マジョリティへの絶望

哲学系記事
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日本のヒーロー番組に登場する悪役は、分かりやすくシンプルに純粋な悪です。

一方、アメコミに登場する悪役は、何かをきっかけにして悪に堕ちる場合が多いです。

アメコミはヒーローも悪役もマイノリティ側の人間で、善に傾けばヒーローになり悪に傾けば悪人になる。

その悪に傾く原因の多くがマジョリティへの絶望です。

元々はヒーローになる可能性があった人間が、絶望して悪に堕ちる。

実は、現実社会でも似たような事が頻繁に起きています。

今回はマジョリティに絶望する人達の話です。

搾取を考える人達

企業やオンラインサロンなどの搾取がよく話題になる昨今ですが、かつては人を騙すようなビジネスは一般的ではありませんでした。

ビジネスの基本は誰かの望みを叶えたり痛みを解決する事から始まり、会社の始まりは大勢が協力して1人では出来ない事をするために始まりました。

搾取という仕組みは頭の良い人達が作ったものです。

しかし、頭の良い人達は最初から搾取をしようとしていたわけではないんですよ。

悪側に堕ちた人間が搾取をするようになりました。

そうなる理由の一つがマジョリティへの絶望です。

ブラック企業の経営者でも、始めからブラック企業を作ろうとする人は少ないです。

シンプルに能力が足りないとか、状況悪化でやむを得ないとか色々理由があるんですが、それ以外の理由があります。

会社を経営していくうちにマジョリティに絶望するんですよ。

言われた事しかやらない、自分で考えない、権利ばかりを主張して義務を果たさない、不満ばかりで何もしない。

経営者基準で考えると大抵の社員はこんな感じらしいです。

協力など出来る相手ではなく、苦境に陥ったら我先に逃げ出すか喚き散らして足を引っ張る。

こんな社員をマトモに扱うなんて馬鹿らしいと考えるようになり、ブラックな労働を強いて搾取するようになります。

オンラインサロンなどのコミュニティの経営者でも搾取する事を考える人がいます。

どんなに言葉を尽くしても意図が理解されない、一から十まで説明しないと動かない、どれだけ必死に力を注いでも無限に依存してきたり誹謗中傷をする。

全てでは無いにしろ、こういう人間が多く集まります。

段々嫌気が差してきて、やはりマトモに扱うのは馬鹿らしいと搾取する方向に走る。

マルチまがい商法や投資詐欺なんかが良い例ですね。

頭の良い人達が絶望するものは、マジョリティの特性なんですよ。

マジョリティは優しい夢の中で生きていて、現実を見ていない人が多いです。

何かの下につくと、無条件で面倒を見て貰えると思ってしまう。

ホワイトな待遇というものは実力が無いとまず得られないものですが、マジョリティはホワイトな待遇をされる事が当前だと考える。

そんなマジョリティを見ているうちに絶望してしまう。

ある意味、マジョリティが自分達を搾取する人間を生み出しているわけです。

マジョリティの呪い

日本は他人に合わせて他人の真似をする文化が根強く、それが一般的な価値観の中に含まれています。

一般的な価値観が強いほどマジョリティと言えます。

ハーバード大学のマイケル・ポーター教授は、その特性をレミングに例えました。

昔気質の日本企業は独自路線を開拓せず、競合他社と同じ物で争う事に明け暮れ、国際的な競争力を失った。

崖があっても立ち止まらずに集団で落ちていくレミングの特性と似ているというわけです。

ただ、マジョリティはどこの国でも似たようなものらしいんですよ。

じゃあ、なぜ日本がこうなるのか?

