持たざる者は「テキトー」に生きられない

哲学系記事
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人は生まれた時点から先天的な要素に左右される、これは事実です。

容姿、初期能力、家族、資産、など様々な物があり、これらによってスタートラインが変わります。

これら先天的な物は基本的に自分の力でどうにかなるものではありません。

だから、そこで悩むのは無駄と考えて、後天的な要素に注目するのが私の生き方です。

そのため、最悪に近い状況からでも這い上がれる人生哲学を常に模索しています。

私の哲学は、ある程度の何かに恵まれた人からは無駄も多い。

水が豊富な地域に住む人に、井戸の掘り方や雨水を利用する方法は必要ない。

一方で…何も恵まれ無かった人には、恵まれた人向けの人生哲学は現実的ではない。

噴水やプールの作り方を聞いても、そもそも水が無ければ意味が無い。

今回の話は極端な例えだと、普通の人よりは恵まれない境遇の人に向けたものだと考えて貰えれば良いと思います。

結構厳しい話です。

テキトーの落とし穴

人は可能な限り苦労したくないし、辛い事にも立ち向かいたくないから、省エネで生きられる生き方に憧れます。

頑張らないで楽に流れて、それでも上手いこと人生が良くなればいい…と誰もが一度は考えるものです。

だからこそ、楽に流れる生き方を発信する人が多い。

例えば

「満員電車が嫌なら乗らなければ良い」

「働きたくないならニートになれば良い」

とかですね。

出来るならやっているし、出来ないから我慢しているのではないでしょうか?

