「私は私である」

哲学系記事
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今回の話は、私自身のエピソードが多くなります。

最初に言っておくと、私は自慢したいわけでも同情されたいわけではありません。

読んだ人が何かを得られるかもしれないから書くだけで、あくまでも参考程度にして欲しいと思っています。

今回は、「自分」という存在についての話です。

いらない子

私には両親と2つ上の姉がいました。

私の家族はそれぞれがストレスを抱えていて、その捌け口となったのが一番弱い私でした。

父親はよく私を殴ったし、ニヤニヤ笑いながら雪に顔を押さえつけて窒息させたり、気まぐれで真冬の外に放り出したりしていました。

母親の口癖は「役立たず」で、ポンコツな幼少期の私は毎日怒鳴られていました。

母親と二人きりの時、何度も「生まなきゃ良かった」と告げられています。

姉は私と二人の時はいつも機嫌が悪く、私を蹴ったり道路に突き飛ばしたりしていました。

姉は両親からお姫様のように扱われていたので、親の財布から金を盗んだり物を壊しても全て私のせいになります。

家族団らんの場に私が来ると、姉は「臭いから近寄るな」と怒鳴り、両親はケタケタ笑う。

家族を避けると今度は私の食事が用意されず、食べ物に困る。

冷蔵庫の生卵や放り出してある猫缶を食べると、泥棒扱いされて殴られる。

幸い「グミの実」と呼んでいた木の実が生えている木が近くにあったので、スゲー助かりましたね。

私の家族はシンプルに嫌な奴なので、今は絶縁状態です。

幼少期は「いつ死ぬか分からない」と思いながら生きていました。

幼稚園や小学校の先生に相談しても

「両親は考えがあって厳しくしている」

と言われてしまう。

それで、自分が悪いんだと思い込んでしまった。

同級生とは生きている世界観が違い過ぎて会話にならない。

ある時、杉山先生という…かなり変わった先生に目をかけられて、本当に色々な事を教わりました。

学校や家庭内での立ち回りを覚えて、死ぬほど本を読むようになった。

そのおかげで何とか生きてこれたし、先生に出会わなかったら首を吊ってるか刑務所にいたでしょう。

ただ、子供の頃の私は経験から「自分はいらない子だ」と強く思い込んでいて、その呪いは長く尾を引きました。

誰かと接する時「自分は迷惑なんじゃないか」と不安で、人と距離が詰められない。

人と関わると異常に気を使って消耗する。

人から嫌われたり、非難される事への恐怖も強い。

これらには相当苦労させられられました。

しかし、私が人に何かを与えられる人間になるほど無くなっていきました。

少しずつ積み重ねて、自分が自分の価値を認められたからですね。

でも、それは簡単じゃないし時間がかかる。

色々な原因から同じような状態に陥ってる人に、私が言える事は

「人間なんて大抵は邪魔になる」

という事です。

例えば、ラーメン屋の行列に並んでいる時、前に並んでいる人は邪魔です。

みんなで利益を分配する時は人数が少ないほど得になるから、人が増えるほど邪魔です。

武道の試合の応援も時にプレッシャーになるし、シンプルにうるせえ時もある。

仮にどんなにスゲー良い奴でも、どんなに優秀な奴でも、邪魔な時は邪魔なんですよ。

邪魔は人の感じ方次第なので、一切の邪魔をしない振る舞いは誰にも出来ません。

しかし、人間は他人が邪魔である事を自然に受け入れて生きている。

その上で協力する。

自分も迷惑をかけるから他人の迷惑も受け入れる。

私は逆に、私は迷惑を受け入れるから私の迷惑を受け入れろと傲慢な考え方をしています。

誰かが失敗する、誰かの力が足りない、それをカバーするのも協力です。

それぞれに得手不得手があるのなんて当たり前ですからね。

誰かのカバーに回るから敬われるし、誰かにカバーされるから慕う。

世の中は嫌な奴が目立つので、嫌な思いをしながら育ってきた人もいるでしょう。

子供は精神が未熟であることが多いから、嫌な奴も多いんですよね。

学生時代に経験した嫌な奴の影響は残りやすく、大人になっても引きずったりします。

しかし、世の中は嫌な奴ばかりじゃないんですよ。

自分が迷惑をかけるのを恐れている人は、経験から嫌な奴を基準に考えてしまっているのだと思います。

