自分らしさとは何でしょうか?
自分の思う通りに生きていく事だと言う人もいますが、微妙に違うんじゃないかと思います。
私は、ストレス無く生きる事が自分らしさであると考えています。
しかし、それが難しい
今回は、そんな自分らしさについての話です。
社会の枠組み
例えば
「俺は法律なんて気にしないぜ」
って人が自分らしく生きたら、大抵は刑務所の中で過ごす事になります。
自衛隊の新入隊員が
「俺は人の言うことなんて従わないぜ」
って奴だったら、袋叩きにされて追い出されます。
現代人と社会は切り離せないもので、どんな人でもある程度は社会のルールに従って生きています。
100%思い通りに振る舞う事は出来ないので、自分らしくあることは「社会の枠組みの中で」という前提条件が付きます。
集団のボスになると権力を持つから、自由に振る舞えると思う人もいるかもしれません。
しかし、集団の維持や発展を考え、指示や結果の責任を負うので自由とは言い難いものです。
変化に合わせて自分の価値観をアップデートしていく事が必要で、社会に生きるなら柔軟性が大きな要素になってきます。
自分の価値観を頑なに変えない事は自分らしさではなく、ただ成長しないというだけです。
人は社会の枠組みに従わざるを得ません。
ただ、傾向というものがあります。
例えば、私は飲み会に参加するよりも家で本を読む方が好きです。
しかし、そうしてばかりいるわけではなく、参加する時もあります。
それも必要な事だと理解しているからです。
行かない事が多いけど、行く時もある。
そういう傾向があります。
勇ましい人間は普段から勇ましい傾向にあるし、優しい人間は普段から優しい傾向にある。
自分らしさは瞬間的に発するものではなく、普段から傾向として表れるものです。
ただ、全ての人がそうかというと…そうとは言えません。
先の飲み会の話だと、断れずに我慢しながら参加し続ける人もいるでしょう。
傾向は、人間的な強さだったりヒエラルキーの高さでも変化します。
要するに、強くないと自分らしさが表に出てこないわけです。
安心を得るために他人に合わせる人もいます。
自分が他人と違う事を恐れる人ですね。
ただ、考え方も行動も発言も全て人に合わせると無個性な人間になります。
本来なら人に合わせる事はストレスになるものです。
人間的な強さがあると無理に合わせようとしなくなる。
ストレス無く生きようとしたら自然に傾向が出るもので、それこそが自分らしさであると考えています。
それが良い奴か嫌な奴かは関係なくです。
だから、傾向は人間性の判断基準でもあったりします。
価値観の違い
価値観は広く持つべきだと思いますし、広げていくべきだとも思います。
しかし、現時点で受け入れられない事があるのは事実だから、それはもう仕方ないと考えるようにしています。
価値観の合わない相手に自分らしさを出すのは難しいものです。
私は自衛隊に長くいたから自衛隊の価値観が強いです。
それは一般の人には理解出来なかったり、「頭おかしい」と思うものだったりします。
自衛隊では普通に人を殴るし暴言も吐く。
日常会話は悪意の無い口喧嘩みたいなものだし、クソみたいな下ネタも多い。
ふざけるのが大好きで、普通の人が見たらドン引きするレベルのイタズラもやります。
そういう組織なんですよ。
そこに適応して生きてきたので、自衛隊を辞めてから若干窮屈な思いをしています。
普通に話すと怖がられるか怒らせるから、紳士的な振る舞いが求められる。
私はノリノリでプロレスごっことかをやるオッサンですが、悪ふざけをすると大抵はドン引きされる。
自衛隊はクソな部分が多いけど、変なプライドの無いイカれた奴らがいて面白かったなと思います。
普通の人は唐突に「殺すぞ」と言われたらビックリすると思うんですよ。
わりと強気な人でもストレスに感じたり傷つく人もいます。
しかし、自衛隊ではそれが普通で、悪意の無い暴言だったら如何にして面白く返すかが重要だったりします。
「はあ~?やってみろよ、俺は英検3級だぞ」
とか
「上等だよ…先生!やっちまってくだせえ」
って、後輩に振るとか
「あー傷ついた!謝罪と賠償を要求します!」
とか、とにかくふざけてました。
自衛隊の外に出てから、自分がシンプルに真面目なオッサンになっていくのがスゲー嫌なんですよ。
かといって、普通の人にその対応を求める事は難しい。
言葉の間合いや強弱が違い過ぎるからです。
理不尽耐性の強い奴だったら、ふざけられるんですけどね。
それでも、全力の言葉で殴れる奴に出会う事はもう無いだろうと思っています。
自分の価値観は環境によって変わっていくものだし、ストレス無く生きるためには変えていくしかなと思います。
人を変える事は出来ないから、環境を移すか自分自身が変わるかですね。
人の評価か自己満足か
自分らしさというのは自己満足だと考えています。
自分らしさを求める人は、個性が無いという悩みがあるか、自分らしく振る舞う自分を見て欲しい人が多いです。
個性が無いという状態は、前述の通り傾向が表に出ていないだけです。
自我を出していけば自然と個性的になっていきます。
自分らしく振る舞う自分を見て欲しい人は、他者からの評価が欲しい人ですね。
例えば、何人か「自分探しの旅」をした人に話を聞いてみましたが…
正直なところ、「自分を探す旅をした自分」というブランディングだなと感じました。
本当の自分らしさって、他者からの評価を求める事と対極にあるんですよ。
ストレス無く生きようとしたら人から嫌われる事も多くなります。
自分の意に沿わない人や自分と同調しない人、自分が理解出来ない人を嫌う人が多いからです。
人の評価を気にすると、そういう人達の価値観に合わせていくようになるから、自分らしさからは離れていきます。
人に嫌われる事を恐れていては、自分らしさは手に入らないわけです。
自分らしく生きても全ての人に嫌われるわけではありません。
逆に好かれたり気に入られる事もあります。
で、そういう人達の中には有益な人も多いんですよね。
だから、個人的には嫌われるというデメリットを上回るメリットだと考えています。
まあ、そもそも素の自分を評価する人と付き合っていった方が楽ですしね。
ただ、自分らしさというものは、どこまで行っても自己満足です。
それが正しいとか悪いとかではなく、ただ自分がそうしたいからしているだけです。
出来ない人にはトコトン難しいものだし、やりたければやれば良いって感じですね。
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