私はマジョリティに合わせる事を強要される文化に原因があると考えています。

何かを変革する人はマイノリティの中から生まれてくるものです。

独創性や特殊な能力を持つ人達は、何かを生み出し、何かを変える素質を持っています。

人と違うという事は極めて貴重な素質なんですよ。

彼らが力を発揮出来る社会なら発展していくでしょう。

しかし、日本社会は人と違うものを排斥する社会です。

「多様性」が流行ったら多様性を認めない人を排斥するというワケの分からない社会です。

特に現状の日本の学校は、一般的な価値観を強制的に叩き込まれる場所です。

それを受け入れられない人間や、ついていけない人間を低評価する。

マイノリティの多くはそこで素質を否定され、精神的な負債を背負う事になります。

人と違う人は、他人や集団に合わせるのが苦手な人も多いです。

合わせる事に消耗する人もいれば、認められず排斥される人もいる。

その結果、コミュ障になったり病んだりしてしまう事もあります。

貴重な素質を持つ人の、その素質を潰してしまうんですよね。

例えば、SNSでも違う意見の人からの攻撃的なリプライをよく目にします。

どんな意見を聞いても、自分と他人が違う事が分かってる人は自然にスルー出来るものですが…

一般的な価値観の影響が強い人は、自分と違う人を認められない事が多いんですよ。

相手の価値観を認めず、自分と同じ価値観に矯正しようとしてしまう。

マイノリティには非常に生きづらい世の中です。

自分である事を否定されてしまうわけですから。

多くの人は一般的な価値観を基準に良し悪しを判断していて、それを自覚していない人がほとんどです。

が、一般的な価値観と事実は違うものです。

私の記事に反論する人も、そのほとんどが一般的な価値観をベースにしています。

マイノリティもまた、自分の価値観より一般的な価値観の方が正しいと思い込んで、自分を否定してしまう人が多い。

おかしいと分かっている人も、一般的な価値観に合わせざるを得ない。

私も常に一般的な価値観を知ろうとしています。

どんなに非合理的でも、それが正義と信じている人が多い。

一般的な価値観と自分とのズレを知るために必要な事だからです。

小さなヒーロー達

マイノリティには社会やマジョリティに対して憎しみや軽蔑、または恐れを抱いている人も多いです。

だからこそ悪側に堕ちやすい。

社会の発展に必要な人間が悪側に回るのは、社会にとって大きな損失です。

しかし、これに気付いている人は非常に少なく、理由も原因も分からない人がほとんどです。

本来、発展させる力を持つ人間が弾圧されるのだから、そりゃ社会は衰退しますよね。

今の日本は日本人がどんなに褒め称えても、世界と張り合えるほどの価値を持っていません。

世界と渡り合えるほどの価値ある物は、ほんの僅かです。

その中で、世界でもトップレベルを誇る文化が「オタク文化」なんですよ。

本来、順当に発展していけば国を支える産業になっていたでしょう。

しかし、度重なる弾圧によって疲弊してしまっています。

いまだにオタク文化に対する偏見は強いです。

一般的な価値観の強い人ほどオタクを見下しますからね。

優秀なアニメーターでも待遇は悪く、一般的な価値観からは評価もされにくい。

だから、外国に厚待遇でガンガン引き抜かれています。

一般的な価値観によって自らの首を絞めている分かりやすい例ですね。

私もオタク文化を好むとは言え、そこまでコアなオタクでは無いんですよ。

しかし、それが日本にとって死ぬほど大事な物であると理解しているから、基本的に擁護する立場を取っています。

まあ、外国から金を貰ってオタクを叩く連中よりも、楽しそうなオタクやオタク文化を発展させる人達の味方をしたい…という心情もありますけどね。

このように、一般的な価値観によって本来なら価値のある人や文化が虐げられる。

これは社会にとって良くない事ですし、個人的にもシンプルに気に入らないんですよ。

一般的な価値観の全てが悪いとは言いません。

しかし、その中の一部によって衰退を招いたのは間違いない。

マジョリティの中にある一般的な価値観を変えていけるのはマイノリティしかいません。

カリスマ性を持つ頭目や影響力を持つ人物はマイノリティの中から生まれますからね。

特異な能力や独創性を持つ人は理解者がいれば天才になれる。

クソみたいな状況や厳しい状況を自力で乗り越えてきた人は何らかの高い能力を得る。

そういう人達が社会には必要です。

だから、絶望したとしても悪側に堕ちないで欲しいんですよ。

辛さを知っているからこそ誰かを助けて欲しい。

ほんの僅かでも世の中を良くしていくヒーローになって欲しいんですよね。

私自身には世の中を大きく変える力はありません。

ただ、私の言葉はマジョリティには理解されない事が多いけれどマイノリティには届く。

大勢を変える事は出来なくても、少数の価値ある人の力になると思ってブログを書いています。

その人達が誰かを救って、救われた誰かがまた誰かを救って、その中から生まれた逸材が世の中を大きく変える。

小さなヒーロー達が大きなヒーローを支える。

支えられた大きなヒーローが世の中を変える。

大きなヒーローが現れるまで小さなヒーローが達バトンを繋いでいく。

そういう世の中にしたいんですよ。

私はいつだって良い奴の味方だし、必死に頑張る人に協力を惜しまない。

まあ、現実問題として私の手には限りがありますけどね。

それでも、そういう人達の力になりたいと考えています。

誰かの為の何か

私は何かに強く心を動かされた時…

特定の人を中心に向けた記事を書く事があって、それが伝わってた事が分かると嬉しい反面スゲー恥ずかしくなります(笑)

まあ、それも自分の人間らしさとしてポジティブに受け止めています。

本来、私の記事の在り方は

「どこかの知らない誰かの為に」

です。

なぜ、どこかの知らない誰かの為に記事を書くかというと…

情報発信は不特定多数が受け止るものです。

例外を除けば、誰が見ているのかも分からない。

しかし、マジョリティの中に混ざっているマイノリティは私の記事を拾ってくれると思っています。

彼らは様々な状況に置かれていて、色々な悩みを抱えている。

それを話せる人が少ない事もあるし、人に相談すると回答に従わなくてはならないような気がしてしまう人もいる。

その点、ブログの記事は受け取るも受け取らないも自由です。

必要なら見れば良いし、不要なら見なければ良い。

ブログには強制力が弱いというメリットがあります。

私の考えは思想のフリー素材ですし、使うも使わないも自由です。

無理に従う必要はないし、無駄に落ち込む必要もありません。

誰かを助ける為や何かを変えるための材料にしても良い。

もちろん哲学の材料にして、出した答えを発信しても良い。

私の記事を受け取った誰かが、また誰かの為に記事の内容を使うでしょう。

だから、どこかの知らない誰かの為になるように「誰かの為の何か」を記事に込めて書いています。

「私の知らない所で誰かの力になればいい」

って感じですね。

逆に、何の目的も無い私の感想は「雑記」としています。

私は有名になりたいわけでもないですし、姿を隠す気もないです。

読んだ人が自分の目的の為に記事を使って構わない。

ただ、私の文章そのままを使うとマジョリティの反発を受けかねないです。

だから、なるべく自分の言葉に変換した方が良いと思っています。

まあ、もし反発を受けた時は

「…って、カエル伍長が言ってました!」

と言って、こっちに投げて貰っても構いません(笑)

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