☆魔法の言葉☆「やってやるよクソが」

哲学系記事
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嫌な事があった時、それが必要な事であっても向き合いたくないものです。

分かりやすいのが逆境に陥った時で、それを乗り越えるよりも逃げる方向に意識が傾いてしまう。

大抵は嫌な気持ちになるし、時間が経つほど逃げ道を探してしまいます。

そんな時、役に立つ魔法の言葉が

「やってやるよクソが」

です。

今回は、そんな感じの話です。

自分の感情を操る

ビジネス的な考え方や哲学的な考え方をする時は、感情を排して実を取る論理的な思考が必要になります。

ただ、大きく躍進する時や逆境をはね除ける時は、それだけだと不十分であったりします。

例えば、何かのオーディションを受ける時。

倍率や求められる能力など難易度が高い場合が多いです。

当然ながら受かる確率は少なく、それに賭けるよりは違う事に時間を割いた方が合理的という結論になりやすいです。

じゃあ、何も考えない方が良いのかと言えば…

何も考えずにテキトーで受かるほど甘くもないでしょう。

だから、突破する方向に頭を使う必要があります。

「何が何でも突破する」

そういう風に感情をもっていけば、逃げる事より突破する事に頭を使えるようになるわけです。

感情は強い原動力になります。

合理的に考えてコストに見合わない行動を取る事が出来る。

それは必ずしも上手く行く訳ではありませんが、人生の大きな転機になったりします。

合理性に偏り過ぎると、堅実さに囚われて挑戦する心を失います。

社会が不動で安定したものならそれでも構いませんが、社会は常に変化しています。

発展と衰退を繰り返す中で堅実な手段ばかりを取り続けるとジリ貧になります。

例えば、中小企業は今までのやり方に固執してしまう会社が多いです。

業績が安定している時は挑戦なんて必要無いと考えるし、下向きになった時では大きな変革が出来ない。

逆境に陥っても、挑戦をしてこなかったら柔軟に動く事は難しい。

堅実さの持つ安心感に魅せられて「絶対に上手く行く」と確信の持てる事にしか手を出せず、必要なリスクすら取る事が出来なくなる。

余裕がある時こそ挑戦すべきなのですが、追い詰められてから動き出して失敗するパターンが多いです。

人も企業も合理性が必要ですが…それだけでは足りず、挑戦する心が必要になります。

人生を躍進させるにも逆境をはね除けるにも、挑戦がカギになるからです。

そのためには自分の感情を操る必要があります。

感情の指向性とボルテージ

挑戦する心の原動力は感情です。

だから、感情を動かす必要があるのですが…

先に述べた通り、感情は望む通りに動くとは限りません。

挑戦するより現実逃避を選んでしまうのも感情ですし、逆境に絶望して無気力になるのも感情です。

課題を突破する方向に動かす必要があるのですが、そうなるとは限らない。

だから、自力で指向性を定めます。

その手段の一つが

「やってやるよクソが」

と、口に出す事です。

人は問題に直面した時は嫌な気持ちになるし、時間が経つほど色々な事を考えます。

嫌な気持ちで考えているので、ついつい逃げる口実を探してしまう。

やらない言い訳を探したり、諦めたり、何かのせいにして現実逃避したりですね。

そういうものをシャットダウンして、突破する事に意識を持っていくのが「やってやるよクソが」なんですよ。

半ば脊髄反射で、唱える一瞬だけ思考停止するのがポイントです。

頭の中で唱えるのも良いですが、出来れば口に出した方が効果的です。

これは一種の自己暗示で、リスクやら労力やら色々と考える過程をすっ飛ばして「とりあえずやる」という決心を固められます。

要するに、何かあった時は「やってやるよクソが」と言っておけば余計な事を考えずに済むという話です。

ただ、感情を動かすためには、言葉を発するだけでなく言葉に感情を乗せていく必要があります。

私も始めから出来たわけではなく、やっていくうちに出来るようになりました。

自分の言葉は自分のボルテージを上げるのに有効なんですよ。

例えば、自衛隊の訓練で死ぬほどキツイ状況だと教官から激が飛びます。

「この程度でへばってんじゃねえよカマ野郎共が!」

みたいな感じですね。

疲労困憊の状態で、ただ言われただけだと

「いや、限界だし無理」

ってマイナスに考えてしまいがちですが

「誰がカマ野郎だクソボケが!」

って反抗すると、ボルテージが上がって力が湧いてくる。

まあ、反抗したら殴られるんですけどね(笑)

喧嘩とかもそうなんですよ。

平常心で人を殴れるほどイカれた奴は中々いません。

相手の暴言を利用して、それに乗っかる形で暴言を吐いてボルテージを上げる。

そうする事で殴れるようになる。

挑戦も逆境も心にかかるストレス的には暴言を吐かれたようなものです。

だから「やってやるよクソが」とボルテージを上げるわけです。

リスクと覚悟

基本的に無駄なリスクを負う必要は無いと考えています。

知らない人に無駄に噛みつくと、相手のボルテージを上げるのでトラブルになりかねない。

トラブルにならなくても余計な恨みを買いやすい。

特にセキュリティ側の人間の場合、その行動はNGです。

だから、人当たりをソフトにするように心がけています。

無駄なリスクは避けるわけです。

ただ、リスクを把握していても取らないといけない行動もあるんですよ。

例えば、身辺警護の時はクライアントに近づく人間は止めなければならない。

有名人であるほど写真を撮ろうとしたり、話しかけようとする人は増えますからね。

そういう人達って、どんなにソフトに対応してもキレる時はキレるんですよ。

それでも、やらなければならない。

避けられないリスクもあるわけです。

頭の良い人ほどリスクを把握出来るので、リスクのある行動を避ける傾向にあります。

普通の人は漠然とした不安で足を止めるものですが、頭の良い人は明確なリスクで足を止めるものです。

しかし、リスクを避けられない時、必要なリスクを取るのにも「やってやるよクソが」が有効に働きます。

シンプルに覚悟が決まるんですよね。

最悪なのは、覚悟を決めずにリスクのある行動を取る事です。

ボロボロの吊り橋を渡る時に、渡るか引き返すか悩みながら進むのは危険です。

「渡らない」とハッキリ決めてしまった方が遥かにマシですね。

それでも渡る必要があるなら「絶対に渡る」と覚悟を決めて、注意を吊り橋に向けながら渡った方が良い。

必要なリスクを取る時に余計な事を考えると、余計なリスクになる。

集団の場合だと、覚悟の無い人間が足を引っ張って余計なリスクを生む事があります。

そのため、集団の場合は全員の覚悟が重要になります。

スポーツでよくある円陣も、集団で覚悟を固めるためだったりします。

まあ、周りに流されてやってるだけだと効果はありませんけどね。

ただ、言葉に感情を乗せるのが上手い人は、自分だけでなく周りの覚悟を決めるのが上手いです。

状況に合わせて感情をコントロール出来て、言葉に感情を乗せられる指揮官は有能です。

ただ感情を排して合理的なだけの指揮官は凡庸です。

感情のままに振る舞うだけの指揮官は…良い奴ならともかく、そうじゃないなら酷いものです。

本当に優秀な人は感情を上手く使います。

私が、そんな優秀な人から学んだ最初の言葉が

「やってやるよクソが」

なんですよね。

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