嫌な奴を基準に考えてはいけません。

人は人の迷惑を自然に受け入れるものです。

それは、自分も他人も同じ事。

迷惑をかけるか心配なら

「お邪魔します」

の気持ちを心の隅に持っておけば良い。

迷惑をかけたら

「申し訳ない」

カバーされたら

「ありがとう」

だけを考えて伝えれば良い。

形骸化しつつある事ですが、これらは自分を救うためでもあるんですよ。

「いらない子」なんて思う必要はない。

それは自分が自分にかけただけの呪いです。

集団で何かをする時は怖いかもしれないけど、呪いが解けたらスゲー楽しくなります。

必要なのは迷惑をかけない事ではなく

「迷惑をかけるかもしれないけど頑張るよ」

って心構えです。

そうすれば成果に寄らず、人と関わる事を楽しめるようになりますから。

柔らかさと人間らしさ

私は幼少期の経験から、意識しないとポーカーフェイスになってしまいます。

死ぬほど鍛えてきたから体は厳ついし、真顔だと顔も怖い。

私を知らない人からすれば、見た目が厳つくて感情が読めない奴です。

だから、初対面の人には怖がられる事が多い。

私がモテない理由の一つです(笑)

それは仕事上は有利に働く事も多いですが、人間関係の構築には難があります。

人は怖い人に近づきたくないものです。

私が近づこうとしても相手が避けてしまうんですよね。

これが地味に困る。

そのままだと協力するにしても相手のパフォーマンスを落としてしまいます。

怖さには生物的な恐怖以外にも色々な物があります。

強そうな人、イケメンや美人、頭がキレる人、オシャレな人、明るい人などなど。

人は、自分が不得意なジャンルで長けた人に憧れると同時に怖がります。

自分の味方だと分かるまでは中々近寄れなかったりします。

分かりやすい例だと、普通の人が好きな芸能人に会ったらビビり散らかします。

スゲー奴ってのは近寄り難い。

人はある種の見下される要素が無いと、人と深く関われないんですよ。

自衛隊時代、めちゃくちゃ頭がキレて身体能力も高く、ユーモアもあって人から慕われる上官がいました。

しかし、プライベートで関わろうとする人が少なく、わりと寂しい思いをしていたそうです。

決して嫌われているわけではなく、むしろスゲー好かれているのに…どこか壁を感じてしまう。

周りの人間は、自分と上官は違う世界の存在と思ってしまっていたからです。

いわゆる「畏敬」というやつなので悪い事ではありませんが、スゲー良い人でスゲー優秀であるが故に距離を置かれてしまうわけです。

信頼関係を築く事とは別に、シンプルに人と仲良くなるには居心地の良さが必要になります。

私が重要視する居心地の良さが、柔らかさと人間らしさです。

私は口が悪いんですが、人への対応はソフトなんですよ。

なんでソフトに出来るかというと、基本的に相手の価値観を認めているからです。

自分と違う意見や考え方をしていても気にならない。

人は人だし、私は私ですからね。

人は人に合わせているだけで、本来は1人1人が違う存在です。

それを根本的に理解しているから

「私は私でいるから、お前はお前でいろよ」

というスタンスが取れるので、自然と人当たりがソフトになるわけです。

また、人間らしさが見えると相手は安心するんですよ。

人間関係にはとっきやすさが必要で、アホっぽさや感情が見える人間らしさが重要になります。

人からアホに思われるというのは、悪い事ばかりでは無いわけです。

私はネット上ではクソ真面目な発言をしていますが、日常生活ではアホみたいな話が8割です。

愛用のアイマスクは、Amazonで買ったスゲー可愛いパンダのやつです。

トレーニングジムで着ているTシャツの一つは「伯方の塩」です。

カラオケに行くとフルパワーで熱血系のアニソンを歌います。

で、それらを隠す気は全くありません。

なんならアホだと思われた方が良い。

その方が人間関係が楽しいからです。

逆に相手に畏敬を抱く時は、相手の人間らしい部分を知れば良いだけです。

前述した自衛隊の優秀な上官は、めちゃくちゃ女性にだらしないという…非常に人間らしい部分がありました。

浮気して彼女にシバかれている所を目撃しています。

だから、私は接しやすかったんですよね(笑)

