値があるから量産しようとしても、本人は他界しているから不可能です。

しかし、不可能で断ずるのではなく別の道を探る。

Tシャツや絵ハガキにするという方法を取る事も出来る。

「絵を売る」という固定観念に囚われていたらそんな発想にはなりません。

理解出来ない領域がある事を知り、理解する事に努めていくと道が拓けていきます。

正解に繋がる道を誰かの固定観念で塞いでしまう事は、本当によくある事です。

さて、最後に一つ、私が最も多く出会ってきた固定観念があります。

それは「◯◯の言う事は正しい」です。

コメント

Copied title and URL