それを優先すると犠牲になるものがありますからね。

失いたくない物があるから頑張っているものです。

そして、発信しているその人達は基本的に真逆の事をやっています。

ターゲット層の需要を掴み、ブランディングを考えて、有料コンテンツやコミュニティなどの金策をしっかりと立てている。

これは、近年の自己啓発系インフルエンサーの基本中の基本です。

スゲー頭を使って、スゲー努力をしなければ出来ない事です。

その中で、ウケの良いテキトーに生きるという考えを発信する人が増えてきました。

しかし、「テキトー」と発信して上手くいっている人は、そう見せているだけで普通に努力家でリアリストです。

または努力を努力と思っていないか、その人の人生で獲得した何らかの恩恵や能力が高い。

じゃあ、本当にテキトーにやろうとする人はというと…基本的に失敗しています。

当たり前ですが、能力もなく労力も払わない人間が上手くいくほど世の中は甘くないです。

何かに恵まれていない限りは無理でしょう。

だから自分を磨くし、スゲー頑張る。

私は別にインフルエンサーを責めるつもりはありません。

実際、何かに恵まれた人なら、ある程度は「テキトー」でも上手くいく。

しかし、持たざる者は基本的にマイノリティです。

彼らの予測の外側にいます。

持たざる者に向けられた言葉では無いんですよ。

クソみたいな状況にある人ほど、「テキトー」には生きられない。

「テキトー」をメインに発信している人だと、先天的な物を見ないまま後天的な努力を軽視していたりします。

例えば、普通の両親がいて、生活に不安が無い程度に裕福な家庭で育って、普通の事が普通に出来る程度の能力があって、無病息災、基本的に命の危険が無い。

これを「当たり前」と考えて発信していたりするんですよね。

私もそうですが…私のブログを読んでいる人の中にも、これが「当たり前じゃない」人もいると思います。

その人達が同じ事を出来るかと言ったら…出来ないですよね。

特に、有名なインフルエンサーは頭が良い人達なので、彼らが当たり前に出来る事は普通の人には出来ない事だったりします。

ただ、人は自分が特別とか頭が良いと思いたがるものなので、「自分は大丈夫」と過信して失敗する。

普通の人が楽に流されると、色々なものを失っていくので最終的に詰みます。

その結果、虚栄と虚飾と虚勢に満ちた亡者に成り果てる。

何かに恵まれていれば、テキトーに生きても上手くいくんですよ。

石油王の息子だったら、それでも上手くいきます。

彼らはスゲー嫌な奴だったりするし、テキトーだけど幸せそうですからね。

社会で自分の立場を確立出来た人も好きなように生きられます。

人生で勝ち取ったものがあるから当然の権利です。

でも、そうじゃない人の方が多い。

「テキトー」という生き方に魅せられて、叶わぬ夢を見る。

自分がしている事が現実逃避だと気が付かずに奈落に落ちていく。

そういう人間の頭をひっぱたいて、現実に向き合わせる事が今の世の中には必要だと考えています。

底辺

スゲー言い方が悪いですが、社会には底辺というものが存在します。

何を底辺と呼ぶかは人によりますが、私は少し前に書いた「人の価値」という記事が基準になると考えています。

例えば、ホームレスでも顔役みたいなみたいな人は、人徳で人に求められているから価値がある。

一方で、スゲー嫌な奴で能力も無かったら、誰からも求められないから価値がない。

という風に考えています。

底辺を知らない人には底辺を救う事が難しい。

底辺を知っていても、底辺を理解し、底辺の理を知らないと無理でしょう。

知ると理解するでは、どうしても感覚がズレてしまうものです。

また、底辺を理解していても、底辺を利用したり搾取する事を考える人もいる。

それらの理由から、彼らに向けられる言葉は理想論になります。

何度も言いますが、私は理想論を馬鹿にする気はありません。

例えるなら、車のギアで言う4速と5速が理想論で、1速、2速、3速が今回の話みたいなものです。

1速、2速にいる状態では4速、5速の話は現実味が無い。

「テキトー」というのは4速、5速の話なんですよ。

1速、2速ではどんなに苦しくても嫌でも、死ぬほどエンジンを回さないと止まってしまう。

理想論を話す人は、他人のスタート位置が3速だと思っていて、1速や2速を知らない人もいます。

自分と他人の置かれた状況の違いを理解するってのは、実は難しい事なんですよ。

例えば、幼少期に猫のエサや野草で飢えをしのいでいた話なんて、普通の人には現実感の無い話でしょう。

それが現実ではなくフィクションのように感じてしまうのは当然の事です。

どっちかというと悪気が無い人の方が多い。

だから、綺麗事に感じたとしても彼らを責めるのはお門違いです。

彼らの言葉は、基本的に違う立場の人間に向けられた言葉だからです。

私は警察官時代に、貧困者、浮浪者、多重債務者、薬物依存者、アルコール依存者、被虐待者、反社会組織の末端と関わる事がありました。

普通に生きていれば関わりの薄い、社会の闇の部分ですね。

警察官という仕事についただけで、今まで生きてきた社会が全く違う世界に見えたものです。

彼らに「テキトーに生きろ」と私は言う事が出来ません。

もちろん、それを言う人を悪いと言いたい訳でもありません。

多分、底辺を想定していないんです。

だから、圧倒的に価値観が違う。

私は価値観の違いというものは、どちらかというとポジティブに受け止めています。

しかし、人を救う時に価値観の違いは悲劇にもなる。

アルコール依存症の人には優しさよりも、胸ぐらを掴んで「酒飲んだら殺すぞ」という恫喝の方が救いになる。

イジメで引きこもっている人には

「学校に行けなくなったらなったで構わない、変わりに生きていく方法を探せ」

と、寛容でありながらも「不幸な被害者」で終わらせない事が重要だったりする。

底辺には底辺の理があるわけです。

自衛隊や警備業界に来る人でも、生きてきた環境が最悪な奴も多いし、何らかの重いトラウマを抱えている奴もいれば残酷なほどに能力が低い人間もいる。

彼らがテキトーに生きたら、人生が詰むんですよ。

テキトーが出来るのは恵まれた人間か、何かを勝ち取った人間だけです。

恵まれなかったら、自力で勝ち取るしかない。