最近ゴールドジムで、金髪の坊主で色黒でマッチョのスゲー怖い人がいたんですが…

めちゃくちゃ腰が低くてスゲー好感を持ちました。

柔らかさと人間らしさって大事ですよね。

会話が噛み合わない

私が地味に苦労してきたのが会話が噛み合わない事です。

一般的な価値観の人とは生きている世界観が違い過ぎて、時にストレスになるほど話が合わない。

普通に話すと、言っている事が理解されずポカンとされてしまう。

これはもう幼少期からずっとなんですよね。

相手に合わせて話す事は出来ますが、スゲー疲れるんですよ。

だから、変な奴と話した方が楽だし面白いです。

私には中学の時からつるんでいる3人がいて、全員が変な奴です。

1人はスキルアップの転職を繰り返して超エリート街道まっしぐら。

1人は大手保険会社から大手鉄道会社へ。

1人は高学歴のニートからwebで稼ぐ人へ。

で…私は警察、自衛隊からの身辺警護員です。

全然、趣味嗜好が違います。

しかし、いまだに付き合いがあり、全く連絡をしていなくても思いつきで唐突に会ったりします。

人を避けてた私が何故に仲良くなったのか全く覚えていませんが、シンプルに価値観が近いんだと思います。

人と仲良くなる時に大事なのは、趣味嗜好ではなく価値観だと私は思っています。

でも、現実には価値観が合わない人とも関わりが必要になるし、話が噛み合わない時も当然ある。

で、そんな時にどうすれば良いのかというと…

「噛み合わなくても気にしない」

これにつきます(笑)

人と価値観が違うのは当然です。

だから、気にせずに自分の価値観で話せば良い。

で、合わなければ諦める。

話が上手い人なら、何を言っても意味を拾ってくれます。

コミュ障の人は「変な奴に思われないか」という心配をする人も多いですが、変な奴の方が付き合いやすい人もいるんですよ。

スゲー無理して価値観を合わせる必要はない。

お互いがお互いの価値観のまま関われば良い。

自分は自分なのに相手の価値観で話したら、そりゃ疲れるし上手くもいきません。

価値観の違う人との会話では、細かい事を考える必要はないです。

分かる事だけ拾って答えれば良い。

文章と違って会話はレスポンスです。

クソリプみたいな返しでも会話ならわりとセーフです。

価値観が違う人同士の会話は、意味の9割が伝わらなくても全然オーケーです。

関わっているうちに価値観が分かってくるし、理解出来るようになっていきます。

ただ、一般的な価値観の人は自分と違う価値観の人を排除しがちなので、それは諦めて下さい。

正直、一般的な価値観でまとまった集団は私も苦手です。

変な奴の方が面白いから、私は変な奴が多い場所に吸い寄せられます。

全ての人に消耗しながら合わせると、疲れるし人に会いたくなくなります。

自分の価値観のままで付き合える人を探した方が楽だし、人に会おうという気になります。

相手の価値観に合わせている私は私ではない。

どこにいようと私は私である。

無理に自分らしさに拘るでもなく、そう思って生きることが大事です。

もちろん、仕事や場に応じた振る舞いは求められるものです。

私も振る舞いには気をつけています。

クライアントに「知るかボケ」とは言わないですし、大抵の人には言葉使いも丁寧…気味です。

ただ、それを個人的な人間関係にまで持ち込む必要はありません。

やたら気を使う友人ってメンドクセーじゃないですか。

だったら友人なんていらん。

しかし、友人がいないよりはいた方が良い。

なら自分の価値観で付き合える人間を探した方が良いという話です。

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