最適解は自分にしか分からない

哲学系記事
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今回の話は人によって「当たり前だろ」と言われそうな事です。

しかし、分からない人や理解出来人もいる話です。

自分の人生はパズルを組み立てるように、色々な知識や情報というピースを集めて作りあげるものです。

ただ、問題はそのピースです。

自分に使えるものと使えないものがあるんですよ。

今回は、そんな話です。

自分と他人は状況が違う

人はそれぞれが違う能力や特性を持ち、違う環境に生きています。

仮に自分の完全なるコピーがいたとしても、出会う人や遭遇する状況が違うので同じ人生にはなりません。

他者の考えや言葉はあくまで参考にする程度のものであって、パズルの1ピースでしかありません。

だから、自分の人生の最適解は自分で探すしかない。

例えば、誰かに自分の状況を説明して相談するとします。

相手の理解力や思考力が高ければ、最適解に近いものを教えてくれるでしょう。

しかし、それはあくまで自分がした話を聞いた上での結論です。

話が正確でないと正しい答えには至らない。

人は自分の状況を話す時、私情を挟んでしまいがちです。

誰かと揉めた時は、自分が悪くないように話してしまう。

山の上に不思議な光を見た時は、「UFOを見た」と自身の判断を加えてしまう。

私情を挟まず事実を事実のまま伝える事は、警察や軍隊では重要視されるスキルの一つです。

しかし、それは訓練しないと身に付かないもので、生まれた時から自然に出来る人はまずいません。

また、事実を事実のまま説明出来ても、自分や他人の細かい言動まで正確に伝える事は難しい。

よって、どんな名探偵でも他人の話を聞いただけで最適解に辿り着く事は出来ません。

実際に経験した自分だけが、最適解に辿り着く可能性を持っています。

不特定多数に向けられた言葉は、さらに精度が落ちます。

例えば

「人の物を盗んではいけません」

日本人なら当たり前の価値観です。

しかし、後進国のストリートチルドレンは盗みをしないと食べ物にもありつけない。

人の置かれた状況や立場が違うから人によっては正解でも、違う人には不正解だったりします。

全ての人の道標となるような、万能の言葉なんて存在しません。

だから、その言葉の意図や向けている層がどこかを理解しないと、あまり意味が無いものです。

自分に向けられた言葉とは限らない

少し前のネットニュースの記事で「ええー…」と思う話がありました。

2ちゃんねる掲示板の創設者である西村ひろゆき氏が

「SNSで幸せアピールをする人は、そう見られたいだけで幸せではなかったりする」

という主旨の発言を著書でして、批判されているという内容でした。

発言自体は特に問題に感じてはいません。

ただ、批判の内容が予想に反するもので

「そんなことは誰でも知っている」

「その程度で偉そうにするな」

というものでした。

この批判って変なんですよね。

実際の所、幸せアピールの心理が分からない人が結構いますし、西村氏の発言はそういう人達に向けられたものです。

どんな知識でも知っている人と知らない人がいるもので、基本的に知識を話す時は知らない人向けに話すものです。

知っている人がそれを聞いて、知っているのは当たり前ですよね。

だから、知っていたら「そうだよね」って流すのが普通です。

不特定多数に対する言葉は不特定多数に向けられたもので、基本的に自分1人に向けられたものではありません。

この部分をしっかり理解出来ていない人がいるんですよ。

さらに不特定多数に向けられた言葉は、該当する人としない人に分かれます。

自分が該当するかしないかの判断は自分でするものですが、その判断もまた出来ない人がいる。

発信者の意図を理解する事が出来ないと、何でも自分が言われているように感じてしまうからです。

私もブログに対する反応を見ていると、自分が考えてる以上に意図が理解されていない事が分かってきました。

元々、細かく説明して意図が伝わるように考えて書いていましたが、最近はストレートに「~の人向けの話です」と伝えたりします。

色々な意見や考えを聞くのは良い事ですが、その意図を理解する事が重要です。

マジョリティとマイノリティ

世の中にはマジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)がいます。

私のブログは基本的にマイノリティ向けなんですよ。

私の考えはマジョリティの人には理解されがたいものですし、マジョリティ向けの発信は内容が薄くなってしまうから…私がシンプルにつまらない。

濃い話をするとマジョリティには伝わらないし、薄い話をするとマイノリティには価値が無いものです。

これ、当初は言わなくても分かるものだと勝手に思ってたんですが、ブチギレるマジョリティの人が多いので説明する必要があるなと感じました。

可視化出来ない能力や価値観は人との違いが分かりにくいものです。

例えば、独創性や想像力みたいな能力は人によって凄まじく差があるものですが、数値化が出来ないため差が分かりにくい。

こういった可視化出来ない能力が高い人や低い人はマイノリティになりやすいんですよ。

また、状況や立場もマイノリティを生み出します。

大きく分けたらサラリーマンはマジョリティと言えますが、会社の経営者や個人事業主はマイノリティと言えます。

普通に生きている人はマジョリティですし、ハイレベルな場所や恵まれない状況にいる人はマイノリティでしょう。

その立場でないと見えてこない問題や課題があったりするんですよね。

しかし、一般的な価値観はマジョリティに寄ったものなので、マイノリティの参考にはなりづらい。

マイノリティには、スゲー頑張る人や挑戦的な生き方をしている人がいます。

逆に人生に絶望している人も多く、悲惨な状況を経験してきた人は社会そのものに恨みを持っていたりします。

その人達にとって一般的な価値観はクソみたいなものです。

それによって否定されたり、虐げられた人も多いからです。

そういう人達向けの話を書いているから、私のブログは一般的な価値観から見たら大分ズレた事を言っています。

だから、マジョリティの人が見たら不快感を持ったりキレるのは当然ですね。

これは、ちゃんと伝えていなかった私が悪かったなーと思っています。

ただ、決して馬鹿にしているわけではないんですが…

マジョリティは優しい夢の中で生きている…と私は考えています。

現実を直視しなくても、わりと何とかなるからです。

だから、別にそのままでも構いません。

しかし、マイノリティは現実を見て現実の問題をクリアしていく必要がある。

優しい夢の中では生きられないわけです。

マジョリティかマイノリティかで求められる生き方も変わる。

マジョリティには模範となる生き方が沢山ありますが、マイノリティにはあまりありません。

マイノリティであるほど自分の生き方を自分で模索する必要があります。

私のブログはマイノリティ向けではありますが、それもパズルの1ピースでしかありせん。

最適解は自分にしか分からない。

だから、人生哲学というパズルを自分で組み上げていくわけです

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