無価値な人間を助けるほど酔狂な人は滅多にいません。

その幸運にも恵まれない人は自力で這い上がるしかない。

「今のままで生きていけば良い」

と、言う人もいるでしょうが…それは無理でしょう。

底辺で満足する人間なんていないんですよ。

辛いから苦しいから何とかしたくて悩むし、もがくし、現実から逃げたくて何かにすがる。

全てを諦めても鬱屈して病んでいく。

その生き方を一生続けろというのは、あまりにも残酷です。

私自身、死ぬほど嫌気がさしたから這い上ってきたし、その苦しさはよく分かる。

誰かに今のままで自分を認めて欲しいから、他人やSNSに依存する。

そのままの自分では認められないから虚勢を張り、虚飾をし、事実を歪め、弱者を装う。

しかし、大抵の人間には見抜かれてしまうから、余計に自分の価値を失っていく。

負の連鎖です。

彼らには優しい言葉をかけるだけでは足りず、自分の力で進ませる必要がある。

誰かの優しさで立ち上がれる人なら問題はないのですが、立ち上がろうとせずに優しさにすがり付いてしまう人もいる。

だから、恨まれようが嫌われようがケツを蹴り飛ばしてでも走らせた方が彼らの為になると考えています。

誰かに救われる事を期待していると一生救われない。

底辺では救われるにも価値が必要で、それが現実だからです。

だから、状況を変えるためには後天的な能力を伸ばすしかない。

価値を積み上げるしかない。

どんなに初期能力が低かろうと、条件が悪かろうとです。

私も、底辺にいる人間が金持ちになるみたいな夢物語を盲信してはいないですよ。

しかし、挑戦と研鑽の果てにマトモな人間関係と安心出来る生活が得られたら十分やる価値がある。

そこに生きがいがプラスされたら、それはもう幸せでしょう。

だから「自分の人生と戦え」と私は言います。

学をつけろ

学とは研究や知識の体系…早い話が物事について学び考える事です。

学校教育のせいで勉強嫌いになる人が多いですが、自力で何かを変えるためには学が必要です。

学校の教科を覚える事と学をつける事を同じに考えてはいけません。

学ぶという事は貴重な機会なんですよ。

学校教育のせいで知識の事を

「無理矢理に押し付けられるもの」

「望まなくても手に入るもの」

と、勘違いしている人も多いですが、本来なら知識や学問は手に入れるのが難しいものです。

勝手に手に入るのは「教育」だけで、それ以外の知識は相応の対価を払わないと手に入りません。

にも関わらず、何でも聞けば教えて貰えるものと思っている人がスゲー多いです。

本やネットで調べれば良いと考える人も多いと思いますが、ネット上はそういう人を釣るための情報が9割ですし、実は本も似たようなものです。

ネットはより見られるように、本はより売れるように特化していきますから当たり前ですよね。

その中から本物を探すには学が必要なんですよ。

私もブログを使って本気で稼ごうとするなら

「人を騙す方法」

「人を操る方法」

「相手に恥をかかせる方法」

「嫌いな奴を追い詰める方法」

みたいなので売り出して書いた方が儲かります。

人生哲学なんて固そうな話より、遥かに人が飛び付きやすいですから。

まあ、嫌気が差すので出来ませんけど。

要するに、正しい情報ってのは簡単に手に入らない。

嘘や見栄ではなく本当に情報を持っている人と繋がりを作るか、まるで砂の中から砂金を探すようにクソ情報の中から本物を探すしかない。

その本物を見分けるのに必要なのが、知識や考える力です。

例えば、生活が困窮しているのに学が無くて詰む人っているんですよ。

生活保護の存在を知らないか、知っていても「支給されない」というデマを見破れずに申請しない人もいますからね。

令和の時代になっても餓死する人がいます。

この際、良いとか悪いとかはどうでもいいです。

ただただ、恵まれて無い奴は学が無いと詰む。

だから学をつけろと言いたい。

学をつけるために必要なのは楽をせず、とにかく情報の中から本物を探そうとする事です。

情報を得て満足するのではなく、それが本当に正しいのかどうかを常に考える。

誰かの結論ではなく、事実から自分の答えを探す。

間違っている可能性があるという前提で情報に触れる必要があります。

似たような意見を集めて比べるでも良いし、データを集めて比較したり、実際の状況を見たりでも良い。

そうやって精査をする。

とにかく手広く知識や情報を集めて、それをやる。

その繰り返しで考える力と信憑性の高い知識は身に付いていきます。

アホでも下手でも何かを変えたいならやるしかない。

自分で道を拓く覚悟があって学があるなら、後は自分に言い訳さえしなければ道が見えてくる。

後は、悩んで考え抜いてその道に賭ける。

意識してか無意識かは別にして、前進する人は大なり小なりそういう事をやってるんですよ。

「テキトー」になんて、到底生きられないでしょう?

絵に書いた餅を拾おうとするぐらいなら、足元に種を植えた方が遥かにマシです。

壊せない壁があったとしても爪で引っ掻くぐらいの気概は持たないと変わらない。

どんなに感情論を述べたところで、現実は現実のままです。

だから…

欲しい物は戦って勝ち取れ、勝つために強くなれ。

どんなに呪詛を吐いたってクソな状況はクソのままだ。

無様でも這って進んで、生きるのが辛いという惨めな状況を抜け出せ。

絶望して死ぬ為の努力をするな、プライドで錆びた頭を生きる為に動かせ。

恐怖に潰されるな、死ぬほどビビりながらでも挑め。

そうすれば、少なくとも今よりはマシになる。

世の中がクソなら自分が良い奴になれ。

良い奴を演じるのは簡単でも、本当に良い奴になる為には強くないといけない。

だから、自分を鍛えて少しずつ強くなれば、少しずつ良い奴になっていく。

良い奴になっていけば周りも少しずつ変わってくる。

「良い人は損をする」それは本心が良い奴じゃない自分を肯定したいだけです。

良い奴を演じるだけなら利用されたり騙されたりする事が多くなりますが、本当に良い奴は助けられる事も多くなります。

損をする事は誰にでもありますが、それ以上に大きな物を得るのが良い奴です。

だから、一生を「持たざる者」で終わらせるな。

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