「雑記」哲学と学問

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「哲学者たちは2000年という長い間、ほとんど何も成果を残してこなかった。」

ーフランシス・クリックー

哲学に対する代表的な批判です。

私の感想としては「でしょうね」です。

ただ、この批判は哲学者全てに対するものではなく、一部に対して行われたものであると考えています。

学問は実証する事を大事にします。

人類全体の発展を考えて再現性に重きを置くからです。

一方で、有名な哲学者達は実証をあまりしません。

そもそも答えの無い疑問の答えを探すものですし、もっと大事な事があるからです。

哲学はアホみたいに派生があって、それによって内容が全然違ったりします。

学問みたいに実証を大事にする派閥もあれば、実証を置き去りにして探求する派閥もある。

フランシス・クリックの批判は、実証をしないような個人勢の哲学者に向けられたものであると考えるわけです。

で、私は批判される側の哲学者なんですよ(笑)

ただ、他の哲学者もそうですが、実証はどうでもいいんですよね。

今回は、そんな哲学と学問の話です。

便宜的に「実証する事」を「学問」、「実証しない事」を「哲学」として説明します。


群馬へGO!

例え話です。

私が一時期住んでいた場所に「群馬」と呼ばれる土地があります。

深いジャングルに覆われ、ドラゴンが家畜を襲い、山間部にはエルフやドワーフが住むような土地です。

何人かの人は群馬に行こうと考えます。

学問の場合、行きたい人全員が行けるように群馬まで続く道路を作り始めます。

群馬に辿り着く道路が完成する事で「実証」となるわけです。

一方で哲学は、知識が詰まったリュックを背負い、道なき道を1人で歩き出します。

群馬に辿り着いたら満足して、気まぐれで周りの人に群馬の話をしたりする。

ある意味、自分勝手なんですよ。

どっちが人類の発展に貢献しているかと言ったら間違いなく学問です。

だから、私も基本的には学問の方が人類のためになると考えています。

ただ、哲学者ってその辺はどうでも良いんですよね。

ただ、先に進んで遠くにある景色が見たい。

道路を作るぐらいなら、さっさと先へ進みたい。

そういう人種が多いんですよ。

ただ、完全に無駄というわけでもなく…

哲学によって辿り着いた場所の話を元に、学問が道路を作ったりもします。

今ある学問の先へ進む事が出来るのが哲学の特徴で、道路だろうと荒れ地だろうと構わずに進むのも哲学の特徴です。

哲学者はワケが分からん

哲学者は自分が今いる場所の話をする事が多いです。

まあ、それ自体は普通の事なんですが…

彼らはめちゃくちゃ先に進んでいるんですよ。

例えば、日本の外を知らない人に「ウユニ塩湖」の話をしてもワケが分からないでしょう。

しかも、別の哲学者は「カッパドキア」や「ヴィクトリアの滝」の話をする。

学問の道路でも辿り着いていない、遥か先の世界の話をするわけです。

そりゃ、普通の人からすれば「何だコイツら」となるでしょう。

ニーチェやカントといった哲学者の話が意味不明なのは、わりと普通の事です。

大抵の有名な哲学者は、言うだけ言ってマジで説明しません。

「いや、どこだよそこ!?」

とツッコミたくなるもので、その人の思考を追って何となく分かってくる感じです。

私が言うのも難ですが「めんどくせえなあ哲学者」と笑いそうになります。

ちなみにデカルトの考えでは、哲学だけでなく学問の道路も目的地に続いている確証は無い。

もっと言うと、自分や自分以外の人間が本当に存在しているかどうかも分からない。

地球や宇宙が存在している確証もない。

突き詰めると本当かどうかなんてハッキリしたものは何にもない。

しさし、こうやって考えている自分は存在しているとハッキリ言える。

と考えて、その結果生まれた言葉が

「我思う故に我在り」

です。

いや、その通りなんだけども…説明が足らな過ぎて普通の人には「分かるかボケェ!」という話です。

人生哲学の足跡

哲学のうち、自分の人生について考える事を人生哲学と言います。

私の哲学は人生哲学寄りですね。

私は目的地の話をするだけでなく、どういう道を通ったらそこに行けるかを大事にしています。

目的地の話をされても、そこに行く方法が見当もつかないならシンプルに意味が無い。

「宇宙人はいるのか?」みたいな話なら目的地の話だけで十分ですが、人生哲学は自分の人生を変えていくために知るものです。

実際は人によって通る道が違うでしょう。

しかし、所々同じ道を通ったりします。

だから、他人の人生哲学を知る事には意味があります。

例えば

「幸せに生きるには自己肯定感が必要だ」

とだけ言われても役に立ちません。

どうやって自己肯定感を築いたか、その部分が大事な所です。

人生哲学で重要なのは目的地でピースしている写真ではなく、その人が通った足跡なんですよ。

そのため、私は自分の足跡について詳しく話します。

同じ道を通れとは言いません。

ただ、偶然同じ道に差し掛かった時、進む方向の参考になる。

私が書いているブログはそういう類のものです。

学問は人類の発展に必要なものです。

それに対して哲学は、1人1人の人間に必要となるものだ…というのが私の考えです。

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